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はじめに

アメリカの映像業界にはSMPTE(米国映画テレビ技術者協会)という非営利団体が存在する。いま記事を読んでいる読者の皆様の中には、このアルファベット5文字に反応してリンクを開いた方も少なくない事と思う。

SMPTEは、映像業界に従事していれば必ずどこかで見聞きする団体名ではあるが、その活動詳細は意外と知られていないように思う。例えばVFX業界に従事している筆者の立ち位置だと、「SMPTEは映像業界の標準規格を定めている団体である」という認識くらいで、具体的にどのような活動を行っているのか?という点については、常々興味を抱いていた。

そこで今回は、関係者の方から、SMPTEの活動内容や最新動向、そしてバーチャル・プロダクションに関する取り組みも含め、詳しくお話を伺ってみる事にしよう。

今回お話を伺ったのは、この方である。

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服部しのぶ Standard Director/SMPTE

早稲田大学大学院 電子・情報通信研究科(当時)を卒業後、ソニー株式会社でエンジニアとしてキャリアをスタート。その後、米・20世紀フォックス(当時)に移籍し、米・ウォルト・ディズニー・カンパニーによる21世紀フォックスの買収を経て、ウォルト・ディズニー・スタジオに在籍中。2020年のTVNewsCheckによる10th Annual Women in Technology Awardsにて、Women to Watch Awardを受賞。現在、SMPTE(Society of Motion Picture and Television Engineers)にてStandard Directorを務める。

Sally Hattori|SMPTE

SMPTEの方から、最新動向を取材出来る機会は少なく、しかも日本語でお聞かせ頂けるという、大変貴重な機会となった。

それでは、さっそくお話を伺ってみる事にしよう。

――SMPTEはどういう団体なのでしょうか

SMPTE(Society of Motion Picture and Television Engineers)は、アメリカでは「スィンプティ」という名称で呼ばれています。

※著者注:実は筆者も、これまで「エス・エム・ピー・ティ・イー」と呼んできたが、「スィンプティ」が正解だそう

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NABにおけるSMPTEのセッション ©SMPTE

SMPTEは2016年に100周年を迎えたほどその歴史は長く、まさに映画の発展と共に歩んできた団体です。ヘッドクォーターはNYにあり、各地に支部があります。主な活動としては、映画業界、エンターテインメント業界で使用する技術の規格標準化を行う団体です。

有名なものでは「SMPTEカラーバー」がありますが、映像制作の中でのカラーマッチングで使用する色の基準や、最近の例ですと映画業界のマスタリングで使用するIMF(Interoperable Master Format)というパッケージ等があります。

IMFは、大まかに言えば映像・音声・サブタイトル・メタデータを1つのプレイリストとしてZIPで固め、その内容が判るようにXMLフォーマットに記述したもので、ハリウッドのほとんどのメジャースタジオは、アーカイブやディストリビューションのフォーマットとしてIMFを採用しています。

この利便性として、プレイリストとして定められるデータに、様々なバージョンを含める事が出来ます。例えば、アメリカの全米放送用のドメスティックなオリジナル・バージョンと、地方局用のローカライズ・バージョンがあった場合、ローカライズの該当部分のクリップだけをパッケージの中に入れ、再生する時はタイムコード沿いにローカライズ・バージョンを再生し、またドメスティック用に戻る、という事が可能なフォーマットです。それまでは、全て別々にローカライズ・バージョンをアーカイブしなければならなかったのが、簡単に管理できるようになりました。

もう1つ、一番新しくインパクトのある規格がSMPTE ST 2110です。従来ですと映像制作の現場で映像を伝送する際はSDIケーブルが使用されてきました。しかし、テクノロジーがクラウドに移行し、ケーブルの代わりにクラウド上でエディットしたり、IP上に映像を乗せて伝送する規格です。おそらく一番ニーズが高いのは放送業界ですね。今まではケーブルを沢山引く必要がありましたが、それがクラウドで済みます。また、かなり大きな重いデータを送る事が出来る規格です。

SMPTEは、このような標準規格を作る団体です。

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SMPTE Annual Technical Conferenceで登壇する服部氏

――SMPTEにおける服部さんの役割は

私はSMPTEのスタンダード・ディレクターという、規格標準化グループのディレクター・ポジションです。

私の上には更にSVP(Standard Vice President)というポジションの人がいて、彼らがどのような規格化をするべきか取り決めを行います。そのスタッフとして、私を含む3人のディレクターがいて、VPを助けるポジションです。

