txt:鍋潤太郎 構成:編集部
はじめに
全世界に向けてディストリビューション(配給)されるハリウッド映画。そのデジタル配信の工程は複雑多岐に及ぶ。我々VFX屋にとっては、ショットを納品した後の未知の領域であると同時に、大変興味深い分野でもある。
そこで今回は、その道のプロの方にご登場頂いた。Sony Pictures Entertainmentにおいて、ハリウッド映画が劇場公開された後、各作品を様々なメディアに対応してデジタル配信する業務に長年携わって来られたという五百旗頭(いおきべ)氏。最近、人事異動で担当業務が変わられたそうだが、これまで長年担当されてきたデジタル配信にまつわるお話を、現場目線で伺ってみた。
五百籏頭 透(いおきべ とおる)
Sony Pictures Entertainment:Senior Vice President、IP Acceleration東京都出身。1993年に東京工芸大学 画像工学科卒業後、TBSの子会社 東放制作にて報道番組の映像編集マンとしてキャリアをスタート。1997年にカリフォルニア州立大学ノースリッジ校で映画理論の修士号を取得。その後、1999年にSony Pictures Entertainmentに入社。ロサンゼルスをベースに世界6都市のデジタル配信オペレーションチームを統括し、在職中の2013年、エイブラハム・リンカーン大学法科大学院にて法学博士号を取得。現在は同社のIP(知的財産)戦略に関わっている。
――Sony Pictures Entertainmentでのデジタル配信の概要をお聞かせください。
Sony Pictures Entertainmentは映画とテレビ番組の制作、配給を行っています。映画が完成すると、アメリカ国内外の映画館に配給を行います。その後、テレビ放映、デジタル配信、Blu-rayなどで更に収益を上げていきます。
テレビ番組の場合はアメリカの放送局やネット配信会社(Netflix、Amazon、Huluなど)向けに制作し、それと同時に海外の配給権を取得し、海外のテレビ局やネット配信会社での放送を許諾することで利益を上げる仕組みになっています。
その中で私は、劇場公開、機内鑑賞、ネット、Blu-ray、テレビ放送用の吹き替え、字幕の制作、暴力・性描写の削除編集、そしてマスターの納品などを行うチームをロンドン、パリ、サンパウロ、香港、東京に配置し、管理する仕事をしていました。現在は、IP(知的財産)戦略に関わっております。
――デジタル配信では、どのような作業を担当されておられましたか?
私が携わってきたのは、主に劇場公開が終了後の配給で、機内上映、デジタル動画販売、ビデオ・オン・デマンド、SVOD(定額制動画配信)、有料チャンネル、地上波、ケーブルTV、TVシンジケーションなどです。作品は新作・旧作の映画とテレビシリーズで、数千作品に渡ります。
入社した20年前の頃は、丁度HDが出たばかりでHD1000という重いビデオリールのフォーマットしかなく、記録方式もインターレースの1035でした。
その後、プログレッシブの1080に移行し、HDCAM SRテープが使用され、iTunesや世界各地のVODサービスの台頭で、デジタルファイルへの移行が加速しました。
――作業工程も複雑多岐に渡るようですが。
さまざまな作業が発生しますが、その一例を挙げますと、劇場公開用には映像だけでなく、吹替版の制作が必要になります。吹き替え版は、劇場用のマスターが完成するのを待ってからだと間に合わない事が多いので、セリフが確定したLocked Versionを使って制作作業を始めます。
この段階の映像にはまだVFX等が仕上がっていない事も多いですが、セリフを吹替するだけなので、特に作業に差し支えはありません。
劇場公開用に吹き替えられる言語の数は限られていますが、劇場公開後に販売されるBlu-ray、デジタル動画販売、SVODなどに必要な吹替や字幕は言語数が飛躍的に増加し、複雑化が加速します。
時間軸を見ても、劇場公開後に一番早い販売法であるBlu-rayやデジタル動画販売までの時間が短いため、無数の言語を制作し、一貫性・品質管理することは難しい作業です。
航空機内やテレビ用の編集を担当しているチーフ・エディターとの打ち合わせ風景
――国によって、内容や演出・設定を変更したりする事もあるそうですね。
通常、別バージョンを作る理由は、その国々にある慣習に合わせる必要性からきています。しかし、どのようなバージョンを作るにせよ、全て監督やプロデューサーの了承を得ることが必須となります。 セリフであったり、映像であったり、時にはテーマ自身が問題になるケースもあります。例えば、イギリスでは何故か「頭突き」の映像が禁止されているので、該当ショットがあれば編集でカットします。
一般的には暴力描写、性描写、宗教に関わる描写などが主な編集理由になります。また、こうした基準(Standards&Practices)は配信するメディアによっても異なります。
基本的に、地上波など多くの人が「受け身」で見られるメディアは、小さいお子さんなども偶然見てしまう可能性があるので、基準が厳しくなります。
消費者がお金を払って意図的に見る環境、例えば有料チャンネル、Blu-ray、デジタル動画販売などでは、偶然小さいお子さんが見てしまうという可能性が低く、「あくまで消費者が内容を理解して見ている」という論理から基準が緩みます。
――飛行機の中で上映される映画は、場面や演出を変更する事もあるそうですね。
機内上映では、大きく分けて2つの基準があります。
減少傾向にはありますが、大型スクリーンにプロジェクターで映写する場合は前述の通り、偶然お子さんや見たくない人が見てしまうので、基準は厳しいです。
一方、シートの後ろにあるモニターで見る場合は、視聴者が意図的に作品を選択し視聴する事と、無理して見ようとしない限り偶然見てしまう可能性が低くなる事から、基準が緩みます。
何れの上映方法にせよ、機内上映で一貫している事は、飛行機の墜落や故障シーンをカットする方針です。密閉された機内でこうしたシーンをご覧になられたお客様がパニックを起こしてしまった場合、航空会社は空港に引き返す事も出来ませんし、精神的な問題なので対処が出来ません。
故に、問題を回避するために事前にそういうシーンはカットします。前述の通り、どのような編集をするにしても、必ず監督やプロデューサーの了承を得る必要があり、スタジオ側はそうした方々と密接に編集作業を行う事で、オリジナル版のビジョンや創造性が失われないように努めます。
打ち合わせ風景
――ハリウッドの大作映画を手掛けるVFXスタジオの制作エピソードの中で、「なんと公開の1週間前に追加のVFXショットが来た」という逸話(?)を耳にした事があります。一方、ポスプロ勤務の友人にその話をしたら、「ポスプロに数週間前にショットの素材が納品されないと、全世界のディストリビューションには間に合わない」という返事が返ってきました。実際のところはどうなのでしょう?
