META(旧Facebook)社のReality Labs Head Eric Cheng氏インタビュー。「実写VR映像のエコシステムの構築を目指して」[染瀬直人のVRカメラ最前線] Vol.33メイン写真

世界的な水中写真家でありながら、Lytro、DJI等のテック企業において、撮影監督というユニークなキャリアを担ってきたEric Cheng氏。彼は現在、Meta(旧Facebook)社のReality Labsという部門で、実写VRの制作から配信、視聴までのエコシステムを構築することに注力している。かねてから親交のある筆者は、先般、来日したEric Cheng氏に独占ロングインタビューを行う機会を得て、Cheng氏の歩んできたこれまでの半生と、彼が思い描く実写VRの未来についてお話を伺った。

スタンフォード大学時代までの生い立ちについて

――最初に、あなたの幼少期の頃の生い立ちを教えてください。

Cheng氏:

私は1975年に、米国ウィスコンシン州マディソンで生まれました。私の両親は台湾からアメリカに移住して、大学院に進学しました。彼らが大学院に通っている間に、私は生まれ、そこで2年間暮らした後、父の仕事の関係で、カリフォルニアのサンディエゴに移りました。私は台湾人の両親のもと、典型的な移民二世の子供時代を過ごしたと言えるでしょう。
両親はとても教育熱心でしたが、私は学校で勉強する傍ら、ピアノとチェロを弾いていました。両親は共働きでしたので、私は所謂、鍵っ子でした。家にいて宿題をしながら、退屈して音楽を練習したり、一人でサンディエゴの渓谷を探索して過ごしていました。同時に、格闘技のテコンドーに取り組んだことも、私の人間形成に大きな影響を与えました。
初めて写真を撮影したのは、小学5年生の理科のプロジェクトのために、地元の湖で鳥の観察を行った時のことでした。父がペンタックスのフィルム式の一眼レフカメラを、私に貸してくれたのです。

――それは、どんなカメラでしたか?

Cheng氏:

機種までは覚えていませんが、ペンタックスのフィルム式一眼レフのマニュアルカメラでした。高校生の頃も、そのカメラを持ち歩いて、使い方や露出について研究していました。 その後、カリフォルニア州パロアルトに移り、スタンフォード大学に進学しました。そこで、私はコンピューターサイエンスを学びました。当時、コンピューターサイエンスの学部は、まだ比較的規模も小さかったのですが、そこにはシリコンバレーの精神が息づいていました。
大学時代は、水中の海洋生態系に興味を持ち始めました。
15ガロン(60リットル程度)の大きな水槽に海水とサンゴを入れて、魚の生態を観察するのが、とても楽しかったです。また、深夜、勉強の合間に、「アニマル・プラネット」や「ディスカバリー・チャンネル」といった自然をテーマにしたドキュメンタリー番組を沢山見ながら、もしあのような世界に行けたらと想像したものでした。大学2年の夏に、スキューバダイビングの資格を取得して、初めて海に入りました。サンディエゴの水はあまり透明ではなく、視界が悪かったため、その頃は、海が怖く感じられました。スキューバダイビングで初めてマスクをして水中に潜った時は、呼吸が可能になり、水中も良く見えたので、一気に可能性が広がった気がしました。

――当時、コンピューターサイエンスについては、どのようなことを学びましたか?

Cheng氏:

スタンフォード大学のコンピューターサイエンスは、非常に理論的でした。
そこでは、プログラムの仕方というよりは、プログラミング言語とその設計方法についての考え方を学びました。コンパイラ(ソースコードを機械が読み取れるように翻訳する仕組み)、アルゴリズム、オペレーティング・システム、機械学習などの基礎に関するクラスです。
私がコンピューターサイエンスで学んだ最も重要なことは、どんな大きな問題も、小さな問題に切り分けて考えることができるという点です。
例えば、大規模なシステムを構築する時は不可能に思えても、すべての問題を電子レベルに分解して、小さな問題を解決して積み重ねていけば、大きな問題も解決できるのです。​​

――当時は、映像や画像解析等に関係する分野の勉強は、なさっていましたか?

