映像表現と気分のあいだ

txt:佐々木淳 構成:編集部

今回は、前回に続き「体験のタイプ(類型)」の続編をお届けする予定だが、その前に体験のタイプの全体像を示すことにした。皆さんの納得感がより高まると思ったからだ。

前回までの振り返り

これまで2回の内容を、まとめてみよう。

初回は、体験とは何かについて「ぽさ」をキーワードに説明した。簡潔に言えば、体験とは「(映像表現などの)コンテンツ」と「読後感(気分)」のあいだに生起するもので、"コンテンツー体験ー読後感"という三つの項目による関係モデルの中心にある。そしてこの関係モデルを設定すること自体がすごく重要、と述べた。

第二回目は、代表的な三つの体験タイプを示しつつ、体験は大きくいくつかのタイプに分けられる、ということを述べた。「体験」がタイプ化できるなら、その前後にある「コンテンツ」「読後感」もやはりタイプ分けができるはず。もう少し踏み込めば、体験のタイプをデータと考えて扱うなら、"コンテンツー体験ー読後感"という関係モデル(CCTモデル・連載第二回参照)全体もデータとして扱えるはず。すなわち「こういう体験が生じるようなコンテンツを制作すれば、こういう読後感・気分へ誘導できる」ということが相当程度可視化でき、また演算化できるはず、ということだ。

体験タイプの全体像ー全体マップ

今回は以上を踏まえて、まず体験タイプの全体図を示してみたい。前回説明した「帰属回帰愛」「リフレーム異化反転(異物縫合)」「レバレッジ」もふくめ、筆者はTVCM解析を通じて大きく16の体験タイプを定義している。以下が体験タイプの簡単な全体図である(CCTモデルの図式化であるため、CCTマップと呼称している)。

上記CCTマップ上の16個からなる体験タイプは、中くらいの粒度では70以上のタイプに分けられ、実際の解析ではこの中粒度の方を使用している。さらに細分することも可能だが、一般的に理解容易なタイプ数を考えれば、大まかな分類数の方がわかりやすい。よってCCTモデルの説明の際には、この16の体験タイプを使用している

このような全体マップ化で重要なのが、左右上下軸の設定基準だ。そもそも体験や読後感(気分)といったところで、これらは数値化できるものではない。だから、意味的な設定基準がどうしても必要になる。

※やや話は逸れるが、気分・感情を表情認識等の測定によって判定するという考え方が今なお一定の評価を得ている。この場合、測定した表情を紐づけるためには何らかの「汎用の感情タイプ分類」が必要であるがこれがなかなか定まらない。その上「無表情な顔も何らかの感情に判定分け」せざるを得ず、さらに表情における民族的差異も大きいため、実用へのハードルはまだ高いのではないか、と筆者は考えている

CCTマップの左右軸については、左へ行くほど「共同体文脈の体験」、右へ行くほど「個人主義的文脈の体験」と設定している。左側が「慣れ親しんだ既知の体験」、右側が「斬新かつ未知な体験」と言い換えても良い。

「共同体文脈の体験」には、伝統文化や自然、共同体や家族、親子関係等をモチーフとした回帰的な体験が多い。これらは包摂的、共感的、おしなべればハートウォーミングな読後感を伴う。

一方「個人主義的文脈の体験」には、他者との差異付けや変革、先進感、奇想天外さ、斬新さなど異化的な体験が多い。したがって驚きや新しさ、面白さなど、未知性に紐づく読後感が多くなる。

CCTマップの上下軸は体験の心的レベルになっている。上から下へ順に「精神」「実践」「感受」「消費」「生理・本能」という5つのレベルがある。

「精神」は高い精神的反応を伴う体験レベルだ。伝統ってすばらしいな(尊崇感)、宇宙は果てしなく人間は小さいな(俯瞰感)、社会とはこういうものだよな(得心感)、異質な世界観に衝撃を受け元に戻れない(精神的異化)などなどである。

「実践」は支援感や挑戦欲求などの能動的反応を伴う体験レベルだ。応援したい、頑張らなきゃ、作りたい、戦いたい、など。

「感受」は愛惜感や感涙感、憧憬感など、深い感情作用を伴う体験レベルだ。胸が締め付けられる、泣いちゃう、とても沁みる、すごいイケてる、などなど。

これら「精神」「実践」「感受」の体験レベルにあるTVCMは、概ねストーリー性やイメージ伝播性に優れ、ブランド訴求にも相性が良い性質がある。

一方で「消費」は軽度な共感ないし催笑感、あるいは商品・サービスの優位性をただ認識するだけなど、全体として消費的反応を伴う体験レベルである。カワイイ、面白い、ちょっと癒される、ちょっとほっこりする、バカバカしい、などなど。TVCMでは過半がこのゾーンに該当している。刹那的な体験なので比較的忘れやすく、ストーリー性も総じて希薄だ。

