今回は「尊崇・達観」の意味体験において、主に「崇高さ」に焦点をあてつつ、崇高感がどのような変遷を辿ってきたのか、を探っていこうと思う。テーマがテーマなため、やや映像引用が乏しい回となるがご容赦いただければと思う。
前回は「尊崇・達観」の意味体験を大きく、
- スケールが大きいもの
- 精神性が高いもの
- 時間・歴史が永いもの
の3つに分類し、さらにこれら各々には「崇高さ」が色濃いのか?についても検証した。
その結果、最も「崇高さ」が該当するのは(主に物理的な意味で)「スケールが大きいもの」であり、エドマンド・バークの定義を意訳すれば「『超越的で物理的/心理的にどデカい』という恐怖から醸され、その実その対象から距離をもったときに発露する」ということにもあてはまる、と述べた。その代表例は、私たちに恐怖感を与えるような、荒々しい大自然である。
どうもこの「崇高さ」こそが「尊崇・達観」という意味体験の原初的なマインドモチーフではないか、と筆者は考えている。そしてこの「崇高さ」はある時から範囲を拡大し、私たちが今日受ける「尊崇・達観」感になってきたように思えるのだ。こうした側面について特に今回は述べていきたい。
「崇高さ」の淵源と神の観念
崇高さについてイメージすれば、前述のとおりスケールの大きな、しかも荒々しい自然がまず浮かぶ。前回も触れた通り、これは私たちを超越的に支配している摂理そのものであり、反面、私たちとは関係なく存在し運動しているものだ。したがって崇高なものとのコミュニケーションは原理的に不可能であり、私たちはこうした荒々しい自然の影響を、ほぼ一方的に受けるしかない。支配されているのだ。
バークによればこうした「荒々しい自然」は、そのスケールとともに「一種の悦ばしい恐怖」と「戦慄の漂う一種の静けさ」を湛えている。これは危険や苦痛に対する、私たちの自己保存の本能が呼び覚まされるタイプの、強烈な意味体験となる。
ちなみに、バークはこれをひとつの美的体験と評するのだが、社会的・調和的な美(小さいもの・美しいもの)のもたらす美的体験とは完全に区別している。
こうした「荒々しい自然」とともに、もう一つ気になるのが「プリミティブな神聖さ」というものである。
地質的な古層と聖なる場所の関係については、考察者が絶えない。特に昨今、中央構造線を巡る言説が盛り上がりを見せている。これは日本列島を南北に分割する地質的な断層で、約1億年前~数千年前、2つの互いに異なるプレートが衝突してできたものだ。
構造線の北側と南側では岩石の種類も異なる。いわば「生い立ちの違う大地」が縫い合わされていると言っていい。高千穂や四国、和歌山から諏訪、そして関東へ延びるように構造線が確認されているという(東北方面へも伸びている、という識者もいる)。
構造線上には磐座(いわくら)が多いという。これは単なる岩石ではなく変成岩であることが多い。硬い変成岩は風化せずに太古の姿をそのままとどめる。こうしたものが「聖なる気」を発する源なのか(構造線上には強い磁気が発生するという説もある)定かではないが、古代の縄文人はこうした気を感じて大いに畏れた可能性がある。というのも、この構造線上に、彼らが奉った霊地・聖なる場所が数多く存在しているからだ。
これらの霊地の多くが、のちにそのまま神社や寺などの施設に変わっていく(石鎚山・高野山・吉野・伊勢など、多くの古い寺社がこの線上にある)。自然物そのものへの崇拝がなされた聖霊の地が、そののちに信仰の施設として整備されていった、ということでもある。
前回ご紹介した茂木誠氏の「ジオ・ヒストリア」にも述べられているが、同様のことは世界にもあるらしい。地質的理由と言い切れるかは別として、古代イギリスの巨石遺跡群に関しては有名な「レイライン」という仮説がある。これは現象的には日本の中央構造線とも似て、ある一定の地形線上に原初の「聖地」が並んでいるというものだ。
