「ゴルディアスの結び目/Gordian Knot」とは何なのか?

今月から新たなコラムを始めさせて頂く。その前に…。コラム名の「ゴルディアスの結び目/Gordian Knot」について簡単に触れておこう。

「ゴルディアスの結び目」とは、”Cutting the Gordian Knot”に由来する西洋の諺である。かつてフリジア国のかつての国王ゴルディアスが、牛車を繋いでいた非常に複雑な結び目をほどいた者こそが後にアジアを支配するであろうと予言した。結び目をほどけないまま大勢の挑戦者が項垂れた。そこに、かのアレクサンダー大王(アレクサンドロス三世)がフリジア訪問時に、剣でその結び目を一刀両断にして解いたという。やがてアレクサンダー大王として広大なアジアを統治したことは言うまでもない。

「ゴルディアスの結び目」とは、まさに混濁する映像業界テクノロジーの現状を形容したもの。様々な製品とワークフローが混在し、すぐに次々と出て来る新たなテクノロジーにユーザーは翻弄され、現業に追われるプロにとってこれらは複雑な結び目となってしまう。なかなか明快な解決策が導き出しにくい映像制作業界の現状において、誰がアレクサンダー大王のような解をもたらすのか?

このコラムではそんな命題を掲げつつ、あまり表には出てこない製品開発の裏事情やエピソードなどを紹介。果たしてここで”Cutting the Gordian Knot”となるソリューションまでを紹介出来るかは未定だが、いま混沌とする映像技術を少しでも紐解くことで、見えて来る現実もあるだろう。そしてそこには”ちょっと先の未来”としての、目から鱗の解決策が隠れているかもしれないというのが筆者の思いだ。

時代は「デジタルシネマ」である

EOS C500を使って撮影された4K映像は、エミ・マイヤーの新曲「Galaxy’s Skirt」のPV。(撮影:石坂拓郎 J.S.C. D:松永勉)

2012年1月、富士フイルムが映画用フィルム(撮影用、上映用とも)の生産・販売を、来年2013年3月で中止することを発表した。これにより来年以降、フィルムによる映画やCMの撮影・上映することは現実的では無くなった。折しも各メーカーのシネマカメラの台頭が進み、制作現場もフィルムからフルデジタル(ファイルベース)に移行している。それ故の決断もあるだろう。特にポストプロダクションにおけるワークフロープロセスはすべてデジタルスルーのほうが遥かに作業効率が良いのは周知の通りである。その中で、その入り口となるシネマカメラは次々と進化している。”Think about Canon Log:“のコラムでも取り上げたが、 初回は、いよいよラインナップが出揃い、先のInterBEE2012でも話題となったキヤノンのデジタルシネマカメラ『CINEMA EOS』に焦点を当ててみる。

Galaxy’s Skirt | エミ・マイヤー

撮影:石坂拓郎 J.S.C. D:松永勉

10月に4K/2KをRAWデータで撮影可能な「EOS C500」を投入し、いよいよ本格的に映画の世界へ参入を伺うキヤノン。InterBEEブースにおける4Kシアターでのデモ上映でその画質もレベルの高さを証明した。また参考出品の同社4Kモニターのデモ映像を通して見ても、そのクオリティは映画・CM向けとして最高品質に充分値するものだ。画風はフィルムトーンとは少し違いREDのようなノイズ感も少なく、またソニーのようにビデオの延長線上といった印象のモノとも違う。

EOS C500の4Kデモ映像「Galaxy’s Skirt」PV撮影より。カメラ本体とレコーダー(codex ONBORAD S Recorder)+業務用バッテリー+EFシネマレンズ30−300mmを使用してもこのサイズなのは魅力的

むしろEOSカメラ(スチル)の延長線上にある、いかにもキヤノンらしいシャープな味わいを持っている。また「EOS C300」とはやはりグレードの異なる機能を備えていることからも、映画・CM関係者なら誰もがすぐにでも使ってみたいだろう。しかしこのカメラは周知の通り、外部のレコーダー部分が無ければ、4K/3K、HSの収録は出来ず、EOS C300と同機能のHDカメラとしてしか使用できない。しかもレコーダーに純正品は存在せず、すべて他社製品である。

野外ロケでは、カメラとレコーダーを分離することで、森の中や狭い場所のシーンでも、例えばDSLR用のスライダーなどが使用できる。特機をより軽量化でき、レンタル費のコストダウンにもつながる

現状として少々厄介なのは、そこから吐き出されるCinema RAWのファイルはレコーダーの種類によってプロセスの違いがあり、そこから生成されるデータ形式も異なって来る。製品によってはレコーダー内で独自処理するものや、まだバイナリーで収録されている状態からその製品に対応した方法で、Cinema RAW形式(.rmfファイル)のデータを生成、さらにキヤノンの純正ソフト『Cinema RAW Development』でDPXなど汎用展開できるデータへとディベイヤー変換(現像処理)する必要がある。さらにグレーディング後は、DCPファイルなどの上映用データに書き出すので、あの高画質を生み出すには非常に複雑なプロセスとその理解が必要になってくる。

