txt:宏哉 構成:編集部
初めての海外ロケ
最初にお断りしておこう。今回の海外ロケのネタだが、ほとんど写真がない。特にロケ中の写真は皆無だった。よってロケの様子は皆様の想像にお任せする。
さて、急に入ってきた初めての海外ロケ。某大企業の社内向けV製作のためのロケだった。カメラは先方指定でPanasonicのP2HDカメラ“AG-HVX200”。音声はガンマイク1本を持って行った程度。そして照明はパルサーにバッテリーライト。2007年の話だ。まだ撮影用LEDライトなど⼀般的ではない時代。海外球を丁寧に梱包して機材ケースに詰め込んだ。三脚は写真を見返してみると見たこともない三脚だった(笑)。恐らくP2カメラと⼀緒にレンタルしたものだったのだろう。
Panasonic「AG-HVX200」
人員構成はどうだっただろうか?ディレクターはいない。その代わり、クライアントというべきなのか発注元というべきなのか、なんとその某大企業の広報部長さんが直々にお出でになった。なお、技術は私1人。つまり、その方との2人旅だった。部長さんは決して映像制作畑の人ではない。ドバイで10年ほど支社勤務をされて、数ヶ月前に日本に戻ってこられたそうだ。映像に関しては素人さんだ。
私の初めての海外ロケは、映像制作部分に関しては完全に私1人で回さねばならないという、ナイスな現場だったわけだ。ただ、飛行機は完璧だった。国際線から国内線まで全てビジネスクラスである。そりゃ、日本人なら誰でも…いや世界的にも知られている某大企業だ。そこの部長クラスが乗るとなればビジネスクラスだろう。
恐らくアメリカン航空・B777型機(2007年12月撮影)
まずは、ビジネスクラスに乗ってアメリカへ飛んだ。今回のロケは2ヶ国。1つはアメリカ、もう1つがスロバキアだ。アメリカはダラスへ到着して現地支社のビルへ。撮影場所は会議室。V尺自体は全体で30秒ほどで、担当者からカメラ目線でのコメントをもらう。プロンプターなどは無いので極力コメントを覚えて頂いて、さらに部長さんが手書きしたカンペをレンズの横に出して収録した。結局⼀発撮りはできなかったので、文章を幾つかに区切って編集しやすいようにサイズを変えながら収録。さらにインサート映像用として会議をしている様子も撮影した。
とにかく、1日も掛からない撮影だ。恐らく打ち合わせから収録完了まで3時間も必要としなかっただろう。このためにカメラマン雇ってビジネスクラスで世界を飛び回るとは…贅沢なロケだと思った。
ダラスでの撮影が終われば、今度はスロバキアへ飛ぶ。ビジネスクラスで。途中、イギリスとチェコでトランジットを必要とした。しかし、ダラスからイギリスへの国際便が遅延。ロンドンでの乗り換え時間がほとんどなく、広いロンドン・ヒースロー空港を部長さんと走りに走った。搭乗予定客で渋滞していたセキュリティーゲートを「Emergency!Emergency!」と叫びながら、行列を抜かして最前列へ。すると空港職員に「荷物は1人1つまで」とゲートで止められる。通常、機内に持ち込める荷物は“手荷物”と“身の回り品”だ。“身の回り品”というのはハンドバッグやパソコンバッグに収まる物を指す。しかし、空港職員に頑なに1つと制限される。デジカメやパスポートなどの身の回り品を入れた小さめのショルダーポーチをカメラバッグと1つに纏めろと言われた。
いや、入らんし。カメラバッグもビデオカメラとバッテリーとその他でパンパンやし。ってか、急いでんねん。融通気かせや!!と丁寧な日本語で悪態をつきながら、ポーチをカメラバッグに無理矢理押し込む。もはやジッパーの閉まらないバッグを「ほら、これでいいか?」とこれ見よがしに尋ねたら「OK」と鷹揚に頷いたお前を俺は忘れない。
そんな僅かな押し問答の後、ゲートを抜けて更に長い長いターミナルの廊下を走って、もうバッグのベルト千切れるんじゃないかというほどバッグが重かった。
いよいよカルネ・チェック!!