磁気的なものか(あるいは別の要素なのか)どうかは置くとして、こうした場所がただならぬ「聖なる気」すなわち「神秘の力」を秘めた場所、と認識されていたことはあり得るだろう。これはビジュアル面では「荒々しい自然」とは言えないまでも、「身体で感じる気」という性格ゆえ、古代人に不可視なパワー、脅威の気配のようなものを与えていた可能性はある。つまりこうした神秘の力もまた(ビジュアルというより不可視な「気」として)「危険や苦痛に対する、私たちの自己保存の本能を目覚めさせる、強烈な意味体験」となっていた、ということだ。
そして徐々に(しかしかなり早い時期から)私たちの祖先はこうした「荒々しい大自然」「聖なる神秘の力」という、そのままでは名状し得ないものを「神」という観念によって内面化していったのだと思われる。
この時点で、崇高さの対象に「荒々しい大自然」「聖なる神秘の力」に加えて「神」という観念が加えられていく(「神々しさ」という形容もまたそうである)。
「崇高さ」の記号化・ストーリー化
本稿Vol.07ではメディアの変遷について述べた。その語源は「霊媒」であり、メディアの役割をまず担ったのが「霊媒者=神を媒介するもの」だった。その後、神中心から人間中心主義の時代社会になるとメディアは「他所の情報を媒介するもの(=コーヒーハウスや新聞)」となり「今の世界の情報を媒介するもの(マスメディア・インターネット)」へと進んできた。イタコや神父から印刷物、そこからラジオやテレビ、そしてネットやSNS(スマホ)への変遷である。
崇高さを感じる対象が「大自然そのもの」であった頃は、そこからもたらされる霊気や凄みといったものが、ダイレクトな身体性としての崇高感として感じられていただろう。ダイレクトなので、言うならばメディアは不要である。交信能力の高かった古代人は、大自然そのものからダイレクトに霊感や幻聴を得ていた可能性もあるという。
そこに神の観念が被さる。さらに神殿や施設ができれば、こんどは建造物自体が神=崇高性の代理(メディア)としての役割を担い始める。
こうした施設の多くが街中へ進出し始めるようになると、尖塔のような「高さ」を演出したり、巨木のある森状の舞台を設えることで、大自然に触れられない街の人々へ「崇高感」をもたらすメディアの役割を負っていく。その代表がゴシック様式の教会建築だ。
信仰のための施設、あるいは僧侶や神父が媒介する内容も「大自然の脅威・荒々しさ・霊気」というよりは、むしろ「カミ」「神様」の方へと集中し、場合によっては神の姿は建築内の装飾品などにより偶像化=アイコン化していく。
本来的な畏怖対象としての「超越的な大自然」が、日常的に目にする教会などの施設や、触れられる「神の像」といった、より身近な観念的物象によって媒介(メディエーション)されていく。崇高さが観念化され、記号化・ストーリー化されたともいえるだろう。
こうすることで、崇高さへの畏怖・信仰心は、日常に近い場所で、より安定的に成就可能となる。こうして街中で暮らす民に対しても、宗教やその信仰が広く浸透していく。
このように、神や宗教はプリミティブな「荒々しさ」「神秘の力」を相当程度には記号化・ストーリー化していったと思われる。ただし、全てがそうなったわけではもちろんない。
「大自然そのものは無慈悲である」と前回述べたが、こうして街中へ進出した教会や寺社も、どこかに必ず「街中ではナマでみれない、凶暴かつ無慈悲な荒々しい大自然」を表象していたと考えられる。
そもそも宗教というものには、こうした「超越的な大自然」のもつ崇高さが秘められている、と看破したのが19世紀のドイツの宗教哲学者ルドルフ・オットーだ。彼はこの秘められた崇高さ(=恐怖の対象)を「ヌミノーゼ」というコトバで表している。
彼はこう述べている。「ヌミノーゼとは、それ自体が非合理なもの、つまり概念としては説明できないものである。だから、それを言葉で表明しようとするならば、ヌミノーゼを体験している心情内に誘発される特別な感情反応を手がかりにするしかない。それは、ある種の特定感情によって人間の心情を捉え、動かすようなものである。」
