txt:佐々木淳 構成:編集部
「あいだ」にあるもの
前回は、映像表現と気分の「あいだ」という本連載タイトルに沿いつつ、映像コンテンツの表現と観る側の気分(読後感)のあいだに「体験(感覚体験)」という領域があること、それを私たちは「ぽさ」とか「感じ」「あや」などと呼んでいること、などについて述べた。
この「体験」の領域とは実のところ、長らく哲学や認知科学の分野で取り沙汰されてきたものだ。「体験」の共通性から発するメタファー(例えば、スズメの涙もボーナスも「申し訳程度」という少なさの感じ、ぽさが共通している)については、すでに紀元前アリストテレスが相当程度に形式分け・カテゴライズをしていた。
また私たちがある対象(=コンテンツ・世界)をどのように把握しているのか、という認知のあり方についてはすでに17世紀、スピノザが論じている。19世紀以降では、ざっと挙げればC.S.パース、E.フッサール、ゲシュタルト心理学派の研究者たち、J.J.ギブソン、J.P.レイコフらがこうした領域に関わる研究を行ってきている。これらの詳細については今回は省くが、現代フランス思想家のジル・ドゥールーズは以下のように述べている。
観念とは思考の様態のことであり、観念は思考という属性のなかにしかその原因(作用因と形相因)を見出すことができないのだが、その一方で同様に、いかなる対象であろうとも、この対象がその様態となっていてこの対象がその概念を包含している属性のなかにしか、その作用因も形相因も見出し得ないということなのだ。
難しい文章ではあるが、やや乱暴にまとめるならこうなる。すなわち私たちがある対象を見るときに、その対象には“私たちがなんらかの観念を惹起してしまう”なにかのトリガーがあり、それによって我々の観念が作動するのであると。
さらに意訳すればこうなる。私たちが例えば映像コンテンツ—TVCMなど—を見るときに、そのコンテンツは(なんらかの成分的な特徴によって)私たちの中になんらかの観念を惹起する。その、観念が惹起される意識の現場、それが体験なのである。
つまり「ぽさ」「感じ」「あや」が湧き出るタイミングのことである。その後これが言語化されて「読後感」や「感想」などが生じるが、体験はこれら「読後感」や「感想」に先行し、それらを引き起こすもの、といえる。とても微妙だが大事な部分なので、なんとなく合点がいったなら幸いである。
というわけで、体験は「映像コンテンツ(の表現)そのもの」とも「読後感」とも違う。その「あいだ」にあるもの、なのである。
「あいだ」にあるこの「体験」、これをどういう風に表せて、しかもそれにはどんな類型があるのか?がわかるなら、コンテンツと人間感覚・感情をブリッジするための道具を、私たちは手に入れたも同然だろう。
世にあまたある映像コンテンツ(クリエーターであれば自分の作品でもよい)についても、この「あいだ」、すなわち体験がどうなっているのか?という側面から分類することが可能になる。
これまでのコンテンツ論(映画論・物語論など)はその多くが「コンテンツ表現そのもの」の分析に留まっており「読後感」との紐づきは論じられてこなかった。他方で人間の感情については、心理学や脳科学による研究も多いものの、筆者の知る限りコンテンツとの紐づきについては、すなわちどんな原因や表現によって感情=読後感が惹起されるのか、という点には殆ど踏み込めていない。
つまり「コンテンツ表現そのもの」の分析と「感情(≒読後感)」の研究はそれぞれあるものの、結線されておらずバラバラだったのである。この結線・ブリッジのためにも「体験」という「あいだ」の領域は重要なのだ、と筆者は考えている。
「ぽさ」の類型
ということで、ここからは「体験」がどのようにに表せて、しかもそれにはどんな類型があるのか?について見ていくことにしよう。今回は主に筆者のフィールドであるTVCMの体験において、どのような「体験」の類型があるのかを具体的に見ていきたい。
今回はわかりやすい3つの体験の型について取り上げてみることにする。まずは以下の3本のTVCMをご覧頂きたい。
■Aタイプ
■Bタイプ
■Cタイプ
かなり以前のCMなので、なかなかリアルな読後感=気分を現在形で感じることが難しいかもしれないが、それでも概ね、Aタイプについては「ハートウォーミング」、Bタイプは「うまい!そうくるか!見事、面白い」、Cタイプは「イカす、かっこいい、おしゃれ、憧れる」のような読後感へ誘うTVCMである、ということについては理解頂けると思う。
こうした読後感は商品やブランドが目指しているもの(それ故にクリエーターが目指しているものでもある)であり、ここがずれると何度もCM編集をやり直すことにもつながっていく。読後感、すなわち観る側の気分的着地がどうなるか、ということには当然ながら細心の注意が払われている。皆様もご存知の通りである。
特にCMは映画や小説と違い、短い尺において殆どが1つだけのストーリーテリングを行うもの、だからこそ読後感も分散しずらく、ブランドや商品世界を明確にしやすい。つまり上の例でも読後感は概ね、一定の方向へきちんと収斂していく。
続いて以下の3作品も見ていただきたい。
■Aタイプ
■Bタイプ
■Cタイプ
多少の誤差はあるだろうが、先の3本と同タイプ同士であれば、読後感がほぼ共通するのがわかるだろう。さて、ここからが問題だ。読後感の類似のタイプ=類型についてはまあ分かるが、ではその読後感を惹起する「体験」、「ぽさ」ってなんなんだ?という点だ。
