富士フイルム「X100 II」レビューメイン写真

GFX100 IIとGF55mmF1.7 R WRを使用して女性のポートレートを撮影した。基本的に時間は全て夜。LEDの定常光も持ちながらではあるが、街頭や街の明かりを活かしながらの撮影を行った。結論からいうと、非の打ち所がないカメラというのがファーストインプレッションである。

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GFX100 II×GF55mmF1.7 R WR

まず、この2つの機材の最大の特徴は、1億画素を誇る中判センサーにおいての最速のAFと、その画素数を余すことなく最大限に発揮するシャープな写りをするレンズということ。

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この写りを得たときに、自分としては「あと5歩引いて撮影してみよう」と身体が勝手に動くような感覚があった。カメラは、そのカメラの特性によって撮影者の動きを変えてくるものだと自分は考えている(例えばコンデジはその軽さ故に、存在していない感覚で、場所を選ばずシャッターを切れるし、Leicaはその至近の焦点距離が少し遠いが故に逆に一歩引いた画角が増えるなど)。

被写体との距離感から生まれる物語

このGFX100 IIというカメラは、物理的ではなく意識的に人を引かせる(被写体との距離をとらせる)ものであった。画素数の多さやフルサイズカメラよりも広い画角で撮影ができる故に意識的に引いたほうが最終の判断を撮影時に任せきらないで済む。それによって、ポートレートにおいては被写体との距離感をいつもと違うものにしたりと、普段の撮影の手癖から離れることができるのではないだろうか。

ポートレートは距離感がとても大切な要素だ。被写体と見る人(撮影者に限らず、鑑賞という意味も含めて)の距離感によって物語が生まれる。自分はその物語を感じるのも写真の楽しみ方の一種であるように感じている。

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今回はそれが上手く働いたように思う。撮影の始めは少し引いた画角で撮影をしていき、時間の経過と共に徐々に距離感を自在にしていく。その時間の流れの中で、被写体と自分の間の距離が徐々に曖昧になっていく過程を楽しむことができた。

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シンプルなスペック面ではあるが、夜のポートレート撮影、非常に光量が少ない場所においてのGFX100 IIの中判センサーはかなり大きなアドバンテージになった。感度を上げてもシャドウ部分にノイズが出づらく、また明るくなったGFレンズも大きな役割を果たしてくれた。この明るさはまた一段と撮影においての自らの動きを軽快にしてくれたように思う。

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今回、ライトは助手に持ってもらいながらの撮影だったが、本当に明かりがない場所以外では基本的にノーライトでいくことができたため、演出的に必要なければ、とにかくモデルと自分のみで動き回りながらの撮影を可能にした。

暗い場所でも合わせてくれるAF

また、AFだが、どんなに暗い場所でもいち早くピントを合わせてくれるので、「失敗の少ないカメラ」であると感じた。また画素数も相まってだが、構図的に少し余白をとって撮影していくだけで安心感のある撮影ができると思う。どれだけ拡大しても「見られる写真」なのだ。これには驚いた。先述した被写体との距離感を後処理においてどこまでも自在に操れる。それが安心感に繋がることは間違いない。EVFも相変わらず見やすいものであった。

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自分自身、普段遣いとしてGFX 50Sを使用していたのが、当たり前のように驚くほどの進化を遂げていた。写るものは間違いなくGFXの写りなのだが、それ以上にAFがすごい。速すぎる。これだけで買う意味があるカメラなのではないかと思ったほどだ。

GFX50S IIやGFX100Sを通ってきていないということもあるが、現像もかなり快適に目指す方向に転がってくれる印象があった。GFXの風味はもちろん残り続けるものの、かなり自在である。GFX 50Sはかなりピーキーな印象があった。GFX100 IIは色が安定している。思い通りになってくれるカメラだった。

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感覚的に気になること

ここからは感覚の話になってくるのだが、なんとなく自分の中ではGFXはどっしりと構えるカメラというイメージがあった。速い動きを捉えるというよりは、眼の前にあるもののアングルを考えながらシャッターを切っていくような、映像的な意味合いを考えながら構えていくカメラのイメージであった。

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しかし、GFX100 IIはそれをいい意味でぶち壊してきた。とにかくAFが速いので、「あっ」と思った瞬間にその写真を撮ることができる。これは今まで中判カメラにはできなかった動きではないだろうか。ランアンドガンスタイルが中判で実現するのは本当にすごい。ある意味フルサイズと同じような動きができるようになったというアドバンテージを得たカメラである。

ただ、それが良いか悪いかは自分にはわからない。基本的にはとても良いことなんだとは思う。何よりも、速く捉えられる。それが活きる場面は多く想像できる。スポーツ、動物、風景。これは一個人の立場からでしかないし、ある意味「昔を懐かしむ」みたいな話かもしれないが、アングルを切るための、アングルを考えるための時間を少し削いでしまうようにも感じた。速くできすぎるが故のデメリット。そんな風にも考えられるかもしれない。

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時代が追いついた感。これはあくまで自分のスタイルの中の話でしかない。カメラに縛られずに動かずにいたら良いのではないか、とも思うのだが、一歩前に出るか一歩後ろに引くかは意外と「カメラができること」に左右されるのだと如実に感じた。

ただ、そこをあえて壊すのであれば、純正のGFレンズを装着しないことだろう。AFを捨てることにはなってしまうのだが、オールドレンズなどを装着すればそんなのは関係ない。今までと同じような動きでシャッターを切ることができる。おそらく、軽快になり過ぎるのは便利すぎるGFレンズのせいだった。

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あともう一つあるとすると、レンズを含めた質感がもう一歩高くなると嬉しいのだろうか。大きいのも重いのも、もはやしょうがない。良いものを撮るためには重いのはトレードオフである。映像でもそうだ。映画用のカメラは重いし、1人だと扱えないことが殆どである。

ただ、それなのであればもう一つ価格相応の質感が出ると撮影体験を含めた「自分の持ち物」としての価値が上がるのではないかと感じた。ただ、デザインは本当に良くなっているし中判カメラにしてはかなりコンパクトに仕上がっている。ここは高く評価したい。

と、二つほど改善してほしいポイントをあげてみたものの、それはあくまで意識の話であってスペック如何は全て最高峰だ。このGFXの写りが好きな人物であれば確実に求めて然るべきカメラに仕上がっていることは間違いなかった。

市川 稜|プロフィール

1996年東京都生まれ。映像作家、VJ、写真家。武蔵野美術大学 デザイン情報学科卒業。サカナクションのプロモーションムービーをはじめ、10-FEETやsumikaなど様々なアーティストのミュージックビデオを手がけるほか、CMも監督。また、ULTRA JAPANやNulbarich、水曜日のカンパネラなどコンサートでのVJや、ハウステンボス、ジャンボジェット機へのプロジェクションマッピングを行うなど、多角的に活動中。