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ファインダー用のビューレンズと、フィルム露光用のテイクレンズ、この二つのレンズを上下に配置し、ブローニーフィルムを用いる二眼レフは、1940年代後半から1950年代を中心に爆発的人気となったカメラだ。構造や機構がシンプルなうえ、シャッターなどアッセンブリーで業販されていたことなどからつくりやすく、日本では"四畳半メーカー"と言われる極小規模の家内制手工業的メーカーから、ミノルタやリコーなど当時からよく知られていた有名メーカーまで数多くの企業が参入した。

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ファインダー用のフードを折りたたんだ状態。二眼レフは、同じブローニーフィルムを用いるスプリングカメラやフォールディングカメラよりも大きく重いものが多いが、それでもちょっとした小型のカメラバッグに収められるほどのサイズである。写真のレンズキャップはオリジナル
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その多さを喩えるよく知られた話として、二眼レフのブランド頭文字はアルファベットAからZまで全て揃うと言われていたほどである。実際2022年に半蔵門にある日本カメラ博物館で開催された特別展「いまも変わらぬ魅力 二眼レフカメラ展」での展示では、AからZまで全てを網羅していたわけではなかったものの、同館の所蔵する国内外の二眼レフがアルファベット順に一同に展示され、我々の目を大いに楽しませてくれたことは記憶に新しい。

そのようなこともあり、昭和30年代以前に生まれた写真愛好家なら家に二眼レフが転がっていたり、家族の撮る様子など記憶に残っている人も少なくないと思う。ちなみに私自身も母方の実家に二眼レフがあり、幼稚園に入るか入らないかの時期、縁側でファインダーに浮かび上がる左右逆像の庭の様子をひとり面白く見ていたことをおぼろげながら憶えている。

1950年代末期になると急速に二眼レフの市場は縮小する。35mmフィルムを使用する小型なカメラが勢いを増やしてきたことや、同じく35mmフィルムの性能向上などによるものが大きい。同時に、二眼レフは時代遅れのカメラ、骨董品的カメラといったイメージが次第につきまとうようになったのである。それでも1980年代初頭のころまでいくつかの二眼レフが細々と生き残ったのは、ある意味、驚きと言ってよいのかも知れない。

ちなみに日本写真機工業会が発行していたその頃のカメラ総合カタログを見ると、「マミヤC330プロフェッショナルS」と「同C220プロフェッショナルf」、「ヤシカマット124G」が掲載されている。果たして当時どの程度の需要があったのか興味あるところだ。

前置きが少し長くなってしまったが、今回ピックアップしたカメラは東京光学(現 トプコン)「PRIMOFLEX AUTOMAT L(プリモフレックス オートマット L)」。発売開始は二眼レフが最後の輝きを放っていた1957年と言われる。セルフコッキング機構を備えるなど、当時の国産二眼レフとして高級機に分類されるカメラである。

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二眼レフカメラとして端正なスタイルを持つ「PRIMOFLEX AUTOMAT L」。東京光学、現在のトプコンが1957年に発売したモデルで、セミオートマット機構とセルフコッキング機構を搭載した当時としては高性能な二眼レフである。ピントを合わせるための繰出しノブが雰囲気
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ちなみに本モデルの"オートマット"とは、次の2つの機構のことを指すものと思われる。

ひとつがフィルムのリーダーペーパー(=裏紙)をスプールに巻き込んだ後、裏紙に書かれたスタートマークとカメラ側のスタートマークが合うまでフィルムを巻き、カメラの裏蓋を閉めフィルム巻き取りクランクがストップするところまで再び巻き上げると自動的に1コマ目がセットされる機構。

もうひとつがシャッターを切った後フィルム巻き取りクランクが止まる位置まで回転させると次のコマが自動的にセットされ、規定の撮影枚数である12カット撮り終わるとそれ以上シャッターを切ることができなくなる機構である。

それらをまとめて"オートマット"と呼んだようである。

ただし、本来の"オートマット"とは、フィルムのリーダーペーパーを適宜スプールに巻き込み、そのまま裏蓋を閉じ、巻き取りクランクが止まる位置までフィルムを巻き上げると最初の1コマ目に自動的にセットされる機構のことである。

そのため、本モデルの機構は"セミオートマット"と呼ばれることもある。また、本来の"オートマット"と"セミオートマット"二つの機構が備わったものを"フルオートマット"と呼ぶこともあるようだ。