これを手繰り寄せるための、「あらかじめの理論」や「トップダウンの正解」など最初はない。まずはサンプルCMたちの「映像コンテンツ表現そのもの」を丹念に見ていく中でボトムアップに浮き上がってくることを手掛かりにしていくしかなく、愚鈍にそれをやっていく。
例えばAタイプの2本については、音楽の方向が近い。「しっとりしたピアノっぽい」音楽である。またストーリーのモチーフは「ある風土の中の日常」という点で共通している。「モノローグでの語り」という語りの手法も似ている。
これら共通点を抜き出しながら更に何度も観ていくと、手法と読後感の「あいだ」が掴めてくる。描かれている風土や人々、すなわち共同体が「回帰すべき共同体」として描かれていることが見えてくる。そうである。仮説できるのは「(共同体に)帰属回帰する感じのする体験」だ。もっとシンプルに言えば、「回帰っぽい」体験である。これによる読後感はさきほど確認済みの通り「ハートウォーム」あるいは気持ちが落ち着く感じだ。
まとめると、Aタイプにはコンテンツの要素として「ある風土、共同体」つまりホームグランドとしてのモチーフに加え「しっとり」「モノローグ」という表現要素があることで「回帰っぽい」体験が現出する。この体験によってハートウォーム、ほっこり、ほっとする、沁みる、などの感情が惹起される、ということになる。
逆に言えばハートウォーム、ほっこりという感情が生起するなら、その原因としてなんらかの「回帰っぽい」体験が潜んでいると推定することができる。このAタイプの体験を筆者は<「帰属・回帰・愛」型>と呼んで類型化している。
Bタイプについてはどうだろう。読後感「うまい!そうくるか!見事、面白い」は近いだろうが、手法は様々に異なる。しかし、双方とも諧謔の精神で創作されていることは共通であり、ここはA、Cと明確に異なる。
諧謔と言っても様々なものがあるが、このBタイプのサンプルは2本とも「形態類似による見立て」を用いて「変形・異化」をしている点で実は共通している。白に折り重なる赤=寿司という見立てによって男女の出会いは異化変形され、グレイの口元=替え歌を歌う口元、という見立てによって、持ち歌でなく替え歌の絶唱へ、と異化変形される。
つまりどちらも「ある形状を(利用して)別の何かに見立てる」という点で共通していて、それがコンテンツ側の手法となっている。重要なのはこの見立てによって、商品と無関係なシチュエーションから見事に(=強引に)商品へと着地させる、強制的な文脈結合・縫合が立ち現れることである。この「見事な異物縫合が現出する」という部分、これがBタイプの体験の正体である。この体験を筆者は<「リフレーム・異化・反転」型>と呼んでいる。
最後にCタイプである。このタイプでは明確な物語的帰結がなく、シーンやイメージのみのことが多い。サンプルの2作品を表現要素面から分析すれば、まず音楽が派手だったりダンサブルだったりするという特徴がある。タイトルワークも印象的に大きい(例えばAタイプのCMでこうした大胆なタイトルワークはまず使われないだろう)。
読後感は「イカす、かっこいい、おしゃれ、憧れる」方向なのでAタイプともBタイプとも違うが、カッコいい→憧れるという「(ある観念を伴った)知覚→感情」の流れにヒントがある。
すなわち多くの場合、このCゾーンは「自分もこうなりたい」「自分もこれを使えば、あのような風体になれる、ああいう見た目になって武装できる」という潜在意識に作用する体験であり、商品というテコによって「⾃分の商品価値」も上昇できるという意味で、自分にレバレッジ(をかけられる)体験と言えよう。
派手さ・大胆さ・グルーブ感という「コンテンツ側の表現要素」がふんだんに使われ、素の自分にレバレッジをかけ、持ち上げるような「レバレッジ」体験が生起し、結果「イカす、かっこいい、おしゃれ、憧れる」という読後感に着地する。文字通りではあるが、このCタイプの体験を筆者は<「レバレッジ」型>と呼んでいる。
こうして見ると
Aタイプの読後感「ハートウォーミング」のためには「帰属回帰愛」の体験
Bタイプ「うまい!そうくるか!見事、面白い」のためには「リフレーム異化反転(異物縫合)」の体験
Cタイプ「イカす、かっこいい、おしゃれ、憧れる」のためには「レバレッジ」の体験
が前提となっていることが納得できるだろう。
また例えば「レバレッジ」体験のためには、「派手さ・大胆さ」を伴う「映像コンテンツ表現」が有効らしいこともわかる。このように、表現と気分の「あいだ」として「体験」を仮説して簡単にまとめると以下のようになる(前回の図とほぼ同じなのだが、しつこくもう一度、である)。
現在、筆者の研究プロジェクトでは、上記のA~Cタイプのような「体験のタイプ」を「CCT(コミュニケーション・コンセプト・タグ)」と呼んでおり、我が国の過去20年にわたるCM賞受賞全作品(1000本強)を解析した結果「CCTには大きく16種類のタイプがある」という結論に達している。
中でも今回紹介した「帰属回帰愛」「リフレーム異化反転(異物縫合)」「レバレッジ」という3つのCCTは特に重要なものなのだ。その理由も含め、さらに他のCCTにどんなものがあるのかについても、次回にて触れていきたい。