「SMPTEでこういう規格化を進めています」などの情報を、他の団体とシェアする際、リエゾンを使って情報交換を行うのですが、その仲介役を担当したり、また規格化のドラフトが上がってきたら内容をチェックしたり、最終的には団体としての承認を取って上に上げて…などなど、そういう役割を担当しています。

SMPTEは非営利の法人も有し、ここで勤務している人はマーケティングや運営面を助ける役割を果たしますが、それ以外の人は全員ボランティアです。私自身もボランティアですし、SVPもボランティアです。

ボランティアなので、自分の本業を持ち、その余暇やプライベートな時間を使って、SMPTEのグループ・ミーティング等にかなりの時間を割かないといけないので、なかなか大変です。

――バーチャル・プロダクションに関する取り組みもあるそうですね

実は今年から、初めてSIGGRAPHとコラボレーションを行います。SMPTEはこれまでVFX業界との接点があまりなかったのですが、バーチャル・プロダクションの台頭を機に、SIGGRAPH 2022ではUnrealやUnity等のゲームエンジンによるリアルタイム・レンダリングに関連したパネルを開催する予定です。

SMPTEは歴史が長いため、昔ながらの伝統的なプロセスが残っており、それに沿って審議を進めていくと、どうしても時間が掛かってしまう事も少なくありませんでした。それを改善していこうという動きが出ています。

元々、規格の標準化の作業は時間を要するプロセスです。議論→ドラフトを構築→各部署の承認を得て、規格化がスムーズに進んでも1年くらいの期日を要してしまいますが、現代は技術革新のスピードが速く、1年も経ってしまうと、もう技術が古くなってしまいます。

これを改善すべく、SMPTEの中にRIS(Rapid Industry Solution)というグループが設立されました。目的としては、現在、業界内で問題になっている事をRapid(速く)で解決するための議論を行うグループです。

そのRISの中で取り扱われている大きなトピックは、バーチャル・プロダクションです。

バーチャル・プロダクションは、大手を除けば、さまざまな会社が独自フォーマットで行っているのが現状ですが、コンテンツを作る側として、毎回違うシステムを立ち上げて対応しなければならないという問題があります。その互換性を保つためのソリューションや、成功事例をベスト・プラクティスとしてリコメンデーション出来るような団体を目標としています。その意味で、このRISはSMPTEの中でも現在最もホットで、吟味されている新しい試みとなっています。

The On-Set Virtual Production Initiative|SMPTE

RISの中には、3つの大きなグループがあります。

  1. バーチャル・スタジオのオンセットで使うシステムについて検討するグループ
  2. エデュケーション。人材や生徒にどのように教えていくべきか、また学んでいくべきか等の情報を、まとめて提供出来る事を目指しているグループ
  3. システムやフォーマットの互換性を保つグルーブ

ここにはEpic、Unity、そしてLux Machinaなどのバーチャル・プロダクションをビジネスとして提供している企業がいくつも参加しています。

SMPTEは会員制なので、会員にならないと規格化の議論に参加できず、規格もダウンロードできないという制約がありましたが、このRISは新しい試みとして、会員でなくても参加できる形になっています。

ただし企業として参加する場合は費用が発生する可能性もありますが、SMPTEの年会費を支払うよりはハードルが低い設定になっています。可能な限りオープンに参加できるようにしていこう、というのが狙いです。

――今、会員に関する話題が出ましたが、SMPTEの会員の構成は?

会員は、個人とコーポレートとの2種類があります。コーポレート会員は複数のレベルに分かれていて、年会費もそれぞれ異なります。上位レベルである程、1社あたりの参加できる人数の枠が増えます。

入会の条件はなく、年会費を納めればどなたでも参加できます。会員になるとスタンダート(標準規格)がダウンロードできたり、規格化の議論に参加できるというベネフィットがついてきます。

日本からも、放送機材メーカーや放送局などからの会員が多いです。特に放送やプロフェッショナル機材を扱っているメーカーは、規格に沿ったデバイスを作る必要がありますので、企業単位で入っている事が多いと思います。

――SMPTEの今後の課題

SMPTEの今後の課題として、時代の流れで「スタンダードを得るために、高い費用を支払う」というニーズが減ってきている実情があります。それに対する取り組みとして、規格を無料化していく試みが行われています。

特に小規模のメーカーさんは、多額の費用を払って、標準規格をダウンロードする事が難しい場合があります。すると、インターネット等に上がっている情報をベースにデバイスを作り、その結果、最終的には互換性がないデバイスが市場に増えてしまうといった問題も生み出しています。

また現在はオープンソースの時代で、「お金が掛かる」という事だけで学生さんからも敬遠されてしまう傾向があります。SMPTEの存在意義を高めるために、規格そのものや会員向けの会報を無料化する事を検討するなど、様々な議論を行っています。

