映画祭の意義
私にとって海外の映画祭に参加する目的はやはり現地に出かけて、世界各地からのオーディエンスやクリエイター達の感想を直に聞いたり、そこで生まれる出会いとチャンスをモノにする事だ。最近、各映画祭がオンライン開催となり、直接参加できなくなってからは応募も止めている。
オンライン開催でも賞は狙えるが、個人的には受賞はオマケ的なものだと考えているので、そのためだけに作品を送る気にはなかなかなれないのだ。そんな訳で普段あまり気に留めていなかった国内の映画祭に目を向けてみたところ、札幌国際短編映画祭というのに目が止まった。
パッと見は他の映画祭とあまり変わらないようだったが、幸運にも音声SNSのClubHouse上でこの映画祭の創始者・プロデューサーと出会い、多くの話を聞くことができ、他の映画祭とは一線を画する特別なものである事を知った。ノーマークだったのは申し訳ないが、今年で16回を数える実績あるこの映画祭は、本当の意味で"国際映画祭"と呼べる内容と、ユニークさを兼ね揃えた素晴らしいものだと分かった。
そこで今回は創始者・プロデューサーである久保俊哉さん本人に改めてインタビューさせてもらい、そのポリシーと魅力を探って見た。
久保俊哉|プロフィール
メディア・プロデューサー/クリエイティブプロデューサー/クリエイティブコンサルタント
(有)マーヴェリック・クリエイティブ・ワークス代表取締役プロデューサー
札幌国際短編映画祭(SAPPOROショートフェスト)プロデューサー
札幌市立大学大学院デザイン研究科 講師
藤女子大学文化総合学科 講師
北海道教育大学芸術・スポーツビジネス専攻 講師
SAPPORO-ADC(アートディレクターズ・クラブ)理事
NPO法人S-Air(サッポロ・アーティスト・イン・レジデンス)理事
TEDxSapporo理事
北海道日米協会会員
日台親善協会会員
世界妄想学会会員
1957年、小樽市生まれ。広告代理店、外資系ゲーム会社、CGプロダクションを経て1998年4月独立。2006年、札幌国際短編映画祭(SAPPOROショートフェスト)を企画プロデュース。 英国で始まった「onedotzero(ワンドットゼロ)」などの映像祭も札幌でプロデュースし若手クリエーターと海外のネットワークを構築。エンターテインメントのマーケティング、ブランディングを得意分野としながらも異分の農業や科学をも領域としている。
(有)マーヴェリック・クリエイティブ・ワークスでは、広く映像全般の企画プロデュース、映像制作を行う。国内外からの映画制作などのロケーションマネージメントコーディネート、地域や行政、企業などのクリエイティブコンサルティング、クリエーターなどの人材育成/教育活動や講演活動、地域行政への新しい街づくりのプランニングやアイディアなども企画提案を行う。
──コロナ時代の映画祭の意義とは?
久保氏:
例えば三大映画祭(カンヌ、ベネチア、ベルリン)やアカデミー賞などで受賞することは、その後の作品や監督、出演者の価値がガラッと変わる商業映画の一つの頂点と言えますが、私たちの映画祭も他の同レベルの映画祭もアマチュアリズムの一つのステージだと考えています。商業主義とは違った観点で作品も選んでいますし、実際、有名な方が作ったり出演されているものが選ばれない事もありました。
オリンピックじゃないですけど、参加することに意義があるステージを作るという考えでした。最初は賞も無くそうかと考えていたんですよ。でも色々聞いてみると、やはり制作者たちにとっては励みにようなので、それならばと、編集賞や音楽賞など、事細かに賞を設けることにしました。そういう意義はコロナであれオンラインであれ、ブレることはないです。
──確かに賞をもらうと嬉しいし、うまくやれば仕事や次の作品作りにも効果があったりしますが、私が映画祭に参加するのは、やはりステージを求めての事です。もちろんそこでの出会いが次のチャンスに繋がったりもしますが、何より色んな国の人に観てもらったり、話し合ったりする事に意義を感じています。
久保氏:
札幌という地方都市でやっている以上、残念ながら北海道の映画や作家を取り上げてる地方映画祭だと誤解される事もありますが、文化庁にも国際映画祭として認められており、毎年100以上の国・地域から約3000作品の応募があります。
そして審査員も各国から私たちの"原石の中から新しい才能を見つける"という趣旨に賛同した方々にお願いし、しっかりと国際映画祭の基準を満たしています。
それに、コロナ前には札幌というこじんまりした町で、夜毎パーティーを行っていましたし、東京みたいな大都市とは違って、必ず誰かに会う。そこで濃密なコミュニケーションが生まれるんです。面白い上映セレクションとして、お酒を飲まないと入れない回があります。
入り口でアルコールチェックをして、入ってなければその場で飲んでもらう。しかもその回は"静かに観ない"という決まりもあって、みんなでわいわいガヤガヤ観て盛り上がる、これが相当盛り上がります。今年は状況次第でどこまでできるかわかりませんが、映画を通じて色んな国の人が集まります。イラン、ロシア、アジアの韓国、マレーシア、シンガポールなどの人々がパーティーや飲み会で語り合う。大きく言うと世界平和ですよ。そういうステージを用意したいです。
──私もロンドンやモナコで、こじんまりした、それでいてすごく国際的な映画祭を楽しんできましたが、正直、日本にそういう映画祭があることは知らなかったです。今年で16回目というと、大変なことです。このまま回数を重ね、カンヌやベネチアのようになっていくのでしょうか?