そして「ハレルヤ」や「キュリエライス」など、現在では意味不明な言葉による讃美歌が、宗教的高揚感をかえって高めるという、あの不思議さの理由についても言及する。つまりこれらの儀式的なワードこそが神秘の感覚、私たちとは全く他なるものの感じを呼び覚ますからだ、というのだ。
ヌミノーゼからの連想でいえば、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒによる著名な作品「山上の十字架」があげられるだろう。これはテッチェン城の礼拝堂に飾るために描かれた、19世紀初頭の絵画だ。
フリードリッヒは宗教画のメソッドや聖書の物語描写に沿うのではなく、「より深い層としての神秘や畏怖の念」「非合理で、概念では説明できないもの」を描くことによって、本質的な崇高さを追求したのだという。
その反面、宗教的寓意は認めるものの、あまりに霊感的であり解釈不能であるとして、当時の美学者や宗教者たちからは攻撃を受けることにもなった。
「崇高さ」が人間精神になる
さて、17世紀から18世紀にかけて、「崇高さ」をもたらすモチーフとしての「国民国家」が登場してくると、「国家のために戦う者、生命を賭す者」が崇高さの新たなバリエーションとして登場する。もっとも古代からこうした国家の戦争はあり、そこに崇高さのような認識はあっただろうが、こうした認識が「概念として」強固に根付くことになる。戦闘や、戦う兵士などもまた「崇高さ」の対象としてクローズアップされていく。
このような崇高論の中心人物が、バークと時代をともにし、彼に続いて「崇高さ」について論じたドイツ(プロイセン)の哲学者カントである。カントは崇高についてこう述べる。すなわち真に崇高であるのは、バークのいうような「荒々しい自然」のような、超越的なもの、生命の危険を伴うものを前にしたときに発動する、私たちの「精神性」の方なのだ、と。対象は消え、崇高さは人間の内部へと転回した。
さらに、バーク(や遥か昔に先行して崇高論を唱えたロンギノス)が、崇高さは文学や芸術を介して―例えば荒々しい大自然そのものを目にするというより、それを文学や芸術によって表現することによって―見出されるとしたのに対し、カントは「そのもののむき出しの姿」を目にするとき崇高さは立ち現れるとする。
ここでカントが強調するのは「あるがままの姿を距離をとって見ること」で、これを彼は「無関心性」と呼んでいる。自然そのものには、感情の無関心性を損なわせる可能性が全く存在しない一方、 それを芸術にした途端、そうした可能性がつねに潜在する―つまり芸術作品なので美的価値があるだろう、という想定・関心がどうしてもつきまとう―ということだ。
また、カントに続くシラーはその崇高論で、崇高は人間自身の行為における悲劇性のうちにこそ認められるのであり、理念や理想に追いつかない現実世界との葛藤にあえてその身を滅ぼすことで、あらゆる暴力的なものからの絶対的な「自由」を貫くという、英雄的・悲劇的人間の魂の尊厳のことをいうのだ、と述べた。
これらを踏まえて話を戻せば、例えば兵士は、自己の生命以上の高い価値のために己の弱さや欲望を克服し、恐ろしい敵に立ち向かう者、となる。この者の精神、これこそが実は崇高さなのだ、ということだ。
カントは著書「判断力批判」の中で、「戦士の心が恐怖によって屈服させられない」ことによって、戦士あるいは戦争が「国民・民族」にもたらす崇高さの効果を挙げている。今読めば、まるで国家プロパガンダによる戦争の美化、とも思えてしまうほどだ。
それはともかく、ここにあるのはすでに「大自然の超越性を前にした(人類普遍の)畏怖感」ではなく、「超越的な人間精神への畏怖・畏敬」である。そこでは人間の精神性が崇高さの対象になるのだ。
その結果、前稿で見たように<精神性が高いもの>もまた「崇高さ」に加えられる。しかしあくまで「生物学的生命を優越する」精神的な姿、というものがその主な対象である。