いずれにしても本モデル名の"オートマット"は本来の"オートマット"とは異なるものである。なお、セルフコッキングとは、フィルム巻き上げと同時にシャッターが自動的にチャージされる機構である。

本モデルのユニークなところと言えば、簡易露出表を備えていることだろう。フィルム巻取りクランクを囲むように貼り付けられており、フィルム感度ASA(ISO)100、季節は春秋、天候晴天、撮影時間帯午前10時から午後2時までの露出を基準に、日陰やシーンなど撮影条件に応じた数値を表示。その数値と、実際の絞りとシャッター速度の組み合わせによるカメラ側の数値とを合致させると適正露出が得られるライトバリュー方式としている。

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フィルム巻取りはノブでなく、クランクとしているのも本モデルの特徴。速やかなフィルム巻取りができ、シャッターを切った後クランクの回転が止まるところまで回せば次のコマに正確にセットされる。テイクレンズは3群4枚テッサータイプのトプコール7.5cm F3.5
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また、フィルムの感度や季節、天候、撮影時間帯などに応じて補正する数値も記されており、精度はともかく実に細かく対応している。このような簡易露出表自体は当時珍しいものではないが、高級機と呼ばれる本モデルにも搭載されていたことに対し、露出計が一般的でなかった時代を強く感じさせる。

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フィルム巻取りクランクを取り囲むようにある表示はライトバリュー式の簡易露出表。数字が書かれており、その数字をテイクレンズ側面にある数字と合わせると被写体の明るさに応じた絞り値とシャッター速度に設定できる
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最高シャッター速度は1/500秒と当時の二眼レフとしては高速な部類に入るが、ちょっとしたお作法が必要なのも本モデルの特徴。他のシャッター速度とは異なり、フィルムを巻き上げる前、つまりシャッターをチャージする前に1/500秒だけはセットしなければならないのである。

シャッター機構の特性上のようであるが、もしフィルムを巻き上げた後に1/500秒にセットしたいときは、レンズキャップをレンズにかぶせ空シャッターを切りシャッター速度を1/500秒にセット。フィルムを巻き取らないよう多重露出ボタンをスライドさせた状態で巻き取りクランクを回転させシャッターをチャージさせる必要がある。ちょっと面倒ではあるが、このカメラの扱いに関する大切なお作法となる。

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設定したシャッター速度と絞り値はビューレンズ上部に表示。わざわざカメラ前面部を覗き込まなくても露出が確認でき便利な部分である。最高シャッター速度は1/500秒。レンズの開放絞りはテイクレンズ、ビューレンズともF3.5とする
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ローライフレックスのように撮影者側から見て、右側面にフィルム巻取りクランクを、左側面にはピント調整の繰り出しノブを配置するとともに、最高1/500秒のシャッター、ピントの山の掴みやすいピントグラスの搭載などなど機能とスタイル、そして品位の高い操作感を誇る本モデルは、他の国産二眼レフとは一線を画したモデルのひとつと言える。

また、それが高級機と言われる所以でもあり、当時日本光学工業(現ニコン)やキヤノンなどと名を馳せた光学機器メーカー、東京光学のカメラである証と言える。

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ピント調整のための繰出しノブ。ボディ左側面に備わる。距離表記は日本国内向けもフィート表示のみとしている。ノブの内側にはフラッシュガイドナンバー計算盤が備わる。シンクロ接点はM、F、Xから選択が可能
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35mmフィルム同様ブローニーフィルムも高騰している。それゆえ真四角の大きなファインダーでじっくりと被写体と対峙でき、渾身の1枚が得られる二眼レフは、ある意味決して時代遅れのカメラではなく、むしろ一周回って今の時代に合ったカメラと述べていいのかもしれない。

ただし、残念ながら国産二眼レフは中古市場で見かける機会がこのところだんだん少なくなってきており、また経年的に状態のよいものの比率も低下しているように見受けられる。それでもPRIMOFLEX AUTOMAT Lをはじめ中古市場で比較的安価に手に入る国産二眼レフは、今こそ注目しておくべきカメラであるように思える。


大浦タケシ|プロフィール
宮崎県都城市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、雑誌カメラマン、デザイン企画会社を経てフォトグラファーとして独立。以後、カメラ誌をはじめとする紙媒体やWeb媒体、商業印刷物、セミナーなど多方面で活動を行う。
公益社団法人日本写真家協会(JPS)会員。
一般社団法人日本自然科学写真協会(SSP)会員。