最後の「生理・本能」は、揺動感、催淫感、恐怖感などの身体的反応を伴う体験レベルである。身体がグルーブする、ただただ恍惚を感じる、エロい、とにかくビビる、身の毛がよだつ、などなど。欧米など諸外国に比べ、日本ではこのレベルに該当するTVCMは少ない。

筆者は数千本のTVCM解析を通じて、似たような体験のTVCMをよりわけ、このような上下左右軸によって体験タイプを位置付けし、CCTマップとして定義してきた。このように改めて一覧化してみることで、TVCMが視聴者に提供してきた、いろいろな体験タイプの全体像が浮き上がってくるのがわかる。

各体験タイプの位置

前回見てきたA、B、Cの体験タイプ、すなわち「帰属回帰愛」「リフレーム異化反転」「レバレッジ」をこのマップ上で示すとこうなる。

■「帰属回帰愛」→「既知」への回帰

「帰属回帰愛」の体験には、なんらかの「戻る場所」—伝統文化や自然、共同体や親子関係など—があると前回述べた。これに加えて、戻るべき「時間」というものもある。幼少時、青年時などの思い出の時間に戻るということなので、これもやはり広義には「戻る場所」と言えるだろう。これら「戻る場所」とは当然ながら「既知」のものであり、あらかじめ私たちとの間に親和性・親近性をもっているものといえる。

■「リフレーム異化反転」→「未知」による異化

一方で「リフレーム異化反転」の体験とは、新しくて想定外、あるいは未来のことだから「未知」のものと言える。今までになかった発想、新しいデザイン、未来を感じるテクノロジー、今までの通念や常識を超えること、などがここには連なってくる。「リフレーム異化反転」の体験によって気分は「異化」される。

■「レバレッジ」→「既知」からの逃走

「レバレッジ」はどうだろう。「リフレーム異化反転」が主に精神的な異化であるのに対し、「レバレッジ」は(お手本に依存した)表面的・外見的な異化である。カッコイイというのは、個人主義的文脈の体験でありつつも、それがある程度社会に承認されている、という側面を持っている(承認されてなかったら、カッコイイというよりも単に「変わってる」「訳わからん」になる)。若干ややこしい位置付けになるのはこのためだ。

素直に「未知」とは言い難い。ただ、今より美しいワタシになる、今よりカッコイイオレになる、など「高みへ向かう」体験になっている以上「既知」(今のワタシやオレ)でもない。そう考えると「既知」からの脱却、のような側面がありそうだ。「既知」を引きずった「未知」への道中、に近い。

さて、このように位置的にビミョー感のある「レバレッジ」の同類として、今回もう一つの体験タイプを取り上げよう。ちょうどレバレッジが、右側っぽいけどビミョーだなあ、ということと対をなす、左側っぽいけどビミョーな体験タイプ、である。つまり、「帰属回帰」先を持ちつつも、そこから少し外れた世界へ向かう体験タイプ、それが今回紹介するうちのひとつの体験タイプである。

「今より良い世界を夢見る」体験タイプ

例えば以下のような写真をご覧いただきたい。

カテゴリ1
カテゴリ2
カテゴリ3
カテゴリ4

上記のものはすべて、上図に示した今回の体験タイプに属している。けれどもニュアンスは各々違っている。

皆さんがこの4カテゴリをざっくり呼び分けするなら、どんなコトバにするだろうか?無理を承知で、実際にコトバにしてみてほしい。もちろんアバウトで構わない。一旦自分のコトバで書いてみたあとに、以下を読み進めていただければ幸いである。

カテゴリ1(       )
カテゴリ2(       )
カテゴリ3(       )
カテゴリ4(       )

4カテゴリすべてに共通するが、これらの写真でもたらされる体験は、いま私たちが現実に過ごしている世界とは別の「より良い(めざしたい、浸りたい)」世界のイメージ体験だ。この体験タイプを筆者は「描望」と呼称している。

つまり、これらは私たちの(満たされない今の)気持ちに対する「代償」のイメージだ。ここには現実逃避的な、もっといえば「脳内」的な世界(具体的には場所やイメージ)が充当される。それゆえ、これらの場所には「実在しないもの」も多い。実在するものの場合は、そのほとんどが「逃避先」としての役割を担っている。

