D76の⻩色い箱[暗室への道] Vol.03メイン写真

馴染みの店

店主や顔馴染みのお客さんとの付き合い。

「馴染みの店の多さはその人の魅力に比例する」とは知人の言葉ですが、それは真理と思っています。

では、馴染みの客だと認定されるにはどのような条件が当てはまれば確定するのか。

その判定方法は店其々ですが、店員さんから顔を覚えられるというのは最低条件でしょう。

「池袋東口カメラ館」暗室用品売り場

⻑々と書きましたが。

とある家電量販店の暗室用品売り場、そこが高校・大学時代の馴染みの店でした。

場所は池袋。東口ロータリーの目の前。当時はビル一棟が丸々写真関連の売り場で集約された「池袋東口カメラ館」。

1階が当時の新製品、2階がフィルム売り場、三脚・カメラバッグ・額装やアーカイバル用品を販売していた3階から5階。そしてその中でもほぼ毎週のように通っていたのが6階の暗室用品売り場。売り場奥には常設の「アウトレットコーナー」があり、期限切迫品の印画紙や薬品を漁るのが私の楽しみでした。その売り場配置は今でも覚えています。

階段を登り6階フロアに入って直ぐの棚はKodakの薬品コーナー。その反対側はILFORD。向かい側は富士フイルム。

薬品コーナーを囲むように印画紙の棚が配置され、拓けた空間で引伸し機とラッキーのCPシリーズ(自動現像機)が展示販売されていました。…書き出してみましたが、今考えてもいい空間ですね。あの頃に戻りたい。

そういえば今愛用しているオリエンタルのVC-FBも、大学時代の金欠期を支えてくれたケントメアも、アウトレットで購入してそのトーンの深さに驚いたフォマやベルゲールの印画紙も、みんなここの6階で出会ったのでした。

やっぱりあの頃に戻りたいっ。

毎週のように通っているの学ラン姿の学生が珍しかったのか、売り場で主任をしていたであろう初老の店員さんとよく話すようになりました。話題は現像液や印画紙の話です。「ネオパンSSとミクロファインの相性の良さ」とか、「定着液を⻑持ちさせる現像方法」とか。まあマニアックですよね。興味のない方はむしろ健全です。もし興味のある方はお仲間ですね。もう逃さないですよ。

Kodak D-76

その売り場で私が一番購入したのが、階段上がって直ぐの棚にあったKodakのD76。

「でぃーななじゅうろく」ではありません。「でぃーななろく」です。

「何か蒸気機関車みたいな名前だな」というのが、私のD76の第一印象でした。

1927年に発表されたKodak D-76は、20世紀で最も使用されたと言っても過言ではない現像液です。

今、世界で名作と謳われている数多の作品も、D76の産湯を浸かって産まれてきたのでしょう。

35mmフィルムカメラが写真撮影の主戦力であり、モノクロ写真が当たり前だった時代。

処方しやすく、安定した微粒子現像が可能なD76は世界中で愛用されました。

我が家の書棚にある「イーストマン寫眞處方集」(昭和14年10月20日・第25版)にも、D76の処方が記載されています。

時代は1939年。世界が第二次世界大戦に突入したこの年にも、やがて敵国になるアメリカ生まれの現像液が日本でも活躍していたのは何とも言えないですね。因みにこの年の12月に軍機保護法が改正され、ビルや高台からの俯瞰撮影が禁止に。実質的なアマチュア写真家の活動は一気に困難となっていきます。戦争はやっぱり虚しいですね。

1ガロンのD76

そんなD76は袋入りで販売されているのですが、袋のタイプが2種類ありました。

1リットルと1ガロン。私は断然1ガロンでした。理由は単純、1リットル用を数買うより安かったからです。

1ガロンのD76は3.8リットルの50度のお湯で攪拌して完成。高校・大学時代は大型のビーカーを買う余裕もなく、

ホームセンターで販売されていた5リットル用のバケツで攪拌していました。予め攪拌しておいたバケツの中に、D76の粉末を投入。独特な匂いが充満するので、ほぼ窓は全開です。溶解したD76はポリビンに入れて保管。

