取材/文:鍋 潤太郎
はじめに
さて、映画の賞レースのシーズンの到来である。それに先立ち、1月9日(土)夜、ビバリーヒルズにあるアカデミー(米国映画芸術科学アカデミー)の試写室Samuel Goldwyn Theaterにおいて、第88回アカデミー賞 視覚効果部門の候補作品、すなわちノミネート作品を選定する為の試写会「BAKEOFF」(ベイクオフ)が開催された。今回は、その話題をご紹介させて頂く事にしよう。
映画の賞レース・シーズン、幕開け
ハリウッドでは、年が明けるとすぐ、映画の賞レース・シーズンが始まる。特に1月から2月にかけては、ゴールデン・グローブ賞やアカデミー賞、そしてDGA(米監督協会)やWGA(米脚本家協会)、VES(米視覚効果協会)などの各映画ギルドの授賞式がこぞって開催される。特にアカデミー賞の授賞式は、世界的に認知された権威ある賞という事もあり、賞レース・シーズンの一番最後に締めくくりとして開催される。
“BAKEOFF”とは何か?
栄えあるアカデミー賞の授賞式においてオスカー像を獲得する作品は、アカデミー賞の会員投票によって各部門のノミネート作品の中から1本が選ばれるのだが、その前段階として、「ノミネート作品そのもの」を選定&投票する為の試写会が「BAKEOFF」である。
“BAKEOFF”という言葉は、元々はパンを焼き上げる製法から由来しており、アカデミー賞などの映画賞で、数ある候補の中からノミネート作品を絞る「選考会」の名称で用いられる事が多い。
BAKEOFFは、基本的にアカデミー賞の会員を対象とした試写会なのだが、会員以外の一般人も先着順ではあるが、無料で入場する事が出来る。ただ、この情報は大々的に告知される訳ではないので、結果として映画&VFX業界に従事する人が「一般人」として来場する事になる。
試写室の中に入ると、ステージの両脇には“あの”オスカー像がドーンとそびえ立っており、映画関係者であれば誰もが「ここが由緒正しき聖地」である事を感じずにはいられない。ここに来ると、なんだか急に自分も偉くなったような、そんな妄想に浸れる場所でもある。
冒頭でアカデミーVFX部門の代表として挨拶&審査の進行ルールを読み上げる、「特撮の神様」リチャード・エドランド
しかも、場内を見渡すと「業界の神様」と呼ばれる人が、そこかしこにウヨウヨ。1977年の「スター・ウォーズ」であの伝説のオープニング・スクロール(パースのついた字幕が遠くへ進んでいく、アレです)を撮影し、「特撮の神様」と呼ばれたリチャード・エドランド、ILMのVFXスーパーバイザーのジョン・ノール(Photoshopの生みの親としても有名)などが、にこやかに談笑している。また、在LAのVFXスタジオ各社のリードやスーパーバイザー達も、今年のハイライト作品のプレゼンを見ようと勢ぞろい。そう、このBAKEOFFは、ハリウッドのVFX業界の首脳陣が一挙集結する試写会なのである。
今年のBAKEOFFでは、10本の候補の中からノミネート作品5本※を選定すべく、プレゼンテーションとクリップの上映が行われた。各作品の持ち時間は18分。挨拶&解説5分、クリップ上映10分(Before/After等のメイキング映像は一切含まず、本編のファイナル映像からハイライト・シーンを編集したもの)、質疑応答3分と、その内訳も細かく決まっている。
※ちなみにVFX部門のノミネート作品は以前は3本だったが、昨今のVFX作品の多さを反映し、2010年5月にノミネート作品を5本に増やす事が発表され、第83回から新ルールが適用されたという経緯がある
これが知る人ぞ知る、エドランド氏曰く「世界的に有名」(?)なアカデミー名物、赤ランプ
Q&Aが長引いて規定時間を過ぎると、「BAKEOFF名物」の赤ランプがステージ横で点灯する。これが点いたら、言い残した事は端的にまとめ、”なるはや”でプレゼンテーションを終了しなければならない規則だ。
冒頭では、リチャード・エドランドが挨拶。いよいよプレゼンテーションの幕開けとなった。
今年の10作品 プレゼンテーション要約
入場すると、この日のBAKEOFFで上映される作品リストが手渡される
