Vol.125 商業映画とアートフィルムの違い。自身のターミナルを明確にして制作に挑む[東京Petit-Cine協会]

txt:ふるいちやすし 構成:編集部

コロナ禍で生まれた配信に対する新しい価値観

ついてない時期というのはあるもので、いや、元をたどれば全部コロナのせいだと言えないこともないのだが、それにしても今月はとことんついてない。予定していた旅は飛行機が飛ばなくなってオールキャンセルになり、先に送っておいた撮影機材も全てそのまま送り返してもらった。インタビューを予定していた人とも会えず、次の旅に賭けるつもりが、ちょうどその出発日からGoToキャンペーンが停止!

このまま無理して行ったらきっともっと悪い事が起こるに決まってる。なんて気にもなってしまうが、家に閉じると動けなくなりそうで決行を決めた。こうなりゃ矢でも鉄砲でも飛んできやがれ!!

残念ながらコロナはまだまだ続くだろう。完全に安全が担保されるまで閉じこもっているつもりならそれでもいいが、国は私たちを守ってはくれない。最高レベルに気をつけながら、とにかく動く!それしかないんじゃないかと思う。

こういう時は未来の話をしよう。コロナのお陰で俄然火がついた配信は、会議や飲み会のみならず、音楽ライブや演劇、映画上映等もオンライン配信されるようになった。チケットを買って視聴する事が一般化し、配信やチケット販売をサポートするサービスも次々と生まれている。これはまったく新しい事なのだ。ネットにあるコンテンツはタダで見るものという常識から一歩進んだのだと思う。

いやいや、NetflixやAmazonプライムの様な有料コンテンツはとっくにあったじゃないかと思われるだろうが、月に数百円で見放題というサブスクリプションとは違い、一つ見るのに数千円のチケットを買う事は今までそうそうあった物ではない。この大きな価格差を受け入れるオーディエンス心理の差は何なのだろう?それを押さえる事ができれば、今後プチシネにとっても新しいメディアとなる可能性は大きい。

例えば映画をAmazonプライムで配信できたとしてもほんのわずかなロイヤリティーを得るだけなのに対して、配信興行はチケット代金のほとんどが興行主の収入となる。確かにこの動きはコロナ禍でライブができない状況の中での苦し紛れの方法かもしれない。将来、人々の心からコロナに対する恐怖が消え、劇場やライブハウスへ行くことに抵抗がなくなれば、みんなそちらに戻って行くし、一過性のブームは終わってしまうと考えられる。

だが、せっかく生まれたオーディエンスのチケット購買意欲をみすみす逃してしまうのはあまりにもったいないではないか。“その時”がいつ来るのかは分からないが、配信興行ならではの魅力を高め、劇場へ行くのとは別の魅力あるコンテンツとして定着させる事ができれば、このエンターテインメントは存続すると思う。

配信興行ならではの魅力を高める

ではその魅力とは何か?まず一つは広域性だ。オーディエンスは全国どこにいても視聴することができる。今は仕方なくStay Homeをしていても、将来前向きなホームエンターテインメントとしての魅力があれば、喜んでStay Homeしてくれるだろう。

以前、とある配信業者と話したのだが、チケット販売と配信興行のエリアを世界に拡げるには税法上の問題があり、現時点では難しいが、これが将来クリアになれば世界中を相手にする事だってできる。ある程度の集客が見込めるなら、自宅やスマホに限らず、全国にサテライト会場を設けるのもいいかもしれない。

例えば、全国のミニシアターやマイクロシアターで同時に観られるようにすればいい。そこで大切になってくるのがライブ性だ。映画に関しては、すでに出来上がっている物だから、それをそのまま流したところでライブとしての魅力が生まれるものではない。第一、それではAmazonプライムやNetflixと変わらない。差別化を図るには、限定的である事が重要だ。“何時でも好きなものを”を逆手にとって、その時、あるいはその期間にしか観られないものである事が重要だ。

従来の舞台挨拶のようなものではなく、監督や演者がとことん作品について語る番組を上映後に生でやるのもいいし、それを双方向性にするのもいい。演劇や音楽ライブなら、その後の打ち上げ飲み会を一緒に楽しめるようにするのもいいだろう。劇場と違って時間的制約はあまりないだろうし、オマケというより、それ自体が番組と呼べるような物にすればいい。期間限定ならできない事ではないだろう。

いずれにしても“その時、そこで”しか観られないモノでなくては、劇場やVODとの差別化は図れない。新しい番組企画が必要だろう。もちろんいい事ばかりではない。今の会議ソフトのような画質や音質では、そもそもエンターテインメントとしてのクオリティーが保てない。それはエンコーディング技術や回線のせいかもしれない。

先日、とあるスポーツ生中継をテレビで観ていて、試合が終わらなかったので「続きは配信で」という事になった。やれやれ、と思いながらパソコンをつけたのだが、映像も音声もテレビ放送と全く変わらないクオリティーで、改めて驚いてしまった。もちろん、放送局の持つ太い専用回線を使い、おそらくデカい中継車が何台も会場の側に並んでいるのだろうから、当たり前と言えば当たり前なのだろうが、そういう技術はすぐに民生レベルにまで下りてくるのが常だ。

5Gが普及したらそうなるのかもしれないし、つい先日、10年後を目標に6Gを導入するべく研究チームが立ち上がったという。また、別の角度から見ると、スマホやタブレットに繋ぐヘッドフォンのクオリティーがドンドン上がっている。未来の事だから、いつ、何がそうなるのかは分からない。“その時”は多分同時にはやってこないだろう。

でもその時はいずれやってくるのだから、私たちはコンテンツメーカーとして磨き続けておかなくてはならない。特に配信興行がハイクオリティーでできるようになれば、プチシネにとって大きなチャンスになる事は間違いない。夢を見よう。そして“その時”の為に常に100%プラスαのイメージと行動を忘れずにいよう。

飛行機が欠航となり、クサクサした気持ちで引き返してきた私は、このまま家に帰ってはいけないと思い、そのまま駐車場へ行き、全く予定に無い旅をする事にした。それこそ、車で走り出してから「さて、どこへ行こうかなぁ」のノリで旅を始めたのだが、その先で思いがけず素晴らしい場所と美しい音を収録する事ができた。感性と行動を止めてはいけない。どんな苦難の中でも、きっと何かを見つけられる。信じて、行こう!

WRITER PROFILE

ふるいちやすし

ふるいちやすし

映画作家(監督・脚本・撮影・音楽)。 日本映画監督教会国際委員。 一般社団法人フィルム・ジャパネスク主宰。 極小チームでの映画製作を提唱中。