Cheng氏:

コンピューター・グラフィックスのコースを受講した以外は、映像や画像処理については、特に携わっていませんでした。ただし、大学時代だったかは覚えていないのですが、デジタル写真のコースを受講していました。その頃は、デジタルカメラの​​​​黎明期で、そのクラスでデジタル写真に詳しい者は、誰もいませんでした。
私たちはソニーのマビカを使っていました。解像度は640×480で、フロッピーディスクを使うものでした。それから、大学時代の終わり頃に、Agfa ePhoto 1280。その後、ニコンCOOLPIX 950や990などを使用しました。 そのようなカメラで撮影したデジタル写真が、雑誌に掲載された初期の作品になります。当時、デジタル撮影をする人がほとんどいなかったので、雑誌が先行事例を探していたのです。私がその頃試したものの一つに、可視光を遮断するフィルターを用いた近赤外線写真の撮影がありました(筆者注:多くのデジタルカメラには、イメージセンサーの前に、赤外線をカットするローパスフィルターが取り付けられている)。

――近赤外線写真では、どのようなものを撮影しましたか?

Cheng氏:

私の周りにある身近なものを赤外線撮影しました。赤外線写真では、木の葉や草などの植物は白く、空は黒く写ります。私は墓地でよく撮影をしましたが、黒い空を背景にした墓石のコントラストは、とても印象的でした。
また、赤外線や近赤外線撮影で、人がどのように映るのかにも興味がありました。
例えば、黒い目は明るく映り、黒いTシャツも白く見えます。赤外線を通して見る非現実的な世界に、すっかり魅せられました。今振り返ると、それらはかなり実験的な作品でした。

筆者のインタビューに答えるEric Cheng氏(撮影:染瀬 直人)

テック系スタートアップへの就職と水中写真家としてのスタート

――それでは、大学卒業後の間のお話を聞かせてください。

Cheng氏:

私は90年代後半にコンピューターサイエンスの学位号、博士号を取得して、スタンフォード大学を卒業しました。当時は、テックブームが巻き起こっており、スタンフォードからはGoogleが誕生し、その他、様々なテック企業が登場しました。多くの学生が、起業してスタートアップの会社を創設しました。私は卒業後に、ソフトウェア・エンジニアの仕事を探し、多くの企業で面接を受けましたが、最終的に​​Epiphanyという小さなスタートアップに就職しました。入社した当初は、その会社が何をやっているのかよく知りませんでしたが、優秀な会社だということは判っていました。その当時、テクノロジー関連のスタートアップは、非常に盛り上がっていたので、そのような会社に入社することも、リスクとは感じていませんでした。その前年まで、インターンをしており、私はSEとして働いていました。丁度、スティーブ・ジョブズがAppleに戻ったばかりの頃で、私もシリコンバレーで、とても刺激的な日々を過ごしていたものです。
働きながらスキューバダイビングをしていましたが、ある時、ミクロネシアのパラオへの格安旅行を予約しました。
水中で写真を撮ってみようと思い、B&H PhotoでIkelite(アメリカのハウジングメーカー)の水中ハウジングを注文しました。それはニコンCOOlPIX 990用の最も安価なハウジングでした。
私はニコンCOOLPIX 990、ハウジング、そして、ストロボ1台を持って、パラオに到着しました。出発前に一度プールで試してみたものの、ハウジングの使い方がよく判らなかったので、使い方を探りながら、同時に上手に潜る方法も学んでいました。当時、まだ私はあまり上手なダイバーではなかったからです。
この旅行で印象に残ったことが、2つありました。
一つ目は、私たちが潜水中に目撃した20分ほどの魚の群泳の光景の記憶です。水中の世界は、ほとんどの人にとって、全く未知のものであり、そこに行かなければ、誰もその経験を得ることができないものだと感じました。
次によく覚えていることは、ハウジングの問題です。10m以上潜ると、ハウジングのボタンがくっついて操作ができなくなってしまったのです。
したがって、カメラの設定を変更するためには、浅いところまで浮上して設定を変更してから、再び潜って撮影するしかありませんでした。後日、Steves DigicamsというWebサイトのフォーラムに、その顛末について投稿しました。
すると、それを読んだIkeLightの創設者兼CEOであるIke Brighamさんが、自らメールで返事をくれたのです。
その時、Web上に何かを書いて、当事者から返事がもらえるということに、とても感動しました。Webの力とカメラのコミュニティの力に驚かされたのです。
オンラインのコミュニティが、私たちがデジタル水中写真について学ぶきっかけとして、大きな役割を果たしたことを覚えています。

水中で撮影するEric Cheng氏と、彼の作品

Lytro~DJI時代を振り返る

――あなたは写真家でありながら、DJIやLytroなどのような、ドローンや先進的なカメラを開発するメーカーでも働いていましたね?クリエイターと企業のスタッフの双方におけるアイデンティティとバランスについて、お話しいただけますか?

