txt:ふるいちやすし 構成:編集部
伊勢崎映画祭で「千年の糸姫」を上映
まずはニュースから。私の作品「千年の糸姫」が群馬県の伊勢崎市にあるプレビ劇場というシネコンで2/25日に行われる伊勢崎映画祭から特別招待作品に選ばれ、上映されることになった。この映画祭自体は短編を集めたものだが、毎年、一作品だけ長編を招待し上映する事になっており、その一枠に選ばれたということはとても光栄で、何より初めてのシネコンでの上映というのが嬉しくてたまらない。私も主要出演者も行く予定なので、お近くの方はぜひ足を運んで頂きたい。
なぜ海外向けのレーベルをつくるのか
さて、海外に向けた日本映画のレーベルを作ろうとしている。これは私自身の海外での活動を通じて感じた手応えと見えてきた方法論を元に考えていることなのだが、何故レーベルなのかというと、ふるいちが、とか「千年の糸姫」が、とかでは、例え世界中に日本ファンがいたとしても見つけてもらうことすらできないからだ。やはり日本ファンの求める世界観を持った作品群を作る必要がある。
そこでそういう作品、それを作れる人材を探し回っているわけだが、これがなかなか見つからない。それどころか見れば見るほど気持ちが萎えてしまいそうになる。特にガッカリするポイントが映像そのものが稚拙だったり個性がなかったり。もう一つが原作/脚本だ。言うまでもなく、日本のメジャー映画の動員は殆どが出演者の人気頼りだ。中にはそこにしか魅力はなく、ストーリーや映像は、まぁ、普通という作品もある。悲しいかなそれでも興行は成り立ってしまう。
ではそこから出演者の人気を差し引いてしまうとどうなるだろう?そんな物は作る意味もない!学校の課題製作ならまだしも、教授以外に見せるような物ではない。低予算で自主制作で、人気者が使えないから仕方ないというのではなく、だからこそ、ストーリーや映像にポリシーや個性がないと意味がない。逆にそれさえあれば、出演者の人気が関係なくなる海外では、充分勝負できるのだ。
芝居は二の次とは言わない。無名でもいい芝居をする役者はいるだろうし、それを引き出すのが監督の仕事だ。すでに人気のある俳優、すでに本が売れているマンガや小説、無条件にお金のかかるVFX、これは無理だ。だからと言っていい映画は作れないのだろうか?そんな事はないはずだ。今や押しも押されぬ新海誠さんの初期作品を見てみると、ストーリーと映像美は始めからずば抜けている。そういう作品とクリエイターに今、出会いたくて仕方ないのだ。既に完成している作品や人でなくても、高い意識と気付きがあれば、きっとできる。その為のお手伝いをする覚悟はできているのだ。
お金にもならない自主制作の作品で、そこまで質の高い物を求める必要はない、と考える人もいる。そんなことをしなくても運が良ければメジャーの映画やドラマからお声がかかり、それこそ人気者を使うことだってできる、そのステップに過ぎないと考えるのも当然だとも思う。なぜなら他に道がないからだ。実際、日本の作品で海外に輸出されているのはトップの中のトップレベルの作品、そのほとんどがアニメと怪獣物だ。もし仮にそうなったとしても、監督ですら著作権は認められておらず、製作委員会の出資家たちが潤うだけのシステムになっている。そこで名を上げて海外のプロジェクトからお声がかかるのを待つのもいいだろうが、それは日本映画ではない。
その果てしない道を目指すより、今すぐ、海外に向けて作品を放つことをインターネットが可能にしてくれているし、少なくとも音楽の世界ではすでに実行している人たちもいる。やはりインディーズの人たちだが。日本の映画産業はそんなことをしなくてもそこそこ儲かるし、何よりマスコミがそれを取り上げてくれる。その温室から抜け出る必要がないのだ。このシステムに文句をつける気はないし、変えようとも思わない。だが彼らが変わらなくても彼らがそこに目を向けないということは、そのフィールドはゴッソリ空いているということだ。
では存在しないかというとそうではない。事実、私の「千年の糸姫」が契約したアメリカのSMGは日本であろうがどこであろうが関係なく配信しているし、イギリスのサードウィンドウフィルムはアジア、特に日本の映画に特化したレーベルだ。彼らにできて日本人にできない道理はない。ただ、サードウィンドウの代表者も何かの記事で、日本の映画のレベルが低いと嘆いている。美術、文学、音楽の全ての面で、出演者の知名度に頼らない、質の高い作品が必要なのだ。
日テレの水曜ドラマ「anone」を見た。広瀬すず、阿部サダヲ…そうそうたる顔ぶれだ。彼らならそこそこのストーリーを用意すれば視聴率は取れるだろう。ところがこのドラマ、脚本も演出も、そして映像もとんでもなく冒険をしている。少なくとも従来のドラマにはない美しさと個性がある。恐らく賛否、好き嫌いは分かれるだろうが、私はその勇気に感動している。
テレビでこういう映像表現ができるのは、一重にデジタル技術の進歩のお陰だ。ただし8KとかHDRとか高額な最先端技術ではない。キャストはともかく、その気になれば自主映画でもできることだ。いや、むしろ自主映画の方がよっぽどやりやすい。豪華キャストでおそらくは大きな予算のプロジェクトでこれをやる勇気は素晴らしい。それほど時代は変わってきているのだと思う。我こそはと思う人は是非ともご連絡をいただきたい。