撮影:山下 奈津子

知る人ぞ知る映画の殿堂で開催されるマニアの集い

皆さんは、ハリウッドにある映画館『エジプシャン・シアター』をご存知だろうか。ハリウッドの映画館と言えば『チャイニーズ・シアター』が観光名所としても世界的に有名だが、このエジプシャン・シアターも1922年築の由緒ある映画館である。

現在は一般の劇場公開用ではなく、アート系シアターとして過去の名作、日本を含む外国作品の上映、そして不定期で特定のテーマに沿ったイベント等を開催しており、ハリウッドの映画ファンの間では有名な存在でもある。詳細はコチラ。さて、そんなエジプシャン・シアターにおいて、3月24(木)~27(日)までの4日間、映画「スタートレック」シリーズの1作目から6作目までを大スクリーンで一挙に上映するというマニア垂涎のイベントが開催された。

  • 『スタートレック (Star Trek: The Motion Picture)』(1979)
  • 『スタートレックII カーンの逆襲 (Star Trek II: The Wrath of Khan) 』(1982)
  • 『スタートレックIII ミスター・スポックを探せ! (Star Trek III: The Search for Spock) 』 (1984)
  • 『スタートレックIV 故郷への長い道 (Star Trek IV: The Voyage Home) 』(1986)
  • 『スタートレックV 新たなる未知へ (Star Trek V: The Final Frontier) 』 (1989)
  • 『スタートレックVI 未知の世界(Star Trek VI: The Undiscovered Country) 』(1991)

しかも、70mmプリントによる上映である。

映画館の大スクリーンと大音響で鑑賞出来る喜び

近年のデジタル・プロジェクターの台頭により、ロサンゼルスで70mm映写機を持つ映画館は減少したが、ここエジプシャンには健在だ。さて、筆者は仕事の合間を縫って『カーンの逆襲』『ミスター・スポックを探せ!』『未知の世界』の3本を鑑賞する事が出来た。テレビやDVDでは何度も観たこれらの作品を、映画館の大スクリーンと大音響で鑑賞出来る事は特別の感慨があった。また、このイベントには連日『スタートレック』ゆかりのスペシャル・ゲストが登場。『カーンの逆襲』25(金)ではスールー艦長でお馴染みの俳優ジョージ・タケイが、『未知の世界』27(日)では監督のニコラス・メイヤー(「カーンの逆襲」「未知の世界」を監督)が登場し、それぞれの心境やあまり知られてない制作秘話等を披露し、ファンを喜ばせた。

下記に、筆者の意訳により、その模様を抜粋してご紹介しよう。

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ジョージ・タケイ氏(右)

私は、これまでに何百回となく『スタートレックII カーンの逆襲』を観ています。しかし今回の鑑賞では、特別な思いがありました。ご存知のように先日、東日本で大規模な地震が起こりました。震災の被害は多大で、沢山の尊い命が奪われました。そして、被害を受けた福島の原子力発電所の動向を、世界中が固唾を飲んで見守っているのは、皆さんもご存知の通りです。『カーンの逆襲』のクライマックスで、スポック(レナード・ニモイ)が身を挺して原子炉を開け、エンタープライズ号のエネルギーを復活させるシーンがありましたが、今日、私の中ではスポックの姿が原子力発電所で復旧にあたっているであろう方々の姿と重なり、これまで感じた事の無かった、特別な気持ちが込み上げてきました。その意味では、大変感傷的な気持ちで今日の上映を観ました。1日も早い被災地の復興を祈っています。

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ニコラス・メイヤー監督(右)

実は『スタートレックVI 未知の世界』が企画された当時、その滑り出しはスムースとは言えませんでした。私は当初、制作費として$30million(注:$1=100円で換算すると30億円相当)を見積もりました。$20millionは主要クルー&キャストへ行き、$5millionが制作費やbelow the line(売り上げに応じた印税を受け取れない、現場クルーやポストプロダクション等)へ、そしてVFXには$5millionを考えていたのです。これに対してパラマウント映画のCEOだったフランク・マンキューソが我々に提示して来たのは$25millionでした。当時、$5millionの減額は大きく、VFXの予算を削って映画の完成度を落とす事はどうしても避けたかった。そこで、私は$30millionを確保する為、マンキューソを説得しなければならなかったのです。しかし説得は失敗に終わり、マンキューソは「この映画の企画はキャンセルする」という残念な結論を出しました。当時私はロンドンに住んでいて、このプロジェクトの為、家族と共にLAに長期滞在していたましたが、映画そのものがキャンセルになってしまったので、ロンドンへ帰る準備を始めました。

しかしその直後、マンキューソがパラマウントのCEOを退く事が正式決定し、社内情勢が変わり始めました。こうして再び制作にGOサインが掛かり、この映画は日の目を見る事になったのです。ストーリーのデベロップメントも難航しました。シリーズの生みの親であるジーン・ロッデンベリーは、私が出したアイデアを全く気に入りませんでした。最初の打ち合わせは、会議室でロッデンベリーのチームと、私のチームが机を挟んでにらみ合い、かなり険悪なムードの中で行われました。しかし不幸にも、この映画の制作途中にロッデンベリーが亡くなり、結果的には私やレナード・ニモイのアイデアが多く採用される事になったのです。米ソの冷戦終結等、当時の時代背景がストーリーに盛り込まれ、オリジナル・シリーズの出演者がエンドロールでサインを入れる演出を加え、亡くなったロッデンベリーへのトリビュートの意も込めて、この映画は完成したのです。

…と、以上のような貴重なイベントであった。

ハリウッドでは、時々このような「一生もの」の価値があるイベントに参加する事が出来る。そういう機会がゴロゴロ転がっているのも、映画のお膝元の街ならではと言えるかもしれない。

WRITER PROFILE

鍋潤太郎

鍋潤太郎

ロサンゼルス在住の映像ジャーナリスト。著書に「ハリウッドVFX業界就職の手引き」、「海外で働く日本人クリエイター」等がある。