Cheng氏:

私は2つの別々の旅をしてきたような気がします。
パラオへの旅行の後、自分が撮った写真がメディアに取り上げられました。
それは美しいからというよりは、当時、そのようなデジタル撮影における水中写真が少なかったからというのが、専らの理由でしたが。
それがきっかけとなり、私は水中写真業界のコミュニティと出会い、エンジニアを辞めて、水中写真家になった訳です。
その後、8年間、私は水中写真家として、また、編集者としても働いてきました。デジタル写真のWebコミュニティに関わった他、紙の雑誌を2年間発行していました。
その後、私は再び、テクノロジーの世界に戻りました。
Lytroの創始者と私はスタンフォード大学の同級生でした。
また、彼はヴィオラ奏者で、私はチェロ奏者であるなど、二人には音楽を始めとする共通点がありました。
彼はライトフィールド・イメージングに関する非常に優れた博士論文を執筆しており、賞も受賞しています。私たちは写真やライトフィールド・イメージングについて、どのようなことが可能になるかについて、多くのアイデアを共有しました。彼は私に、Lytroのオフィスを見に来ないかと誘ってくれました。その当時、社員は7名でした。2010年のことです。

​​

――Lytro社は、ライトフィールド理論に基づく技術によって、後から任意に焦点を変更することが可能な画像を撮影できるカメラを、コンシューマー向けに開発・発売していたメーカですね。Lytroに参加した時、あなたの役職は何でしたか?

Cheng氏:

Lytroに入社してからの私のポジションは、DOP(Director of photography/撮影監督)でした。これは、テック企業においては、非常に珍しい肩書きです。
特にテクノロジーのコミュニティの人々に、その意味を説明するのに苦労しました。つまり、コンピューテーショナル・フォトグラフィーの仕組みの技術的な領域を理解し、製品のマーケティングとコミュニケーションのギャップを埋めて、一般の人々に橋渡しをする役割ということになります。​​テクノロジーが何に使用できるかを理解し、それを事業部門や研究チームに反映して、製品に影響を与えることを支援することが重要なミッションでした。
私は当時、Lytroのプロトタイプの一号機を試していました。
試作機といっても、イメージセンサーとレンズを備えた単なる回路基盤に過ぎませんでした。私が最終的にやったことの多くは、そのテクノロジーが何に使用できるかを調査することでした。プロトタイプを使って、たくさんの夢を描いたのですが、結局のところ、ユーザーに向けての実用化への動きは鈍かったのです。
そこから、私は会社の広報担当者になりました。
CEOのレンは、技術的な部分や経営を担当していましたが、私は専らインタビューや製品に関する講演で、新しいタイプの写真の可能性について話していました。

――Lytroの2台目のカメラの制作にも関わっていたのでしょうか?

Cheng氏:

2台目のカメラは、最初のカメラが出荷される前に開発が始まっており、私はそれについても意見を述べました。
その当時、私もデザインに携わっていたのですが、正直なところ、少し違和感を覚えました。カメラとは写真家のためにあるべきものだと思っていたのですが、デザイナーたちは、デザイン賞を受賞するようなものを作りたかったのではないかと感じたからです。そして、実際に、それはデザイン賞を受賞しました。しかし、残念ながら、写真家を第一に考えて設計されているとは思えませんでした。
でも、意見の相違で、会社を去った訳ではありません。
私が辞めた理由は、その傍らで、クアッドコプター(回転翼が4枚のマルチコプターで、ドローンの一種)をつくっていたからです。私は「空飛ぶカメラ」の可能性に、とても興味を持ちました。
当時はオープンソースの試作ジンバルとGoProを取り付けて、ドローンを飛ばしていました。私はサンタクルーズで、そうやってサーファーのビデオをたくさん撮り、オンラインで共有して話題になりました。その頃、父が病気だったので、サンディエゴに戻って彼と過ごす時間が多かったのですが、それは、将来について考える時間でもありました。
当時、DJIはドローン用のキットや部品を販売していました。初代Phantomがリリースされた時、まだ、カメラは搭載されていませんでした。
そして、DJIのマーケティング担当者がインターネットで私のビデオを見て、連絡をくれました。「君のビデオはとても面白いから、われわれと一緒にやらないか?」と言われました。
そこで私はLytro時代と同様に、撮影監督という肩書きでDJIに入社しました。DJIの事業開発のために、私に新しい北米の会社を立ち上げてほしいと頼まれました。会社は北カリフォルニアにあり、従業員が数人の小さなオフィスでした。私の役割は、航空撮影で何が可能になるかについて考察して、その道のスペシャリストになることでした。ドローンのことは、あまり知らないけれど興味があるという多くの人たちと会って話をしました。メディアにも、たくさん出演してインタビューを受けました。
当時、ハリウッドでは映画撮影において、ジンバル付きの小型ヘリコプターを使用していましたが、ドローンは、それよりもはるかに軽量ですから、撮影が容易になるのではないかと考えました。そこで私は実際にドローンを飛ばし、会社向けのコンテンツを作成することに、多くの時間を費やしました。