では「描望」タイプに属する4つのカテゴリを確認していこう。カテゴリ1は、筆者の分類上では「ユートピア」に該当する。ご存じの通り、ユートピアとは「実在しないもの」である。帰属したいが、原理的に帰属不可能な夢の場所、である。wikipediaにはこのようにある。

ユートピア(英: utopia, 英語発音: [juːˈtoʊpiə] ユートウピア)は、イギリスの思想家トマス・モアが1516年にラテン語で出版した著作「ユートピア」に登場する架空の国家の名前。「理想郷」(和製漢語)、「無何有郷」(無何有之郷とも、「荘子」逍遙遊篇より)とも呼ばれる。現実には決して存在しない理想的な社会として描かれ、その意図は現実の社会と対峙させることによって、現実への批判をおこなうことであった。

Wikipediaのこれに続く説明には、ギリシア時代のtopos(場所)の否定形である、と記されている。少々単純に言ってしまうと、toposとはそこに何らかのtopic(思い出・記憶)が埋め込まれている帰属回帰先のこと、とざっくり理解していただければと思う。そうであればユートピアとは帰属回帰できない、思い出や記憶などが埋め込まれてはいない場所、いわば「未知」に属する場所ということがわかる。

カテゴリ2は「ロマンス(ロマンティック)」。先のユートピアやこのロマンスを含む、より大きなジャンルとして「ファンタジー」がある。まさに「脳内」系といえるもので、文学や映画、アニメその他の「フィクション全般」は広義にはほとんどがこのジャンルに含まれる。

現実世界に近いモチーフ(恋愛や人間模様)を理想化・変形したフィクションから、SFなど現実とは別個の世界(可能世界)のフィクションまで様々なバリエーションがありうる。ロマンスの場合は、特に恋愛感を基軸とした刹那の特別感、昇天感、夢心地感、そんな体験カテゴリと言えるだろう。

カテゴリ3は「ノスタルジー・思い出」。これは帰属回帰タイプにも極めて親和性がある体験だ。上記の「topic」は記憶そのものだが、それが美化され、別のバーチャルな記憶が創造されていくようなものである。だからより正確にいうなら「美化された記憶」である。「あの頃はよかった」「あの時にこそ、自分の本当の時間がある」というように、今現在の現実から逃避し、過去が誇張美化されるような体験カテゴリだ。

最後のカテゴリ4は「自由・解放」。ちなみにこのワードでイメージ検索してみると面白いことに気づく。「空の面積が広い」「人がシルエットになって匿名的になっている」「身体をのばして深呼吸している」というイメージの共有度が色濃いのだ。この自由解放の概念には「広々した空や自然、リラックスして体内の気を入れ替える身体」という共通イメージがこびり付いているのだろう。

ところで、この「自由・解放」という体験カテゴリを商品化したものに「リゾート」がある。広い空の下で身体はリラックス、カラフルな海や緑とコテージもセットになっている。現代的意味でのリゾートは17世紀末に英国貴族のために開発され、日本では19世紀末、山岳リゾートがその嚆矢となったようだ。

このように体験タイプを分類していく中で、TVCMや写真イメージだけでなく、世の中の多くのモノやコト、ヒトや環境もこの体験タイプに紐づくことがわかってくるのだが、この話はまた追ってすることにしたい。

前回の「レバレッジ」と今回の「描望」は、私たちの「満たされない今」を代償する、という部分では似た体験タイプだ。「描望」の多くのカテゴリは「束の間の脳内逃避・息抜き」感があり、それゆえ逃避・息抜きが終わればまた「戻るべき場所」へ回帰していくような性質の体験と考えられる。レバレッジより左側の部分、すなわち帰属回帰愛タイプに隣接する部分に位置させているのはこのためである。

さて、今回は体験タイプの全体マップ、前回と今回見てきた体験タイプが全体マップのどのあたりに位置するのか、を見てきた。映像をはじめさまざまなコンテンツは、その体験タイプの位置によって、それぞれ違った読後感をもたらすということが少しずつ見えてきたと思う。

次回は、TVCMの歴史とともに、これら体験タイプの主流が時代とともにどう移り変わってきたのかを見ていくことにしたい。

WRITER PROFILE

佐々木淳

佐々木淳

Scientist / Executive Producer 旋律デザイン研究所 代表 広告制作会社入社後、CM及びデジタル領域で約20年プロデュースに携わる。各種広告賞受賞。その後事業開発などイノベーション文脈へ転身、新たなパラダイムへ向けた研究開発の必要性を痛感。クリエイティブの暗黙知をAI化するcreative genome projectの研究を経て「コンテンツの意味体験をデータ化、意味体験の旋律を仮説する」ことをミッションに旋律デザイン研究所設立。人工知能学会正会員。 http://senritsu-design.com/