そして多くの場合、私たちは精神性によって克服・打倒すべき、大きくて恐ろしい「敵」や「目標」というものを同時にセット想定してしまう(このような条件をカントは述べていないにも関わらず)。
この精神性は今の私たちでもほぼ変わっていない。コロナ禍においても「勝つ」「撲滅」など「敵認定」風の戦争メタファーが乱舞した。Vol.14「帰属・回帰」の回で、以下のように述べた。
ここで、前回冒頭のエドマンド・バークの議論を思い起こしたい。自然災害やコロナ、戦争などの恐怖や不安を前にすると、社会の心理は「母親の胸に甘えたい=郷土や安心できるものに包摂されたい」という方向に進む。ときにはそれが大きなものへの依存、救済を求めるがゆえの<信仰>にも繋がる。
こうして、恐怖を目にすることからくる「崇高」感は、いつしか次第に、その恐怖の元=敵を倒すために奮闘する「こちら側(=同じ共同体に属する者たち)に対する崇高感」に転じていく。コロナ蔓延の間、ウイルスは「打ち勝つ」「撲滅」など、戦争のメタファーを伴って敵認定され、それに立ち向かう行為には尊崇・崇高感が伴った。
近代的な国民国家の戦争の図式が始まったのは、ナポレオンらの時代からだといわれる。これらはもはや宗教戦争ではなく、本格的に「国家」が国力のために争う構図になっていく。そして(表向きには)「自由・平等・博愛」の精神を欧州全域に広める、という高い理想のもと、軍事大国フランスは欧州を席巻していった。
ナポレオンの戦争は、国民国家が「理念」をかざして戦う、という形態の嚆矢である。兵士たちは命以上のものとして、この「理念」に殉じて戦うことになる(実際にはともかく、そういう物語が作られる)。形としては、崇高さ=精神性の高さ、の大きなバリエーションとして「宗教のために命を賭す」ことと並んで「国民国家の理念のために命を賭す」というものが付け加わる。戦う対象である「恐ろしいもの」は理念の異なる他国の者たち、ということに(表向きには)なっていく。
前後するが、近代近世の西欧国家は、新大陸やインド・アフリカ・アジアを植民地化する拡大フェーズにも入る。この場合「恐ろしい対象」は未開人・野蛮人ということになる。
このようにして「崇高さ」もまたその領地を拡大していく。
「崇高さ」のコンテンツ化・産業化
他方で、産業化が進む中で「崇高さ」は、別の形でもバリエーションを広げ始める。ここには大きく2つの流れがある。
ひとつは、「荒々しい大自然」を、近代市民が観光という形で再発見していく流れ。もうひとつは、文学その他による「得体のしれない恐ろしさ」というジャンルの開拓である。
18世紀からの科学技術の発達によって、自然は次第に畏怖の対象から外れていく。自然科学の伸長は、自然を客体化し「分析可能なもの」「計算可能」なものにしていったのだし、それによって「非合理的なもの」「魔術的なもの」は社会意識の隅へ追いやられていく。
こうして、産業化・都市化する社会の中ですべてが合理的志向へと誘導されていく中、「観光」によって「荒々しい大自然」を再発見するというブームが19世紀初頭の英国を中心に起きる。
社会の合理化という趨勢にあって「恐怖感を与えるような、荒々しい大自然」のような、非理性的・超越的体験がレアになることで、逆に欲しがられるようになった、ということだろう。
野生的な自然の「崇高さ」が、それとの同化や投影として「崇高」な近代人(自己犠牲を顧みず理想へ向かう者)としての自己イメージを再確認させた、という一面もあるように思う。つまり、自然の崇高さの中に自分たち近代人の崇高さを重ねるという感じだ。
そしてこうした精神性は「絶景ツアー」的なコンテンツに顕著なように、現在にも引き続いている。ここに、先述したカントの言う「あるがままの姿を距離をとって見ること」による崇高さがあるか、と言われれば甚だ疑問である。19世紀当初の観光がどうだったかはともかく、現在においてはどちらかと言えば「ツアーに来て凄いものが見れた、スバラシイ体験ができた」のような「豊饒さ」の感じが勝ってしまうだろう。
