ちょっと大袈裟だが、コンパクトフィルムカメラ(以下:コンパクトカメラ)の定義となるものを考えてみると、その名のとおり小型であることは当然として、レンズの交換はできずボディ本体に固定されていること、35mmフィルムを使うことなど思いつく。異論ある読者もいると思うが、一般論としてのコンパクトカメラの定義はそんなものだろう(APSフィルムや110フィルムなど使うコンパクトカメラもあるが、ここでは割愛させていただく)。
しかしながら、一概にコンパクトカメラと言うものの年代で見てみると違い、あるいは進化の度合いが見てとれるのはとても興味深い。特に国産のコンパクトカメラは顕著だ。
1950年代から1960年代は金属製の外装をまとい、コンパクトというにはちょっと矛盾しているが、大柄なボディを持つカメラが多い。露出計は備わっていないか、セレン光電池式を採用するものが多数を占め、露出はマニュアルもあれば、モードは様々ながらAEもあるといったところ。搭載するレンズは単焦点、ピント合わせは連動距離計を搭載するものやゾーンフォーカス式、目測式などこちらも様々である。
1970年代に入るとAEを採用するカメラや、外装をプラスチックとするカメラが増え、1977年には世界で初めての市販AFカメラ「ジャスピンコニカ」が登場。以降AFを搭載するカメラが次第に増幅してくる。1980年代はズームレンズの搭載、フィルムの巻き上げ巻き戻しを自動とし、装填すらもカメラ任せのものが一般的に。ほとんどのコンパクトカメラにAFが搭載されるようになる。1990年代になると、チタンをはじめとする高品位の金属外装を持ち、高性能なレンズを採用する高級コンパクトと呼ばれるものや、高倍率のズームレンズを搭載するものなど相次いで発売される。コンパクトカメラは時代に即した多種多様なものが登場し、ある意味フィルム一眼レフ以上に栄華を誇ったと述べてよい。
今回ピックアップする「ミノルタ/Minoltina-S」は、そのようなコンパクトカメラのなかで1964年に発売された一台。前述のとおり当時のほとんどのコンパクトカメラがそうであったように金属製の外装を持つ。露出計を内蔵しており、カメラを被写体に向けトップカバーに備わるメーターの中央に指針がくるようレンズ鏡筒に備わる絞りリングもしくはシャッターリングを調整すれば標準露出が得られる。露出計はセレン光電池式であるためバッテリーの類は不要とする。受光素子にSPDなど使用する露出計と異なり、反応はのんびりとしたものだが、実用としては十分である。
このカメラの特筆すべき部分は2つあると思う。まずひとつは当時としては大口径に分類されるロッコールQF 40mm F1.8のレンズを搭載していることだ。スナップをはじめ日常的に使い勝手のよい焦点距離であり、ボケを活かした撮影も存分に楽しめる開放絞りとする。しかも二重像合致式の連動距離計の搭載により正確なピント合わせが可能で、絞り開放でも積極的に撮影が楽しめる。写りも当時のレンズとしては優秀で、今でも十分通用するものと述べてよい。
ふたつ目は、コンパクトで薄く仕上がったボディだ。大口径のレンズに加え、連動距離計や露出計を内蔵しているにも関わらず、その大きさはユーザーフレンドリーで手によく馴染む。しかもモノとして中身の濃いぎゅっと詰まった凝縮感があり、金属製のボディと相まってつくりのよさも感じさせる。
そのようなカメラであるため、実際の撮影はとても楽しい。内蔵する露出計のメーターを使い露出を設定し、二重像合致式の連動距離計でピントを合わせる心地よい手間は写真を撮る気に大いにさせるし、精工舎製のレンズシャッターの音はキレがよい。フィルム巻き上げレバーはシンプルで素っ気ないつくりながら、その感触は上々だ。連動距離計はコストのかからない虚像式としているものの、見え具合に不足を感じるようなこともない。ちなみに距離計の基線長は実測したところ40mmほど。ファインダー倍率については、あくまでも筆者の感覚からだが、0.6倍ほどで、有効基線長は24mm前後と考えられる。焦点距離40mm、開放F1.8のレンズの距離計としては、精度的に問題になるようなことは少ないだろう。とにかくよくまとまったコンパクトカメラであると述べてよい。
そのような「Minoltina-S」であるが、現行モデル時代さほど売れなかったと言われている。時代的な背景や理由があったとは思うが、今回眺めまわし、弄りまわしてみたかぎりにいおいて、人気がなかった理由をみつけるのは難しく思えてならなかった。また、そのため中古カメラ市場で見かけることも比較的少ないカメラである。余談となるが、個人的にはこのままフィルムの代わりにイメージセンサーを積んでも面白いものが出来そうに思えるのだが、いかがだろうか。
掲載した写真の個体はかなり以前に手に入れたものである。このところシャッターの粘りが出初めているが、懐具合に余裕ができたら、知り合いで優秀なリペアマンにオーバーホールも兼ねてメンテナンスをお願いしたいと考えている。そしてその暁にはこのカメラと何本かのモノクロフィルムをバッグに詰めてどこか行ってみようと今から模索している。
大浦タケシ|プロフィール
宮崎県都城市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、雑誌カメラマン、デザイン企画会社を経てフォトグラファーとして独立。以後、カメラ誌をはじめとする紙媒体やWeb媒体、商業印刷物、セミナーなど多方面で活動を行う。
公益社団法人日本写真家協会(JPS)会員。
一般社団法人日本自然科学写真協会(SSP)会員。