――あなたは、ドローンによる空撮のガイドブックも執筆されていますね?

Cheng氏:

はい。私は航空写真に関する本を出版しています。

――それでは、LytroやDJIで働いていた頃を振り返って、今のあなたに影響を与えた事柄を教えていただけますか?

Cheng氏:

私の人生の旅路は、すべてが一貫していると感じます。
私はテクノロジーを使用したイメージングの分野において、歴史を記録し、物語の作り方を変える方法に関わってきました。テクノロジーの進歩に伴って、​​ストーリーテリングの技術も適応して、進化していくことでしょう。
もう少し詳しく説明すると、そこには2つの要点があります。
一つは、テクノロジーをストーリーテリングにどのように使用できるか、創造的に追求していくことです。
もう一つは、今後、登場する新しい技術やツールを、人々が上手く使用できるように支援することでした。例えば、水中写真は非常にテクニカルなものなので、創造性を発揮する前に技術を習得する必要がありますよね。
DJIに入社した当時、ドローンも似たようなものだと感じました。
当初、誰もそれがどのように使用されるのか、理解していませんでした。ドローンというものは、全く未知のものだった訳です。
当時の私の仕事の多くは、ドローンがいかにあらゆる種類の物事のために役立つツールになり得るかを、メディアを通じて一般の人々に伝えることでした。
そして、これが自然にFacebook(Meta)におけるVRの仕事につながっていきました。

ドローンを操縦するEric Cheng氏
Eric Cheng氏の手掛けたドローンによる空撮のハンドブック「Areal Photography and Videography Using Drones」

VRとの出会い、Meta Reality Labsにおけるミッションとは

――それでは、Facebookに入社した経緯を、教えていただけますか?

Cheng氏:

実は、大学時代の友人のMike Schroepferが、FacebookのCTOになっていました。それでMikeと話していたら、彼らがVRでやっていることを見に来てくれと言われました。そこで、私はFacebook社に、Toy Boxというデモを見に行ったのです。2016年のことでした。

――それは、どのようなデモでしたか?

Cheng氏:

真っ暗な会議室でVRヘッドセットを装着して、まさに、おもちゃ箱で遊ぶようなプログラムでした。私が興味をもった点は、他の人も参加して、インタラクティブにゲームで交流するところです。ゲーム内で矢を放ったり、他のプレイヤーと協力したり、対戦することも可能でした。
デモが終わって、ヘッドセットを外し、コントローラーをテーブルに置いたのですが、実はそこはテーブルではなく、仮想のテーブルだったため、コントローラーは地面に落ちてしまいました。その瞬間に、「何てことだ、これはとても魅力的だぞ!」と思いました。
90年代当時、高校生だった私はVRに興味を持っていました。ゲームセンターにVRアーケードがあり、「Dactyl Nightmare」というゲームがありました。そう、リング上の手摺りのある台座に立って、ヘッドセットを装着してプレイするものです。
Facebookでのデモ体験は、私の子供時代や10代の頃に抱いていた夢が、20年後に突如、実現したようなものでした。​​
それから、実写のVRの撮影をするというアイデアに興味を持ち、そのようなメディアをサポートすること、つまり、エコシステムを構築したいと考えました。
Lytroに行く前、私は立体画像に関する多くの実験を行っていました。2010年の3D TVブームの最中に制作されたすべてのツールも使用しました。
また、GoPro HERO4を2台、背中合わせで保持して撮影したり、水中撮影では魚眼レンズもよく使っていました。私は、すでに超広角と立体のイメージングに精通しており、その世界にとても馴染みがありました。それらは、VRの撮影と共通点が沢山あったのです。
私が参加して、まもなく、Facebookは360°写真のサポートを開始しました。それは、最初に私が担当した仕事であり、当時、「WAR ROOM(​​​​会社の主要プロジェクトや課題に取り組むチームを戦略室に例える英語的な表現)」に属していました。そこでは、NASAなどのパートナーから、360°で表示すべく様々な写真やビデオの提供を受けていました。しかし、送られてきた素材のほとんどは、間違った形式であり、問題がありました。 彼らには、360°画像を作成する術と、それをFacebookで公開する方法についての知識がなかったため、私は彼らをサポートすることになりました。
私は技術の背景を知っているので、エンジニアや研究者とコミュニケーションができるし、フォトグラファーとして制作現場からの視点も理解していたので、過去の経験を活かせる自分のスキルは、この役割には適切だと感じていました。

――そもそも、あなたが所属するMetaのReality Labsとは、どのようなことを担っている部署なのでしょうか?研究機関(R&D)ですか?

Cheng氏:

いいえ、Reality Labsには、研究組織もありますが、それはR&Dの部門とは、また別です。様々な役割の部署が沢山存在する非常に大きな組織です。
Reality Labsは、Meta Questをはじめとしたハードウェアやソフトウェア、基盤となるテクノロジーを展開する部門です。VR、AR、MR、オペレーティング・システム、プラットフォーム自体、すべてのゲームが置かれたストア、メディア向けの Meta Quest TV、日本ではまだ展開されていませんが、Horizon Worldsのようなものが含まれます。これらすべての取り組みをサポートするために、Reality Labsの下でリサーチも行われています。
その中で、私はMetaverse Content Entertainmentに所属しており、現在、そこで担当しているのは、プラットフォーム上のショーケースのコンテンツです。没入型のメディアに特化したイノベーションチームを運営している責任者という訳です。それはゲームではなく、実写のVRです。
撮影はもとより、エンコーディングや空間音声などを含むポストプロダクション等のコンテンツ制作から、配信、ヘッドマウントディスプレイで再生され、視聴されるまでのMeta Questにおけるエコシステムの一連のフローについて、責任を持つ立場にいます。

2018年におこなわれたOculusの開発者会議 Oculus Conect 5で、プレゼンテーションをするEric Cheng氏

実写VRの課題と未来について

――実写のVRのコンテンツの領域は、普及において、まだ課題があると思えるのですが、その点については、いかがお考えでしょうか?

Cheng氏:

VRゲームに比べて、実写の没入型コンテンツは数年のレベルで遅れています。それをエコシステムとして成立させるため、また、業界として人々が生計を立てて、持続的に行えるものにするには、どうすればいいのかを模索しています。​​実写の世界をイマーシブメディアに取り入れるための道筋や基盤を作っている訳です。具体的には、資金を共同で提供しています。考慮すべきことは、パートナーがこの分野で自立できる必要があるということです。

――それは、重要な使命ですね。そのようなエコシステムの構築は、クリエイターや業界にとって、本当に大切なことだと思います。
ところで、実写のVRにおいて、エンターテイメント作品を作ることについて伺いたいと思います。教育やトレーニングといった実用的なVRは普及していますが、エンタメ向けのコンテンツは、実用的なものを作るよりも難しいと感じていますか?

Cheng氏:

エンターテイメントとして、実写のVRコンテンツや演出を、どのように構築していくべきか模索中です。個人的には、教育等のコンテンツとエンタメのコンテンツとの間に、大きな違いがあるとは考えていません。重要なのは、何が目標か、それがどれほど効果的かということです。教育に関しては、効果を測定することは簡単だと思います。教育コンテンツとVRを機能させるには、どういった魔法のような組み合わせがあるのかを理解することが重要です。
それより、学校ではどのようにして何百ものヘッドセットを調達し、コンピューターやタブレットと同じように、それらのヘッドセットを管理するか等の課題があります。したがって、普及には、さらに時間がかかるものと思われます。

――さて、実写のVRには、360°、180°、また2Dや3Dといった異なるフォーマットが存在しますが、それぞれをどのように位置付けていますか?

