写真、いやカメラを始めた子どもの頃、なぜニコンは中級機を"ニコマート"と呼ぶのか不思議でならなかった(初級機に関しては、当時ニコンはラインナップしていなかった)。キヤノンのフィルム一眼レフカメラはどのクラスのモデルもキヤノンだし、ミノルタもミノルタ、ペンタックスもペンタックスであったからだ。幼心に天下のニコン様は、そう簡単に"ニコン"の名称は使わせないのだろうといつしか思うようになっていた。
ちなみに、当時新宿に店舗を構える大手カメラ量販店が各メーカーのカメラの正価と、それから値引きを行った同店での販売価格を一堂に記した新聞紙ほどのサイズの黄色いチラシを時折店頭で配布していたが、なぜかニコンは正価のみ。販売価格はブランクになっており、たしか店頭か電話で尋ねてくれと記されていたことを記憶している。今になってみればちょっとここでは書けない大人の事情と察せられるが、子供心に天下のニコン様のカメラやレンズは値引きなどさせないのだろうと密かに思っていたのである。
そのようなこともあり、幼気なカメラ小僧は、ニコンは特別なカメラメーカーなんだと憧れを抱くようになり、ニコンを使っている大人を羨ましく見るようになったのである。そんな特別感が自分のなかでちょっと薄らいだのが、1977年5月「ニコンEL2」の登場であった。ニコマートではなくニコン。当時は中学生だったので、メーカーに関わらずカメラ、レンズ類は簡単に買えるようなものではなかったのだが、それでもカメラ誌のEL2の紹介ページなど眺めていると、同時に発表された「ニコンFM」とともに少し"ニコン"が近づいたような気がしたものである。
あるとき自転車で通りかかったカメラ店のショーウィンドウの中に、鎮座するニコンEL2を見つける。ニコマートEL系の流れを汲む大きさの堂々とした金属製のボディに"Nikon"と入ったペンタカバーなど、それはとても貫禄あるものであった。すぐ隣に置いてあった前年に発売された"連写一眼"「キヤノンAE-1」がコンパクトかつスタイリッシュなボディで軽快な感じとしていたのとは対照的で、いかにも天下のニコン様の雰囲気を醸し出すに相応しい姿であった。同時に、絞りと被写界深度、ボケの大きさの関係を理解し始めた子供にとって、絞り優先AEを搭載するカメラのほうが、シャッター優先AEのカメラより大人のカメラのように思えたのである。
そのようなニコンEL2であるが、私が手に入れたのはそれからかなり経った今から20年ほど前。もちろん中古である。価格は1万円ぐらいだっただろうか。今でもそうだが、どちらかといえば人気のさほどないカメラなので、上手く探せば程度の良いものがそのくらいで買えた記憶がある。ただ、購入にいたっては少々難儀した。価格的にいいなと思うカメラが、ことごとくトップカバーにアタリ、いわゆる凹みがあるのだ。後年あるカメラショップの方とそのことについて話したことがあるのだが、やはりニコマートEL系はペンタカバー、特にアクセサリーシューと面一としている部分が凹んでいるものが少なくないと言う。納得するとともに、不思議に思えてならない部分である。
いざニコンEL2を使うと、がっしりとしたつくりはカメラ好きの琴線に触れるものだ。持った瞬間、その密度感ある重量と金属特有の冷たさが手に伝わり、写真を大いに撮る気にさせる。シンプルな操作性も好感の持てるところ。フィルム巻き上げレバーを本体から引き出すと、露出計が作動を開始する。ファインダーを覗き被写体にカメラを向けると、アナログ式の露出計の針がレスポンスよく反応するのは今でも新鮮。受光素子をSPDとしたことによるものだが、その昔流行ったステレオアンプのUVメーターの動きを思い起こすものである。ニコンには過去「Fisheye Nikkor 6mmF5.6」などミラーアップしないと装着できないレンズもいくつか登場しているが、そのためのミラーアップ機構の搭載や、AE撮影時にセルタイマーのレバーをレンズ側に倒せばAEロック(当時のニコンでは露出記憶装置というちょっと大袈裟な名前で読んでいる)を可能としているのも使い勝手がよい。
ただし、唯一どうしても納得でき兼ねないのが、ファインダー内に絞り値が表示されないことだ。本モデル以前のニコマートELシリーズもそうなのだが、つくづく残念に思えてならず、それはこのカメラの唯一のウィークポイントと述べてよい。絞り優先AEならば、設定した絞り値がファインダーを覗き、被写体と対峙した状態でも知りたいし、何より絞り値の設定の失敗も抑えられる。特に本モデルの場合Ai方式となり、対応するニッコールレンズは絞り値がファインダーで読み取れるよう専用の絞り表示を備えているのにも関わらず、である。絞り値を知るには、いちいちファインダーから目を離し、レンズの絞りリングを確認しなければならないのはまったくナンセンスだ。それが可能となるには、1978年4月発売の「ニコンFE」の登場を待たなければならないわけだが、ニコンEL2で対応できていたら、1年にも満たなかったモデル寿命はもっと延びていたかもしれないし、語り継がれるカメラとして今以上に名を残せたのかもしれない。そう思うと本当に残念でならないカメラである。
大浦タケシ|プロフィール
宮崎県都城市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、雑誌カメラマン、デザイン企画会社を経てフォトグラファーとして独立。以後、カメラ誌をはじめとする紙媒体やWeb媒体、商業印刷物、セミナーなど多方面で活動を行う。
公益社団法人日本写真家協会(JPS)会員。
一般社団法人日本自然科学写真協会(SSP)会員。