「暗室あるある」の一つに、このポリビンが増殖するというものがあります。初めは1、2本だったのが、いつの間にか3本、4本、5本と…。怖いなー、どうしてかなー。無論、自分もその恐怖を味わった一人です。

今管理している暗室も、ポリビンの増殖警報が鳴っています。そろそろ整理が必要ですね。

大学の写真学科に入り、最初に驚いたことは現像液と定着液が実習中は使い放題だったこと。「ビールサーバー」ならぬ「現像液サーバー」があり、そこから必要な量をとる方式でした。悪知恵が働いた悪友たちの中には、それを自前のポリビンに移し替えてテイクアウト、自分の制作活動に使っていました。なかなかのアウトローですね。

因みにこの友人、ポリビンを数買う余裕がなかったのかウイスキーの空き瓶にD76を入れたのが運の尽き。

ある晩、泥酔して帰宅したところを「ウイスキーがまだあった!」とこの中身を飲んで…トイレの住人になりました。

D76の水割りを飲んだ人間は、今のところ彼以外は知りません。というか何故飲んだ。

⻩色い箱にKodakの赤いロゴ

…話を戻しまして。

かの池袋にあった現像液売り場では、D76はKodakの⻩色い箱に入って陳列されていました。

輸送用の箱がそのまま陳列用ケースになるわけです。この箱、⻩色いベースにKodakの赤いロゴが入っていて

カッコイイんです。ある時、この箱がどうしても欲しくなり店員さんに聞いてみたのです。

「この箱って新しいの陳列するときに交換するんですよね?…古いのでいいから貰えたりしますか」

「あっ、Kodakの箱?いいよ今度あげるよ」

何でも聞いてみるもんですね。はっきり言ってしまえば⻩色いカラーリングの段ボール箱でしたが、暗室好きの心を鷲掴みにする何とも言えない魅力があったのです。

大学時代、アルバイトの給料が入った時はフィルムか現像液のまとめ買いをするのがお約束でしたが

その際はこの箱ごと購入していました。D76箱買い、こんなにカッコいいフレーズは中々ないですよ。

しかし現実は残酷。

2012年1月19日 にkodakは米国連邦倒産法第11章の適用をニューヨークの裁判所に申請。

私が大学3年の時の出来事でした。写真業界の世界的王者として君臨していた企業が倒産したことに、当時の経済ニュースは大騒ぎになりました。

「イノベーションに乗り遅れた大企業の末路」「銀塩写真の終焉の日は近い」

当時、絶対的なライバル企業だった富士フイルムがすでに銀塩市場よりも化粧品などのヘルスケア部門で名前を大きくし始めていたことも、Kodakへの煽りを強めたのだと思います。

松田聖子と中島みゆきが出演する富士フイルムの化粧品CMが、よくTVに流れていました。

「フィルムの主成分は実はコラーゲン」というフレーズを覚えています。この同時期に、私が好きだった⻩色い箱も姿を消しました。

白地のボール紙にKodakと印刷された箱を見て、なんとなく寂しい気持ちになったのを覚えています。

年月は流れ、2023年。

昨年末、コロナによる度重なる生産拠点のロックダウンや原材料の価格高騰による調達困難を理由にコダックケミカルの日本国内販売終了のニュースが流れるなど、年々銀塩写真に関わる環境下は厳しさを増すばかりです。

が、銀塩写真が世界的に見直されつつあるのもまた事実。

ここは前向きに行きましょう。

D76も海外からはまだ普通に購入できますし、何なら昔のように自分で調合すればいいのです。

今でも暗室には、D76の⻩色い箱が道具入れとして活躍しています。

銀塩写真の面白さと、⻩色い箱の格好良さは不変です。

次回も現像液の話をしましょう。

ここ数年で私のメイン現像液となったロジナールのお話です。

次回、「ボトル底の賢者の石」お楽しみに。

暗室管理人|プロフィール
1990年東京生まれ。日藝写真学科の元落第学生。 東京都渋谷区にある24時間・365日稼働の会員制暗室「DARK ROOM 207」創設メンバー 管理・運営人。 普段はサラリーマン、一児の父。三度の飯より暗室好き。