今年のBAKEOFFでは、下記10作品が上映された。上映された作品と、プレゼン内容の要約は次の通り。
■Ant-Man(邦題:アントマン)
Walt Disney Studios(3D上映)
身長1.27cmサイズのヒーローという「マクロ」の世界を表現するのが最大のチャレンジ。俳優マイケル・ダグラスを30歳若返らせるデジタル・コスメディックスも行っている。この作品ではプレビズを最大限に活用した他、マクロレンズの撮影テストに時間を掛けるなど、用意周到にプリプロを行った。実物大セットにこだわり、それをマクロレンズで撮影して巨大感を出し、フォトリアルな絵作りにこだわった。
■Tomorrowland(邦題:トゥモローランド)
Walt Disney Studios
4K納品の作品だったため、それを前提としたポスプロは高解像度とハイ・ダイナミックレンジにより困難を極めた。建物、ロボット、車など、画面に登場するアイテムも多く、ショット構成は大変複雑で、プロダクション・デザインの作業量も膨大だった。1964年のワールド・フェアの再現も大変な作業だった。エンバイロメント(背景)は2Dと3Dのコンビネーション。VFXはILMが制作に1年間を費やした。
■Jurassic World(邦題:ジュラシック・ワールド)
Walt Disney Studios
ラプターの動きはモーション・キャプチャで表現。パフォーマー(モーション・アクター)の演技をモーション・キャプチャし、これを「基本動作の指標」として、全てのショットでアニメーターによるキー・フレーム・アニメーションが加えられている。今回は恐竜同士や植物とのインタラクションも多く、モーション・キャプチャではパフォーマーがアニマトロニクスを相手に演技したショットもある。プレート撮影では恐竜が動き回るセット上のエリアを予め「カラ」にして、後からデジタルで足し込んでいる。ちなみに、ティラノサウルスは「1作目と同じティラノサウルス」という設定なので、見た目が同じになるよう配慮した。
■The Martian(邦題:オデッセイ)
20th Century Fox(3D上映)
NASAの全面協力を得て、「単なるSF作品」に見えないよう、リアリティを追及している。制作には1年間を費やし、MPCやフレームストア等が参加している。マット・デーモンが絡むシーンは殆どステージ撮影。ステージでは、合成結果をリアルタイムで確認でき、演技の際の参考にした。巨大な宇宙ステーションのCGモデルは、高度なディテールが求められ、細部に渡って作り込んだ為、データ量が非常に大きくなった。
■The Walk(邦題:ザ・ウォーク)
Sony Pictures(3D上映)
真実に基いたテーマの作品だが、制作予算が$35million(日本円にして約41億円相当)しかない大変な低予算映画(ハリウッド映画の制作予算の平均は$60million[日本円にして約70億円相当]と言われている)だった。うち82%がVFXに費やされた。モントリオールのVFXスタジオが活躍し、ロデオFXやアトミック・フィクションが全30分に渡る綱渡りのシーンを実現した。この作品ではクラウド・コンピューティングによるレンダリングが活躍し、今後も採用する作品やスタジオが増えてくるだろう。
■Avengers:Age of Ultron(邦題:アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン)
Walt Disney Studios
巨大プロジェクトだった。世界中の22社の異なるVFXスタジオが参加し、総勢2,000人近くのVFXクルーが3,000ショットを完成させた。これには、VFX各社のスーパーバイザーやリードとのコミニュケーショを大切にして意思疎通を図った。ハルクはリグ・デザインから全て一新し、ウルトロンはハリウッドの平均的なデジタル・クリーチャーの10倍くらい大変だった。全ショットを通じて最も大変だったのは、市街地での大バトル・シークエンスだった。
■The Revenant(邦題:レヴェナント:蘇えりし者)
20th Century Fox