一方、同時期に文学その他による「得体のしれない恐ろしさ」というジャンルの開拓も進む。この時期には、国民国家化や帝国主義化に伴う、社会の矛盾や人間の葛藤から、悪に魅せられ滅びていく「よりネガティブな崇高さ」も派生していったと考えられている。
ここでの崇高さは「非合理性、神秘性」を介した「おぞましく、恐怖感のある、戦慄するもの」として機能する。これらは今なお、コンテンツ産業が大好物とする属性である。
現在のホラー・ファンタジーないしゴシック・ホラーの始祖といわれるのが「フランケンシュタイン」の物語だ。正しく理想主義的な男の作ってしまった人造人間は、意に反して恐ろしく大きく超越的であり、おぞましくいまわしく私たちをぞっとさせる。「フランケンシュタイン」をはじめ、初期のホラー・ファンタジーの著者に女性が多いのも示唆的だ。
上述の観光と同じく「産業化・都市化する社会の中ですべてが合理的・科学的志向へと誘導されていく」中、人間が古来感じた「崇高さ」を身体に注入したい、という本質的な潜在欲求がそこにはあったのだろう。ちなみにこの作品は、スイス人のメアリー・シェリーが「旅行先のフランケンシュタイン城」でインスピレーションを受けて生まれたという。
映画「フランケンシュタイン」予告編
こうして再認識された「崇高さ」はまたたく間に産業化し、観光やコンテンツという文脈で商品化され、細かいジャンルもメディアによってどんどん拡大していく。
コンテンツでいえばホラー、怖いファンタジー(超常現象や心霊写真なども19世紀から火が付く)のように、心身に恐怖を与えるものがある。ただしこれらは「本や映像などのメディアによるコンテンツ」という前提をもって私たちにもたらされる。当然、ほとんどの場合、ダイレクトな体験ではない。宇宙人や地球外生命などのテーマもコンテンツ化されやすい。
また、仮死体験としてのアトラクション、例えばジェットコースターのようなものもある。これはダイレクトな体験で身体の恐怖があるが、得体の知れない気配がある、とかとてつもない不気味さがある、というわけではないし、やはりそこには「アトラクション」という前提がある。
これらの前提のもつ、商業性や人為性によって、本来的な意味での「崇高さ」はそこにはほぼない、といえるだろう。こうなるともはや、合理的な日常からの一時的退避のニュアンスが濃くなる。Vol.15で述べた「描望」の意味体験=妄想(ファンタジック・フィクショナル)により近い。
メディアによって拡大した「崇高なるもの」はそのほかにも、スポーツにおける神業や奇跡、音楽や映画を通じた偶像対象としてのアイドル、スターなどなど枚挙にいとまがない。しかしこれらは基本的に「スケールが大きい」ものとも、恐怖を与えるものとも言い難い。あくまで「崇高」というコトバの拡大、と見るのがよさそうだ。意味体験上はこれも「尊崇達観」とは言い難く、Vol.15で述べた「描望」の意味体験=憧憬により近くなる。
「崇高さ」変遷のまとめ
ここまでの話を、細部省略してザックリと整理するとこうなる。
<崇高さ>- 「超越的で物理的/心理的にどデカい」「神秘で潜在力ある」ものに感じる恐怖・畏怖(悦び)
荒々しい大自然・神=自分を支配し、超越している存在 - 「超越的で物理的/心理的にどデカい」もの=神、その代理物(アイコン化・記号化)への畏怖・信仰
神殿、教会、偶像、宗教のストーリー・神父(聖書など聖典)=神を代理するもの - 「超越的で物理的/心理的にどデカい」敵に、命を顧みず立ち向かう精神性に感じる畏怖・畏敬
戦士・勇敢な者(信仰や国家理念を第一義とする精神)
※敵=(自国から見た)異教徒、未開人野蛮人、異なる思想、など - 合理的社会の裂け目として立ち現れる非合理性・恐怖・不気味さ
消費対象(観光)としての荒々しい大自然 想像上の超越的な者や現象(ホラーファンタジーその他のコンテンツ群)
=非合理・非日常としてのエンタメ?