EOS C500が発表されたNAB2012のキヤノンブースで講演したロドニー・チャーターズ氏

ファイルベースワークフローは現状のデジタルシネマの最大級の課題であると同時に、そこを征した者が最高水準の画質を手に入れる事ができる、とも言えるだろう。もっともC500のこの部分は、NABでロドニー・チャーターズ氏(TVドラマ「24」の撮影監督)も言っていたが、過渡期的なもので、そのうち時間が経てば誰かが技術で解決してくれるところではあり、むしろこのサイズで満足のいく画質を得られる4Kカメラが、この時期に出てきたことが重要であり、それを使いこなすのが人間だと強調されていた。

カメラ部とレコーダー部がセパレートである部分は、発表当初から大きな欠点と指摘されたが、実際に今回4Kデモ撮影を行ったスタッフに聞けば、それはそれで利便性があり、一体型としてしか使えないカメラよりも、特機などの使用時にはカメラ本体を小型化できるというオプションとして考えれば、大きなアドバンテージがあるのかもしれない。しかし全てのセットアップは非常にセンシティブな問題を抱えており、いくら最高画質とはいえ、日本の現状ではバジェットと時間的余裕のある作品でないとまだ使いづらいのは確かだろう。

そんな中で再び脚光を浴びているのが、実は「EOS C300」である。昨年11月、筆者は幸運にもハリウッド・パラマウントスタジオでのCINEMA EOS発表の現場に立会うことが出来た。その時の興奮はいまも忘れないが、発表と同時に聞こえて来たのが日本からのネガティブな声だ(実際には多くのツイートなど…)。8bit 4:2:2 50Mbps…なんでXF305と同じスペックのカメラを今頃出すんだ?そんな落胆の意見が多かったのも事実。しかしハリウッドのクリエイター達が見ていたところは日本のそれと大きく異なっていた。Canon Logを含むシネマカメラの新たなスタンダードの登場に沸き上がっていたのである。当時、現地にいる限りでは、このカメラは今後何かを大きく変えるかもしれない!という予感がよぎった。

いまC500が出たことで、逆にC300のDSLRと同等の筐体サイズと使いやすさ、コストパフォーマンス、そしてCanon Logの扱いやすさが国内でも再評価され、現在多くの現場でC300がさらに使われ始めている。5D Mark IIに並んでキヤノンの歴史に名を残すカメラになりそうだ。

技術力以上に違うクリエイティブ意識

ある意味で、”物理的にどうにもならないようなところをどうにかするのが、”プロ”である。”

2012年のNABで「EOS C500」の世界発表とともに同時公開された4K作品がある。Canon USAとハリウッドが制作した「Man and Beast」という作品だ。その後日本での製品発表会や、今回のInterBEEでも上映されたので実際に見ている方も多いと思うが、あの4月の時点で4K作品が存在した事は奇跡的だった。 なぜならあの時点ではCinema RAWの存在すら明確になっておらず、それを現像するソフトもまだ完成していない状況で、さらにEOS C500から出力されたデータはバイナリーの状態(映像データになっていない!)だった。それをシアターで上映できる4K作品にまで、あのクオリティで叩き起こすことが出来たのは、偏にハリウッドの持つポストプロダクションの底力である。そこには日本とハリウッドの間には技術力以上に、クリエイティブの意識に大きな差が見えたように思う。

クレーン撮影でもカメラとレコーダーの分離は有益。ただし3G-SDIケーブルの品質や電位(アース)の問題なども生じる可能性があるので、事前のカメラテストは必須

NAB2012の後、筆者は「Man and Beast」のDITとポストプロダクションを担当したLAにあるFotoKem社を訪問した。FotoKemはハリウッドでも有数の技術者を抱えるポストプロダクションだが、日本のそれと大きく違うのは、現像ソフトなど存在しなくてもバイナリーの状態であれば、ソフトを自社開発で作って成立させてしまう開発会社としての実力を兼ね備えている。日本のポスプロと大きく違うのは、クリエイティブを成立させるためならば、そうした未知の領域のソフト開発などをゼロから立ち上げる力がある。

もちろん日本のプロダクションもやれる能力はあるのかもしれないし、技術的には可能なのかもしれない。しかしクリエイティブの世界に身を置くならば、分かっててやらないのはやれないに等しい。予算の問題ももちろんあるが、お金が無くてもやる人はやるのである。8bitだから出来ない、10bitじゃなきゃダメだとか、何が無きゃ出来ないという能書きはポスプロに必要ないのだ。ハリウッド・ポスプロのクリエイター達は、GoProだろうがミラーレス一眼ムービーだろうが、ALEXAの映像と並べてもシアター上映できるレベルに持っていく!というのが彼らの仕事であることが解っている。そして彼らはそれが出来るからプロとしてやって行ける事も知っている。しかもこの時代、やれないという言い訳は利かないほどツール環境は整っている。

日本は、その部分ではハリウッドに比べてプロ・クリエイティブの意識が低いように思う。またそういうチャレンジができない状況を作っている日本の映像業界の様々な慣習にも見直すべき点が多そうだ。EOS C500も4K映像制作も、現状では与えられたままの状態ではなかなか稼働させる事が難しいかもしれないが、何でもかんでもちゃんと揃ってないと出来ない(作れない)という考え方は、そろそろ卒業したほうがいいのかもしれない。逆に、先に出来たところは他者より先行できるという特権は必ずあるのだから…。

WRITER PROFILE

石川幸宏

石川幸宏

映画制作、映像技術系ジャーナリストとして活動、DV Japan、HOTSHOT編集長を歴任。2021年より日本映画撮影監督協会 賛助会員。