Cheng氏:

この形式は何に使用できるか、この種のコンテンツは何が可能かによって、使い分けるポイントがいくつかあるのだと思います。
例えば、180°3Dは制作することが容易であることと、コストも大幅に安くできるので、従来のメディアでの作業に慣れているディレクターは、360°よりも180°のコンテンツ制作に移行することが簡単です。
しかし、それは内容次第であると思います。例えばドキュメンタリーを作る場合、180°では限界を感じるかもしれません。
フレーム内のポイントオブビューをたどって境界線に到達すると、人々は瞬時に完全な没入感から抜け出てしまいます。完全に没入したい場合は、別の形式を使用する必要があるでしょう。
題材そのものと、コンテンツを作るための資金力のバランス次第だと思います。
そもそも、180°や360°しかないのも、不自然な気がしますね。
例えば、クリエイターが200°のものを作りたい、それを今すぐ15°傾けてほしいと思っても、そのようなフォーマットを共有する良い方法はありません。
それは、Meta Quest TVやYouTubeにおける配信が、360°や180°の形式に特化しているためですが、本当はそのような制約に囚われずに、200°なども可能になるべきだと思うのです。

――それでは、次に核心的なことをお伺いしますが、実写のVR映像、つまり、イマーシブ(没入型)ビデオとは「映像」ですか、それとも、「体験」でしょうか?

Cheng氏:

それについては、人によって、様々な考え方があるでしょう。
新しい形式のメディアであるため、それを的確に説明する方法が、まだありません。基本的には、動画のような感じですよね。
したがって、どちらであるとは断言できませんが、ちょうどその中間に存在します。確かに、没入型の体験のように感じることはできると思いますが、基本的にはタイムライン上で展開するストーリーとして存在するため、コンテンツをインタラクティブに操作したり、変更を加えたりする機能などはなく、ユーザーによる主体性はありません。インタラクティブな体験というよりは、確実にビデオに近いものになります。
また、360°動画に慣れている人は、まだそれほど多くありません。だから、監督は見せたい場所に、彼らを上手に誘導しなければなりません。
360°動画では、360°の空間で迷子になってしまう人が多いのです。なぜなら、自分で主題を見つけるように求められた場合、ユーザーは事実上、リアルタイムのディレクターになることを求められることになるからです。
そして、誰もがそれを行うのが得意なわけではありませんから、見る人に負担を与えてしまう場合があります。それは、彼らが物語を受け入れることを、より困難にするでしょう。
したがって、何らかの物語やプロットがある場合、360°動画にとっては、例えばナレーションのようなガイドが、とても重要になるのではないかと感じています。ジェット機のコックピットに座って、単に周りを見回しているような体験を記録する場合は別として。

――近年、世界的に有名な映画祭などでは、XR的な要素が加わった作品が登場しています。それらはVR体験内で、物語の方向を選ぶことができたりします。
実写のVRコンテンツのストーリーテリングについて、ご意見はありますか?

Cheng氏:

大変面白い実験だと思います。 ただし、興味深いとは思いますが、それが今後の有力なメソッドになるかどうかの確信はありません。
つまり、どこを見ているかに基づいて、物語を変える可能性のある選択肢の存在ですね。左側の人に注目すると、その方向にストーリーが分岐するかもしれません。
しかし、それはまだあまり普及していません。配信形式にも課題があると思います。それをサポートするフォーマットがないのです。
そのためアクセスが難しく、視聴できるユーザーもそれほど多くありません。
結局、フェスティバルなどでのワンオフ(一回限り)のショーになってしまいます。したがって、このフォーマットが急速に発展することはないでしょう。
個人的には、それらを観ていると何かを見逃してしまうのではないかと気になってしまいます。最適な選択は何だったんだろう?なぜ監督がそれを選んだのか?
そう考えていくとちょっと、落ち着かないですね。

――まるでマルチバース(多元宇宙)のようですね。さて、次にVRヘッドセット等のデバイスについて伺いたいです。

Cheng氏:

Meta Quest 3について、私が共有できることは、すでに公開された内容となりますが、解像度が高く、処理が高速であり、そしてMR機能を可能にする高解像度カラーパススルーを備えているということです。私たちは、この技術がMRのレベルを格段に押し上げるだろうと考えています。また、パススルーが向上したことで、限定的であるにせよ、180°と360°において、MRの要素を備えたイマーシブメディアには、多くの意味がもたらされるでしょう。

――来年、発売が予定されている Apple Vision Proについて、何かコメントはありますか?

