Vol.125 商業映画とアートフィルムの違い。自身のターミナルを明確にして制作に挑む[東京Petit-Cine協会]

映画の準備と撮影トレーニングのために沖縄へ

なんとも間の悪い緊急事態宣言で3度目の撮影延期を余儀なくされた短編映画。もうこうなったらワクチン打ってスッキリするまで待ってもいいかとも思い始めている。演劇やライブハウスとは違って、観客を集めることのない撮影はリスクが少ないので、対策さえしっかりしておけば決行しても良さそうなもんだが、一番のネックは東京から他府県への移動だ。

ロケ場所を貸してくれる地域の方やフィルムコミッションは大丈夫だと言ってくれるが、さすがに心苦しい。そんな中でも撮影を決行している他のチームに対しては責めるどころか心から応援したい気持ちだが、中には感染対策に対する意識が低いチームもあり、ちょっと心配になる。

事前のPCR検査にしても、高齢者だけとか出演者だけとか。何をしても絶対安全という事はないが、後でとやかく言われないためにもできる事は最大限にやっておいてほしい。

さて、何かと身動きがし辛いこの期間、私は次に動き出す時のための準備期間だと思っている。その時が来て"元通り"というのではもったいない。ワンステップ上がったところから動き出せるように、技術を磨いておく事はできるはずだし、新しい企画書や脚本を作る期間でもある。

沖縄

緊急事態宣言が出る直前に、映画の準備と撮影トレーニングのために沖縄に行ってきたのだが、当然、夜の街に繰り出すなんて事は不可能だったので、夜にはホテルでプロットしかなかったストーリーの脚本をじっくり書いた。沖縄での作品作りは企画が出来てからかれこれ3年がかりになり、脚本までとっくに出来上がっているのだが、プロデュース面では一向に進展がなく、コロナもあって決して順調とは言えない。

そこでこの夏に物語のいくつかのシーンをパイロット版として撮ろうと決めた。結果的にこの行動がこちらの本気度が判るとして、協力者の態度にも変化が生まれた。本気度?初めから本気だったのだが、確かに途中で頓挫してしまうプロジェクトが多いのも知っているし、それが金銭トラブルになることもある。

特に沖縄ではそういう話を残念ながらよく耳にする。沖縄に限らず、地方では他所から来た人に対して、表面上は歓迎していても根っこでは信用していないということも仕方ないかもしれない。企画書や熱意を語る事も大切な事だが、やはり具体的な行動がモノを言う。

沖縄

私の場合、度々沖縄を訪れたり撮影機材の一部を沖縄に置いてあったりした事も本気度の表現に繋がっていたようだが、ほんの一部とは言え、実際撮影を始めるというのは大きな効果があるようだ。それでもこのプロジェクトを最後まで行えるかどうかは100%約束できるものではない。

準備もお金も揃えてから乗り込むのが理想的ではあるが、なかなかそうもいかないので、こういう具体的な行動で協力者を巻き込んでいくのも必要な事だと感じた。パイロット版とは言え、できれば本番でも使えるシーンを撮影したいし、そうなるとキャストもしっかり探さなくてはならない。

今回の来沖ではその面で大きな進展があった。この作品は音楽作品でもあるので、シンガー役が必要で、今までも探してはいたのだが、神様が素晴らしい出会いをくださった。出発前に現地で会える事は分かっていたので、劇中歌を作ってちゃんと楽譜にして行った。

なんとなくの内容は伝わっていたのだが、台本を見せるのもその時が初めてで、役柄の心情も含めて語り合い、その場に所属事務所の社長も同席してくれた事もあり、話はトントン拍子に進み、その翌々日にはとあるジャズクラブを貸してもらってリハーサルを行う事もできた。本人には曲も気に入ってもらい、「この役をやるのは世界中で私しかいない!」という嬉しく、力強い言葉ももらった。

早速、バンドやアレンジの手配に取り掛かり、もちろん歌唱シーンもパイロット版として撮影するつもりだ。他にも子役を使ったシーンを撮ろうと思っているが、今の子供達で昔の沖縄弁を話せる子はほとんどおらず、そんな中、子供達に沖縄弁を教えている方に出会い、教え子の中から一人の少年と会わせてもらえる事になった。

その先生の家の庭先で顔合わせと読み合わせを行い、その子のイメージを焼き付けたままロケハンに出かけたが、すぐに最適な場所を見つける事ができた。今までなかなか動かなかった歯車が、確実に動き始めた気がしたので、この勢いを止めないように進めて行きたいと思う。沖縄にも緊急事態宣言が出されそうな感じだが、じっとしている訳にはいかない。

沖縄

さてさて、沖縄のホテルで書き上げた脚本だが、早速大手配給会社のプロデューサーに読んで頂く機会を得た。全てがトントン拍子!と言いたいところだが、結果的にこちらはフルボッコに叩きのめされる結果となった。ただ、このプロデューサーは無視するのではなく、一発ずつ、丁寧に叩きのめしてくれたので、私は多くを学ぶ事ができた。

元より、大手配給会社のプロデューサーに見せるという事は"数100万人に見て欲しい"という事だ。それには大多数の共感を得る事が必要だというのも当然で、私の作品はその点で全く違っていた。ただそれは"数100万人に見て欲しい"という目的に対して間違っていたという事で、作品そのものを否定するものではないと思う。

確かに私の作品は、基本的な設定からぶっ飛んでいて、それに対して"あり得ない""エビデンスはあるのか?"などのパンチに言葉もなく打たれっぱなしだったのだが、そんな中で"共感と驚きは相反する"という事が分かった。

もちろん、その奇抜な設定も、ただ視聴者を驚かせるための奇をてらった仕掛けというものではなく、伝えたいメッセージのためのものではあったのだが、確かに日本で数100万人の共感を得るような物ではない。持っていく所を間違えた。とは言え、その作品に意味がないとは思えず、書き換えてまで食い下がることはする気になれず、予算をかけず、マイナーな作品として作るか、海外のプロデューサーにでも見せてみようかとも思っている。

というわけでダメージを受けながらも胸を張って帰ってきたのだが、最後にプロデューサーが言った「なんだかんだ言っても、結局はキャスティングですよ。」という一言には、正直、大きなショックを受けた。それほど日本でメジャーな映画を作るという事は特別な意識を必要とするということだ。

逆に言えば、プチシネで自由な発想で映画を作ることにも大きな意味があるのだと確信した。結果はネガティブにもポジティブにもなるが、とにかくできる行動を起こそう。どっちに転んでも成長はするはずだ。

WRITER PROFILE

ふるいちやすし

ふるいちやすし

映画作家(監督・脚本・撮影・音楽)。 日本映画監督教会国際委員。 一般社団法人フィルム・ジャパネスク主宰。 極小チームでの映画製作を提唱中。