SMPTEのサイトへ行くと、実はIMFのスペックが無料で手に入るようになっていて、これによってどのくらいユーザーダウンロード数が増えるか、実際のトランスアクションがどの位あるか等のデータを検討して、今後どのくらい無料化できるかなどを検討していく予定です。

もう1つ、今新しい試みとして検討しているのが、カメラ取得データです。映像制作の過程でカメラが取得したデータ、例えばGPSによるロケーション場所やエクスポージャー、カメラの種類などがありますが、これらの情報はパイプラインを経るに従って失われていってしまう事が多いのです。

いわゆる共通メタデータのパイプラインが、まだきちんと定義されていないのが実情です。しかしこれらの情報は、アーカイブしておくと有益情報となり、後で再利用もしやすくなります。オンセットからポスプロ、マスタリング、最後の納品までの間に、重要なメタデータをいかに規格化していくか、という議論も行われています。

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SMPTE 2022 Strategy Dayの模様 ©SMPTE

――SMPTEは、定期的にイベント等を開催していますか?

行事として大きいのは、年に1回ハリウッドのロウズ ハリウッド ホテルで開催されるSMPTE・メディア・テクノロジー・サミットという大きな会議で、最新のトレンドを含む論文を集め、論文が採用された人のスピーカー・セッションがあります。

テーマは毎年変わり、ビデオ・コンプレッションだったり、バーチャル・プロダクションだったり、業界で注目されている分野に合わせてテーマを設定しています。日本からもNHKの方が論文の発表を行っています。

日本の学生さん、そしてR&Dや研究者の方にとっては、この1年に1回の論文コンファレンスは、研究内容をアメリカの放送業界の人に知って頂くには大変良い機会だと思います。マシンラーニングを始めとする、様々なトピックを扱っていますので、ぜひ論文を応募して頂ければと思います。

SMPTEはそれぞれ支部があり、支部毎に活動が行われています。アメリカもハリウッド支部、NY支部などに分かれています。香港がヘッドクォーターになっているアジア全体の支部もあります。

そのトピックも地域によって異なり、ハリウッドは映画系が多いですが、NYだと放送系のトピック、そしてアジアはゲーム分野が多いです。コロナ前は数か月毎に開催されていましたが、コロナ以降はバーチャル開催となり、その長所を利用してレコーディングされたウェビナーがWebで公開されるので、SMPTE会員は世界中からアクセス可能になっています。

実は、今日もVES主催のホログラフィック・ディスプレイに関するパネルに参加してきたのですが、これはVESとSMPTEのハリウッド支部と共同開催で、両方の会員が参加できるものでした。

――学生会員の制度や、エデュケーション部門もあるそうですが

SMPTEには学生会員もあり、割引で会員になれるようになっています。

それ以外にも、業界内のネットワーキングのイベントや、エデュケーション、さまざまな標準規格を高校生や大学生などの若い世代に紹介するエデュケーション活動を行ったりもしています。

エデュケーション部門の大きな役割としては、コンファレンスの運営と、ジャーナル(会報)の発行があります。あと、学生の論文に対するアワード(賞)の審査や、SMPTEの存在を学生さんや若い世代にもっと知って頂き、役に立つ情報を提供していくための戦略を考えているのも教育部門の役割です。

アメリカ国内の大学と提携して、学生を支援するためのStudent Chapterを設けたりもしています。

このエデュケーション部門では無料のウェビナーが出ていて、「実際のバーチャル・プロダクションで作品を作ってみましょう」のような内容を公開していますので、興味のある方はぜひ参加されてみると良いと思います。

An Introduction to On-Set Virtual Production

また、これに対するご感想やフィードバックも、今後に反映していきたいと考えています。

――最後に、読者のみなさまにお知らせしたい事などございましたら、どうぞ

映画・放送・ゲームの各業界はテクノロジー面では共通している部分も多く、各分野で有益になる技術というのものが、必ず存在すると思います。もし、何か「標準規格化したい」というアイデアのある方がSMPTEにアイデアを投稿しやすいように、最近Webサイトを改良しました。

良いアイデアをお持ちの方は、是非お知らせください。こちらのページの「Get Involved!」から投稿可能です。

――今日はどうもありがとうございました。

▶参考サイト:SMPTEへのお問い合わせ

WRITER PROFILE

鍋潤太郎

鍋潤太郎

ロサンゼルス在住の映像ジャーナリスト。著書に「ハリウッドVFX業界就職の手引き」、「海外で働く日本人クリエイター」等がある。