Cheng氏:

個人的には、業界の可能性が広がることに興奮しています。
立場的にはそれ以上のことは言えませんが、それはVR業界にとって、きっと素晴らしいことになるでしょう。

――VRコンテンツは、ヘッドマウントディスプレイを通して、視聴してもらいたいですか?Looking Glassやソニーの空間再現ディスプレイのような裸眼立体視のディスプレイ装置については、どのように考えていますか?

Cheng氏:

私自身の仕事においては、Metaブランドのヘッドマウントディスプレイを利用する中で、最高のパフォーマンスが発揮されることに注力しています。しかし、VR業界自体が盛り上がるなら、個人的には両方を支持します。

――あなたは、エミー賞等のアワードで、受賞またはノミネートされた高品質な実写のVRビデオ作品を制作してきました。これまでに作ったコンテンツの中で印象的なもの、または、お勧めのものはありますか?

Cheng氏:

最も記憶に残るもののいくつかは、ハイエンドの作品というよりは、試行錯誤して取り組んだ実験的な作品になりますね。そのような作品としては、最初のVR180°カメラが発売された時に作成した初期の二つの作品があります。「Visit to Panama」と、もう一つはシアトルの高級ナイフメーカーのボブ・クレイマーをフィーチャーした「Bob Cramer」です。
お勧めといえば、「THE SOLOIST VR」という作品も、その一つです。
この記事の読書の中には、ロープを使わずに岸壁を登ることを目的としたロッククライマー/フリークライマーのアレックス・オノルドのドキュメンタリービデオ作品「フリー・ソロ」を見たことがある方もいることと思いますが、「THE SOLOIST VR」も同様のテーマです。しかし、VRヘッドセットで見ると、全く異なる感覚があります。アレックスについて学ぶのではなく、彼と一緒に遠征に赴いて、彼の旅を体験しているような気分になります。だから、あの作品は、私が関わった中で、最も思い出に残る作品の一つです。ドキュメンタリーを別の視点から見ることができる、お勧めのコンテンツです。
私はこの作品の大部分に関わっていましたが、賞賛に値するのは、撮影スタッフとポストプロダクションを担った人たちであることに言及したいですね。なぜなら、この映画を制作することは、技術的に非常に困難だったからです。
あの映画に関わったスタッフ全員が、本当にそれを実現したいと思い、情熱を注いだ作品でした。そこには、たくさんの挑戦があったのです。

VR動画作品「THE SOLOIST VR」

Cheng氏:

それから、Atlantic Productionsの作品「Conquest of the sky」や「Micro Monsters」では、古い3Dドキュメンタリーの映像素材を使用して、それをVRに再構築しました。デビッド・アッテンボローのドキュメンタリーに基づいて、私たちが行ったプロジェクトになります。この仕事も、とても興味深いものでした。

VR動画作品「Micro Monsters」

――フェリックス&ポール・スタジオとの関係は、いかがですか?

Cheng氏:

私は彼らをとても尊敬しています。「SPACE EXPLORERS THE ISS EXPERIENCE」は、彼らの仕事の中で一番好きな作品です。宇宙ステーションの撮影に必要とされる、あらゆる技術とロジックは、途方もないものです。彼らはカメラの認証の取得を始めとして、どうやってカメラを宇宙ステーションに持ち込んで、それを遠隔制御するためには何が必要か?宇宙ステーション外部から撮影したり、また、宇宙から投下される映像データを回収するために、どうしたら良いかを考察しました。宇宙ステーションの外にカメラを設置して撮影した訳ですが、それにより、人々にこれまで決して得られなかった景色を提供しました。地球を遠くから眺める体験ができて、それはCGではなく本物の実写なのです。

――「SPACE EXPLORERS THE ISS EXPERIENCE」の360°3D撮影には、Z CamのVRカメラが使われているのでしょうか?

