国産レンジファインダー機のトップに君臨したメーカーと言えば、その後の一眼レフ時代と同様ニコンとキヤノンであることに異論を唱える者はいないだろう。両メーカーとも高精度、高品質のレンジファインダー機で一世を風靡する。両社のなかでレンジファインダー機の製造を最後まで行ったのはキヤノンで、1970年前後までつくり続けている(ニコンは一眼レフである「ニコンF」の発売もあり、1960年代初頭にはレンジファインダー機の製造に見切りをつけている)。そのキヤノンのレンジファインダー機なかでももっとも多い製造台数を誇るのが、今回紹介する「キヤノン7」(1961年発売)である。
その特徴と言えば、まずファインダーに関する部分だろう。M型ライカ同様採光式のブライトフレームを搭載。表示するフレームは鮮明で視認性がよい。フレームの切り替えはM型ライカのように機構的に自動とはいかず手動となるが、35mm、50mm、85mm/100mm、135mmの4つから選択を可能としている。ファインダー倍率に関しては、キヤノンがそれまで採用していた倍率可変式ではなく倍率固定式とする。そのため望遠レンズの使用では精度的に劣ることもありそうである。そのファインダー倍率は0.8倍。等倍ではないものの、実像との違いは少なく、両目を開けてファインダーを覗いてもさほど違和感のないものとしている。なお、基線長は59mm、有効基線長は47.2mmとなる。ちなみに有効基線長の数字は、ライカM6(0.72)の49.3mmに近い。距離計は二重像合致式で、これまでの同社レンジファインダー機同様虚像式としている。
セレン光電池式の露出計を内蔵したのも注目点だ。レンズ交換式の国産レンジファインダー機として露出計の搭載は本モデルが初めてで、トップカバーの上に別体式露出計を載せるよりも遥かにスマートである。また、距離計用の窓を持つセレン光電池の受光部はこのカメラのアイデンティティのひとつにもなっている。なお、露出計のメーターはトップカバー中央に陣取るためアクセサリーシューは省かれることに。そのため、外付けファインダーを装着するときは専用のブラケットを使用しなければならなくなるとともに、キヤノン独自とも言える外付けファインダー用のパララックス補正機構も搭載することができなくなっている。
キヤノン7と言えば、外せないのが大口径レンズとしてよく知られる「キヤノン50mm F0.95」の存在だ。本モデルの標準レンズの一つとして同時に発売された。このレンズのマウントは、ネジ込み式のいわゆるLマウントではなくキヤノン製ミラーボックスと同じタイプのバヨネットマウントを採用。一説には重量級のレンズであることと、後玉の大きさからLマウントよりも径の大きいバヨネットとなったと言われている。もちろんキヤノン7もマウント外周はそれに応じたバヨネットマウントとしている。残念ながらキヤノン50mm F0.95を筆者が持ち合わせていないため、今回キヤノン7に装着した写真の掲載は叶わなかったが、その印象は迫力あるものだ。
この時代のキヤノンレンジファインダー機の特徴であるステンレス製シャッター幕の採用は、本モデルも継承する。一般的な布製シャッター幕の場合、太陽の光がレンズを通して直接当たると焼けてしまうことがある。ステンレス製とすることでシャッター幕の焼けを防止するわけで、とても心強く感じられる部分だ。ただし、このシャッター幕はシワ(ヨレ)ができやすいのが欠点。多少のヨレはシャッターの精度や遮光に影響ないと言われているが、不用意にシャッター幕を触ったりしないよう気をつけておきたいところである。
冒頭に記したようにキヤノン7は同社レンジファインダーのなかでも特に生産台数の多いカメラ。そのため、中古レンジファインダー機として金額的にも数量的にも手に入れやすいのも特徴だ。セレン光電池式ながら露出計も内蔵されているので、レンジファインダー初心者にも打ってつけだろう。購入の際、気をつけておきたいのは、その露出計と繰り返しになるがシャッター幕だ。露出計については、経年などにより動かなくなったものも少なくない。ただし、その分中古価格はよりリーズナブルであることが多く、また露出計が動かなくても撮影は楽しめるので割り切って使うのもありだ。シャッター幕に関しては、前述のようにヨレができやすいので、なるべく状態のよいものを選ぶようにしたい。キヤノン7の中古市場価格は、ボディ単体1万5,000円から2万5,000円ほどである(シルバーカラーの場合)。
キヤノンのレンジファインダー機はキヤノン7のセレン光電池式の露出計をCdSへと変更した「キヤノン7S」(1965年発売)を最後に製造を終える。これは同時に戦前から続く日本製レンジファインダー機の実質終焉と述べてよいだろう(もちろんその後、レンジファインダー機はいくつかのメーカーから登場しているが、その存在意義は異なる)。そして同社は開発の遅れていた一眼レフに注力し、今日があるのである。
大浦タケシ|プロフィール
宮崎県都城市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、雑誌カメラマン、デザイン企画会社を経てフォトグラファーとして独立。以後、カメラ誌をはじめとする紙媒体やWeb媒体、商業印刷物、セミナーなど多方面で活動を行う。
公益社団法人日本写真家協会(JPS)会員。
一般社団法人日本自然科学写真協会(SSP)会員。