※本来の「崇高さ」とは離れてくる。意味体験上は「尊崇達観」ではなく「描望」 - 非合理性・恐怖・不気味さは除去された(崇高)
スポーツにおける神業や奇跡、アイドル、スターなどの偶像対象
※これも意味体験上は「尊崇達観」ではなく「描望」 - 人工物による崇高(以下に述べる)
人工物による「崇高さ」・そのさまざまな様相
上記の4.の延長として、科学主義や合理化の波の中にあって「私たちには制御できない、とてつもなく大きいもの」は、例えばアートとして、ある種の非合理性、神秘性のシンボルとなり、合理性に覆われた都市の空間で異彩を放つ。アート=人工物でありながら、あくまでアニミズムの化身として都市社会を脅かす崇高さ、をもたらす。
しかし、もうひとつの方向性もある。「大自然は制御可能」というメッセージだ。自然を畏怖して崇め、なんとか共存しようとする意志というよりは、大自然を制御した人間の勝利の佇まいと捉えることもできる。
こうなると何というか、人工的都市の方が強く、大自然の荒々しさが「アーバン化」してしまっているように見える。オシャレすぎるのがよくないのか。
d’strict(ディストリクト)が作成したアナモルフィック・イリュージョンを用いた映像作品(ソウル)
よりダイレクトなのは、巨大な人工物によって、(大自然が淵源である)崇高さを再定義へ追い込むことだ。崇高さそれ自体を人工で「作る」のだ。
先の太陽の塔は「私たちには制御できない、とてつもなく大きいもの」を代弁するものだった。
他方、こうした超高層タワーは、こんなとてつもなく大きいものすら造り、制御する「国家」や「テクノロジー」(あるいは私企業)の力を代弁している。そこには間違いなく「自らを崇高=サブライム化、スーパーパワー化したい」という意思がある。
大自然と比肩するほどのスケールで人工物を作る、という行為はピラミッドや仁徳天皇陵などの例もあるように、極めて重要な「力の誇示」であろうし、自らが畏怖対象になる、という志向に沿ったものだ。その裏には「他者優越性へのあくなき欲求」もチラつく。
重ねて言えば、「本来の」崇高さの淵源は「人間とは関係なくコミュニケーション不能」で「人間を脅かし、支配しているもの」であった。だから当然、それが「人工的」なものであるはずはない。ただし上記の1.に照らしていうなら、「超越的で物理的/心理的にどデカい」「神秘で潜在力ある」ものには見える。
モヤモヤついでに、一瞬だけ脇道に逸れてみる。前回冒頭で触れたことなのだが、山に登り、それと同化することで何らかの「崇高さ」を纏った登山者は、下界のコマゴマしたことを些細なことと感じたりするものだ。
同様に、巨大な人工物やテクノロジーの帰結として、こうした超超高層ビルの上階に暮らす者は、例えば宇宙に出て地球を見たガガーリンにも似て、ある種の「崇高」を日常的に体得するのだろうか。かなり頭がこんがらがってくる。というのも、彼らは「コチラ」から見れば「超越的で物理的/心理的にどデカい」方に同化しているからだ。
ここで想起するのは元来、山に籠る者が俗世を離れ、精神的な高みを志す、という傾向とともにあったことだ。身体が超越的な高さにあるとき、人は自然に精神的にも高くなれるのだろうか?みたいな単純な話になり下がりそうで、うーむ…という感じがしてくる。カントは崇高さとはシンプルなものだと言っている、と唱える識者もいる。
人工物による「崇高さ」に話を戻せば、ダイレクトに「生命に対して脅威的」なものになりうるぞ、と気になるのが人工生命や軍事の文脈だ。兵士と同じサイズの犬の兵器が、例えばバカデカい巨人サイズになり、全体像すら視認できないものになったら?核兵器や原発と異なり、もしも人間の意志と関係なく自律型で動きまわる制御不能なものとなったら?生命を持ったら?