Cheng氏:

はい、彼らはZ Cam V1 Proを改造して使用しました。
ステレオベースライン(レンズ間の距離)が人間のIPDに近く、イメージセンサーも大きいので、われわれは、このカメラを気に入っています。
VRヘッドセットで人間のスケール感を再現できるような、人のIPDに近くて大きなイメージセンサーのカメラを、誰もが望んでいることと思いますが、残念ながら、現在、そのようなカメラは市場にはありません。

VR動画作品「SPACE EXPLORERS THE ISS EXPERIENCE」

――ところで、Facebook社はMetaになり、メタバースがバズワードとなりましたが、メタバースと実写のVRの関係については、どのように考えていますか?

Cheng氏:

それは良い質問ですね。
VRメディアで考えられる未来の一つは、SF映画で見られるように、デバイスやインプラントを装着することにより、個人がホログラムのような記憶を追体験できるようになるということです。しかし、そこに到達するには、多くの課題を克服する必要があります。特に実写VR映像の場合はそうでしょう。
最終的な目標は、現実に新しいレイヤーを追加することです。
VR、AR、MR等のそれぞれのインタラクションの形式において、実写がどのように機能するかについて、現在、研究中です。
長期的な目標は、私たちの周りの現実に重なる永続的なレイヤーが、ウェアラブルを通じて可能になることだと思います。
私にとって最もエキサイティングなことは、メタバースにおいて実写や思い出がどのように表現され、フォーマットや可能性の面で、どのように発展していくのかを解明する旅に参加することです。物語がどのように進化していくのかを見るのは、とても楽しいことですから。

――最後の質問です。実写のVR映像作品の制作について、個人的には、どのように取り組んでおられますか?

Cheng氏:

私は個人的な出来事や思い出を記録するために、私生活を180°3Dで撮影しています。これまでに、妻の両親の移住生活についてのインタビューを記録しました。
それから、去年、友達が亡くなったんですけれど、生前に彼を撮った180°3Dの動画を遡って見返すと、それは今、私が体験できる彼の最も忠実な再現だと感じます。これらは、私が行った最も特別な記録になりました。大規模な作品ではありませんが、通常のビデオよりも、はるかに刺激的な方法で撮影された個人的な思い出です。それは存在に最も近いメディアです。
したがって、周囲のものを180°3Dで撮影できることは、とても特別なことなのです。

この夏、Cheng氏は、山梨県北杜市で行われた花火大会で、180°3Dの撮影を実施、筆者も、そのプロジェクトに協力した。遠くの花火を撮影するために、キヤノンEOS VR SYSTEMを2台用いて、ステレオベースを離して設置するEric Cheng氏(撮影:染瀬 直人)

まとめ

Eric Cheng氏は水中写真家として、また自然保護の活動家としても有名であるが、近年は、Lytro、DJI、そしてMetaにおいて、テクノロジーとクリエイティブを結ぶ架け橋としての重要な役割を担ってきた。

現在、Meta Reality Labsにおいて、彼が取り組んでいる実写のVR映像については、カメラやデバイスの進化が発展途上にあり、ストーリーテリングやプラットフォームも含めて、それぞれに課題もある。そのようなバランスの中で、マネタイズも交えた実写VR映像のエコシステムを構築すべく奮闘し、成果を生み出しているCheng氏の理念と行動力に筆者は共感する。今後の彼の活躍に期待すると共に、実写VR映像の発展と未来が楽しみに思えたインタビューであった。

Eric Cheng|プロフィール

スタンフォード大学でコンピューターサイエンスの学士号と修士号を取得。水中写真家として活躍後、ライトフィールド技術で有名なLytro、また、民生用ドローンのDJIでDOP(撮影監督)を務める。現在はMeta Reality Labsでイマーシブメディアのディレクターを担っている。最先端の制作技術のパイオニアであるCheng氏は、これまでにエミー賞にノミネートされた9本の作品を含む、VR向けの多数の没入型メディアのプロジェクトをサポートおよびプロデュースしている。また、TED、SXSW、CES、NAB、Oculus Connectなどで、数々の講演やセミナーを行なっている。

WRITER PROFILE

染瀬直人

染瀬直人

映像作家、写真家、VRコンテンツ・クリエイター、YouTube Space Tokyo 360ビデオインストラクター。GoogleのプロジェクトVR Creator Labメンター。VRの勉強会「VR未来塾」主宰。