久保氏:
なれないし、ならないと思います。カンヌやベネチアも最初は小規模だったとは思いますが、今はすごいビジネスになっています。本当に大きなお金が動いているし、その経済的価値も大きい。対して私たちのテーマはやはり"発掘"なんです。
無名の作品をステージに上げるために行っていますので、例えば同じくらい素晴らしくて、アカデミー賞を取ってる作品と無名な監督が撮った作品があったら確実に無名の作品を取り上げます。光が当たっていない才能に光を当てるのが私たちの使命だと感じているので、そこは変わらないと思います。
もちろん映画がビジネスになることは悪いことではないし、むしろ素晴らしい事だと思います。しかし、ようやく短編映画が経済的な価値を生み出し始めていますが、本格化するにはまだ少し時間がかかると思いますし、今はインディペンデントで映画祭くらいしかスクリーンで観る機会も無いような状態です。ただそういう新しい才能と出会う場でありたいと思っています。
──"映画を作る人たち"というのが、例えばアメリカではハリウッドを頂点に、B級、マイナー、インディペンデント、学生と、綺麗にピラミッド型で、それぞれのクラスに文化的意味があるのに対して、日本ではまるでひょうたん型のようにミドルレンジがかけています。映画祭にも似たような事が言えて、大規模な映画祭以外の映画祭はまるで相手にされていないと思います。
久保氏:
例えば東京国際映画祭はこれから売り出す映画のプロモーションのような形がメインだし、その他の映画祭はただの上映会でしかないケースが多いです。それで日本では映画祭というもののイメージがあまり良くない。本当はそれぞれのレベルにおいて育成的な役割があるべきで、それは映画文化全体でシームレスに繋がってなくてはいけないと思います。
アメリカでは俳優組合の規定で、トップ俳優が下のクラスの映画に対して何度かボランティアで参加しなくてはいけないと聞きます。こういうシステム作りが日本は苦手で、業界全体の底上げとかあまり考えておらず、自分さえ良ければいいという社会になっています。私たちの映画祭では映像教育というのも掲げていて、最優秀チルドレンショート賞というのもあり、子供達に審査してもらいます。
他にも映像ワークショップも開催していますし、実際の映像教育にも力を注いでいます。映画祭をスタートさせる時、相談に乗ってもらった映画評論家の方から聞いた話だと、ヨーロッパでは映像表現が義務教育の中に入っている国もあるといいます。
例えば国語のテストで「これは何を表していますか?」みたいな問題と一緒で、"オープニングの老人の表情は何を表していますか?"みたいな問題がテストに出る。そういう題材に短編映画はもってこいだというんです。
もうその時点で映像文化のレベルが全然違ってきます。そもそも文字や言葉は習っているのに、これだけ映像が溢れている世の中で、映像表現を教えないのは不自然です。そこで私も映像教育というテーマをこの映画祭に入れることにました。
対談の総括
映像を学ぶのは高校卒業してから大学や専門学校で特殊技能として習う事が多いのだろうが、映像ももっと感覚的なレベルで子供たちに教えるべきだと私も思う。久保氏は大学で映像表現を様々な角度から教えていらっしゃるようだが、もっと早い段階で教えるべきなのかもしれない。そんな思いが映画祭という身近なイベントでこのテーマを掲げるに至った理由だろう。
実は久保氏と私は同世代で音楽好きなど、共通点も多いことから、話は留まることを知らない。単なる映画祭の紹介に留まらず、この後も文化論的な話が続いた。ぜひ、もっと聞いていただきたいので、次回も続けて久保氏のお話の中からこれからの日本インディペンデント映画、映像表現の未来を探っていきたい。乞うご期待!!!