ダラスのホテルで解いた旅装。カメラバッグの傍らに転がっている黒いショルダーポーチが“身の回り品”
なんとかチェコ行きの飛行機に間に合い、ロンドンを後にした。もちろんビジネスクラスで。チェコに到着すると、次の乗り換えまで5時間ほどあったため、ディナーはチェコの街へ出て食べることに。入国審査を済ませタクシーで街へ繰り出した。
季節はクリスマス。街は煌びやかに装飾が施され、マーケットも開かれていた。雰囲気の良いレストランに入り、私はラパンを頼んだ。短い滞在時間だったが、ヨーロッパのクリスマスを初めて目の当たりにして、感激したことを覚えている。なお、次にチェコを訪れたのはそれから丸9年後の2016年12月のクリスマスシーズンであった。
チェコ・プラハのクリスマスマーケット(2007年12月撮影)
さて、いよいよスロバキアへ移動する。荷物はバゲージスルーですでに飛行機への積み込みは終わっている。フライトは1時間程度だったが、こちらもビジネスクラスだった。とはいえ左右2列ずつの小さな旅客機で、ビジネスクラスは機体後方。シートもエコノミーと同じでエリアをカーテンで区切られた簡素なもの。ドリンクサービスがあっただけだった。
そして最終目的地であるスロバキアはコシツェへ。コシツェはスロバキア第⼆の都市。だが、国全体が田舎のようなものだから、第⼆の都市といえども大きくない。コシツェ国際空港に降りたった瞬間、旧東陣営を感じた。飛行機のドアを出ると殺風景な滑走路。凍てつくように冷たい空気。タラップを下りて空港の質素な建物まで歩いた。景色が灰色だった。
建物に入ると、直ぐに入国審査。鋭い目つきで笑い方も知らないような青年職員が、東洋人が珍しいのか何度もパスポートの写真と私の顔を見比べる。特に質問もなく、やがてスタンプを押され無事に入国できた。ちょっと緊張の瞬間だった。
次にカルネだ。バゲージクレームにいた職員を捕まえて、カルネ処理をしたいと伝え、カスタムオフィスまで案内してもらう。その職員は、まだ20代前半ぐらいの若いお兄ちゃん。入国審査官よりは柔らかい表情で話しやすそうな雰囲気だった。⼀旦空港の建物を出て歩いて別棟へ。相変わらず外は寒く「今日は寒いけど、いつもこんな感じ?」と尋ねると「この季節は毎日寒いよ」と教えてくれた。
カスタムオフィスに着くと、職務上の肩書きがありそうな男性と女性が出て来て、カルネ処理の対応にあたった。が、ここからが大変だった。とにかくカルネの書類処理の仕方が分からないらしい。国際空港なので処理ができないはずはないが、頻度は少ないのだろう。書類棚からファイルを見つけ、過去のカルネ書類の控えを引っ張り出し、それを参考にしながら処理を進めていく。
経験がないからだろうか社会主義的東陣営だったからだろうか、カルネに記載された機材をマニュアル通り全てチェックするというのだ。あり得ない。この10年様々な国でカルネ処理を行ったが、全量チェックをされたのは、この時が最初で最後だ。通常のカルネ処理は、カメラの型番とシリアル番号を確認する程度。ごく希に三脚やガンマイクのシリアル番号なども見せろと言われるが、その程度だ。カメラは基本的に機内持ち込みしているので、大した梱包は行っておらず、型番などの確認を求められても容易いが、その他の機材は緩衝材などでパッキングしている。それら全ての梱包を解いて中身を見せろというのだ。
その1つ1つの型番とシリアル番号をチェックするのだから時間が掛かる。そして確認が終わったら、今度は再び機材の梱包作業だ…。もちろん梱包するのは私だ。勘弁して欲しい。
現在、取材で利用中のカルネ(2017年9月撮影・画像処理済)
全量確認と古文書を紐解くような書類処理のため、結果、優に⼀時間もカルネ処理に時間が掛かった。なお、このコラムを書いている今、私はロンドンに滞在しているのだが、先日の入国の際に行ったロンドン・ヒースロー空港でのカルネ処理ではカメラの型番すらチェックされず、約90秒で全てが終わった。さすが国際都市というべきか。これは極端な例だが、大抵の場合は5分もあればカルネ処理は終わるものだ。
不安と不満しかなかったコシツェ国際空港でのカルネ処理を終えると、いよいよ街への移動だ。辿り着いた宿でしっかりと休息を取って、翌日の収録に備える。だが翌朝、スロバキアの山中であのような事故に巻き込まれることを誰が予想しただろうか。スロバキアでのロケはまだ始まってもいなかったのだ。