劇場公開用のマスターを仕上げる時間軸として一般的に使われるのが「公開前4週間」という締め切り日です。しかし、これは理想的な日程に過ぎず、良質の作品を作りたいという制作者側の思いもあり、頻繁にこの締め切り日は破られます。
実際にマスターを受け取ってから、劇場配給用のDCP※を作る時間は、問題が発生しなければ実質1週間も掛かりませんが、「問題が発生する」という前提でタイムラインを組まないと、「公開日に間に合わない」という最悪の事態に陥ってしまい兼ねません。
マスターが上がった段階でQC(Quality Control)を行いますが、万が一その後のDCPパッケージ作業工程の最終QC中に問題が発見された場合は、修正が必要になります。ですから、1週間前に追加ショットが来た!という事はあり得る話ですが、決して理想的ではありませんし、事故につながる確率は上がります。
素材が納期に遅れる理由は様々で一概には言えませんが、VFXが多い作品は当然細かい作業が多いので「締め切りとの戦い」になる、と業界全般でよく聞きます。
――QCのワークフローは、どのような流れで進められますか?
QCはあらゆるステップで行われるものですが、一般的に「マスターQC」とい言われるものは目視によって行われます。経験豊かな技術者が、何度も、じっくりと普通再生で見て、問題点をQCレポートに記録します。
その他に、テクニカルQC、ソフトのみを使うオートQC等様々で、その料金も、作業が自動化されるほど安くなります。
しかし、「色合いがおかしくなっている」などはソフトではなかなか判別するのが難しく、やはり熟練した人間の目視に頼る面が大きいです。
チームとのディナー風景
――最後に、ディストリビューションの現場で、印象に残ったエピソードはありますか?
新しいフォーマットや市場が開けるときには、既存のプロセスが使えなくなり、新たな発想を要しますので、挑戦意欲に火が付きますね。HD、4K、HDRの立ち上げの時も、スタジオ側も世界中にいらっしゃる放送局や、デジタルプラットフォームの企業様も手探りなので事故や誤解も発生し、それを収拾するには高いコミュニケーション能力が大事になります。言語の壁を乗り越えるために図解で説明したり、電話会議や実際にその国に出向いて説明する事が多かったです。
最近ですと、NetflixやAmazonがグローバルSVODサービスを立ち上げた際に、非常に短いタイムラインと、前例の無い数千もの作品数を世界中にライセンスして頂きました。
通常、劇場公開用やBlu-rayで制作しない言語が加わったため、30数か国後の字幕や吹替を制作する必要があり、また、この作業を全てのメジャースタジオが同時に取り組んだ事から、世界中の翻訳者や声優さんが全く足りなくなる、という驚くべき状況に陥りました。
しかし、私の一番の思い出といえば、この仕事を通じて知り合った、妻と結婚した事でしょうか? お後がよろしいようで(笑)。
――今日は、貴重なお話をありがとうございました。
おまけ:ハリウッド映画の公開日とVFX締め切りの関係
ハリウッド映画のVFX作業の納期は、シークエンスやショットによって締切日は異なるものの、映画全体のVFX締切は通常、かなり余裕を持ってスケジュールが組まれている。例えば3月末がVFX締切、5月末に映画公開のように、大体公開日の2か月前位が締切日に設定されている事が多いように思う(中には8月末締切、11月末に公開という作品もあった)。
VFX作業の中盤には、音響用の仮納品が行われる事もあり、その場合は全てのタイミングがここでLOCKされる。これをベースに音響効果とサントラの作業が行われるためで、その後のVFX作業ではキャラクターのアクション、建物の爆発や破片の落下などのタイミングが変わらないように調整が進められる。ここで変更をしてしまうと、音響とサントラに影響が出て、予期せぬ予算オーバーに繋がってしまうためだ。
筆者がこれまで経験してきた現場では、公開4週間を切った段階で追加ショットという光景は一度も目にした事はない。いずれにせよ、今回の五百旗頭氏のお話からも、公開間際の追加ショットというのは、あまり得策とは言えなさそうである。
この辺りは映画会社側のVFXプロデューサーの手腕やハンドリング能力に掛かってくるところだが、予算を持っている人気シリーズ等は時として無茶をしてくる事もあり、そういう現場に放り込まれないといいな…とひそかに思いながら原稿を書いている今日この頃である(笑)。