もはや人工物などと言っていられない次元となるだろう。それは間違いなく「崇高さ」の対象になるようにも思える。
大自然の荒々しさは、時に大地震や噴火、洪水あるいは疫病などの災禍によって原初の「崇高さ」由来の脅威をもたらしてきた。しかし「次の」本質的な意味で、軍事やAIの進化が「人工物を淵源とする崇高さ」という別の逆襲をもたらす可能性も、ゼロとは言えないのではないか。それを、非合理と魔性の逆襲と言っていいのかどうかはわからないが。
米国で進むロボット兵器©︎USA Military Channel 2
私たちの時代の不安の本質的な理由は、掘り下げればズバリ、こうした「崇高さ」―どでかく生命の危険を脅かすもの―についての主役交代、すなわち支配される摂理の本質的な交代、ココへの予感にあるのではないか、などとも思えてくる。
ややジャーナリスティックな方向になったが、最後にひとつ全く別方向の、人工物が醸す「崇高さ」について取り上げる。それはリミナル・スペース(liminal space)といわれるものだ。
リミナル・スペースとは何か。木澤佐登志氏によると、それは「矛盾する概念が一致する空間」「相反するものたちが同居する空間」であるという。
見覚えがないのに、たしかに来たことのある場所。「懐かしさ」と「未知」の間に位置する空間。ずっとそこにあったのに、刹那的な場所。内側に折りたたまれた「外」の空間。存在したことのない場所へのノスタルジア。見慣れたものの内側に見出す不気味さ。夢のように醒めた現実感…。
リミナル・スペースとして、筆者の知人が挙げたのが、東京虎ノ門の地下鉄通路である。
ここを歩いていると、自分でもよくわからない(デジャビュ的なニュアンスもある)心象空間に迷い込むらしい。木澤氏によれば、リミナル・スペースは閉店後の商業空間であったり、昼間とは別の顔を見せる真夜中の公共空間であったり、匿名の亡霊たちが取り憑いた親密(プライベート)な空間であったり、あるいは単に打ち捨てられた空間であったりする、ということだ。
そして、この空間は徹底して「意味の不在」「歴史の不在」「人間の不在」に取り憑かれていて、それはノスタルジーにとどまらない、世界そのものに対する実在論的不安をもたらす、という。
であるとすれば、理性を超えた存在である、(人間とは無関係に見える)荒々しい大自然を前にしたときのあの不安や恐怖、という心身的な原初記憶と同型のものが、(人間不在の)特定の都市空間によって現代の都会人に呼び戻される現象、とも捉えることができそうだ。
そこにあるのは「特定の人工空間」のもとで類似作動してしまった「崇高さ」なのではないか。どうもそう思えてならない。
カントのいうように、「あるがままの姿を距離をとって見ること」によって立ち現れる、何らかの超越性(異物感)、曖昧な不気味さ、不快ななかにある「自分の位相が定まらなくなる」悦び、リミナル・スペースが醸すこれらのものは、まさに「崇高さ」がもたらすものと酷似している。このテーマは極めてアクチュアルなものであり、記憶との関連もありそうなので今後さらに考えていきたいと思う。
「崇高さ」を感じ続けること
さて、クリエーターにとっての「崇高さ」の表現は今後どう変わっていくのだろうか。
全く新しい人工物による崇高さを追求するのか、それとも崇高さの源を別の生命に置換するのか。或いは崇高さの源を別の形で表すのか。
バークは崇高さにあっては「脅威」を感じつつ、そこから離れていることで、そこには「悦び」の感情がある、とした。つまり、共感という名の他者との絆を強化するための悦びを、苦痛や危険の観念を伴う恐怖を介して感じさせる、そんな対象こそが、「崇高」だといったのだ。
カントは崇高について、それは対象の現実存在にはいかなる点においても従属しておらず…それは対象をきっかけにして「わたしがわたしの内に発見するところのもの」である、と述べた。
これらバークとカントの言葉を吟味しながら、あらためて感じることがある。それは上述の方向の中でも「崇高さの源を別の形で表す」ことにまだまだポテンシャルがありそうだ、ということである。
つまり、自然そのものからもたらされる元来の「崇高さ」という「感じ」自体を、どうやって「掴み、取り出し、みせられる」か。他者によるその「崇高さ」への共感も重要になる。
こうなると、それを果たして「表現」と呼んでよいのか、すら怪しくなってくる。なにか人間の共通感性を土台とした「所作」のようなニュアンスの方が近い、とも思えてくる。
その「所作」をひたすら続けている、一人のフォトグラファーの作品で本稿を締めようと思う。彼の作品を前にすれば、どうにも言葉にしえないスケールや時間、超越的な摂理というものが静かに迫ってくる。恐ろしさというよりある種の霊力の気配があり、加えて、上のカントの「わたしがわたしの内に発見するところのもの」という表現もしっくりくる。
いうなればプリミティブな崇高さにまつわる、その「交信記録」と言っていい。対象は写っているが、感じているのはソコではないのだ。そして、こうして理性を超えるものを前に立ちつくすとき、一種不思議な「崇高さ」のただ中へ飲み込まれている、と感じるのだ。