VFXショットは680ショット程だが、上映時間156分のうち122分に何等かのVFXが含まれている。この作品でのチャレンジは「観客にVFXだと気づかれないVFX」が求められた事。ロケも撮影も超大変だった。簡単な事は何ひとつ無かった。最大の難関はレオナルド・ディカプリオと熊公との大格闘シーンで、監督から「このシークエンスの出来が悪ければ、映画全体がダメになる」と言われ、プレッシャー大だった。ILMを始めとする12の異なるVFXベンダーが参加した。
■Star Wars: The Force Awakens(邦題:スター・ウォーズ/フォースの覚醒)
Walt Disney Studios
JJとの初コラボであり、ファンの期待も大きく、プレッシャーの大きい作品だった。VFXは2,100ショットにも及んだ。基本的には、撮影で実現出来ない映像をVFXで埋めていく。部分的にIMAXカメラによる撮影ショットも含まれている。惑星ジャクーで走るレイとフィンの近くで起こる爆発は、撮影時に火薬による本物の爆発を撮影し、デジタルで多少の調整を入れている。宇宙船のコックピットのショットは(フライト・シミュレーターのような)モーション・ベースで撮影。最高指導者スノークは、モーション・アクターとしても有名な俳優アンディ・サーキスが演じた。新しいツールの開発により、砂や雪の表現が向上した他、今作では単なる2Dロトではない3Dのライトセーバーも登場している。
■Ex Machina(邦題:エクス・マキナ)
A24
エレガントで美しい、アンドロイドを映像化する事が必要だった。しかも、その表情が非常に豊かである事が大前提。それに反して映画の全制作費は$15million(約17億円相当)という超低予算だった。撮影ではクルーの残業が発生しないよう努める等、可能な限り予算を節約し、その分をVFXに充当した。撮影期間は6週間、ポスプロは9ヶ月。最も大変だったのは、体のトラッキング。ちなみにグリーンスクリーンは一切使用していない。ガラスを通して見えるシーンや反射が多く含まれるシークエンスの合成は素材が複雑かつ膨大で困難を極めた。
■Mad Max:Fury Road(邦題:マッドマックス 怒りのデス・ロード)
Warner Bros.
VFXは2,000ショット。砂漠や渓谷のシークエンスなど、フルデジタルのエンバイロメント(背景)・ショットも多い。また、ストームの中でのバトル・シークエンスではボリューメトリック・シュミレーションを多用している。プラクティカル(撮影時のSFX)も多く、車両は150台用意され、衝突シーンや火薬による爆発も沢山撮影された。
…あぁ疲れた(笑)。このように、各プレゼンテーションでは、各映画のVFXスーパーバイザー達が、技術的なセールスポイントや斬新さなどを、ユーモアも交えてアピールしていた。
ノミネート作品5本は、これだ!
BAKEOFF終演後、ロビーで投票箱に票を投じる、アカデミー賞の会員
さて、アカデミーはこのVFXベイクオフから5日後の1月14日朝5時半(米国西海岸時間)、同じくSamuel Goldwyn Theaterにて第88回アカデミー賞の全部門における最終的なノミネート作品を発表した。余談だが、時差が3時間早い米東海岸の朝9時に合わせる為、こんな早朝に行うらしい…。
前述のBAKEOFFで上映された10本からの中から、最終的に発表された今年の視覚効果部門(Visual Effects)ノミネート作品の5作品は下記の通り。
- MadMax:Fury Road(邦題:マッドマックス 怒りのデス・ロード)
- The Revenant(邦題:レヴェナント:蘇えりし者)
- Ex Machina(邦題:エクス・マキナ)
- The Martian(邦題:オデッセイ)
- Star Wars: The Force Awakens(邦題:スター・ウォーズ/フォースの覚醒)
そして、この後にアカデミー会員の最終投票を経て、最終的に1本だけが選び抜かれ、2月28日(日)に開催される第88回アカデミー賞の授賞式で表彰が行われる訳である。
どの作品のVFXもそれぞれ素晴らしく、甲乙つけ難い完成度で、この中から1本を選ぶのはかなり頭を悩ます事だろう。いずれにせよ、どの作品がオスカー像に輝くか、今から非常に楽しみである。