露出計連動にAi方式を採用
1965年にスタートしたニコマートFTシリーズの"トリ"を務めたモデルである。発売開始は1977年3月。"トリ"というからには、それまでよりも秀でたところ、あるいは注目すべきところなどがなくてはならないが、それがAi方式の採用であるのは異論のないものだ。
絞りリングを往復させて開放絞りを露出計に伝える操作、通称"ガチャガチャ"をレンズ交換のたびに必要としないのは、カメラ初心者に対しフレンドリーであるのはもちろんのこと、急いでレンズの交換をしたいベテラン写真愛好家でも心強く思えたことだろう。
もちろんそのためにはAi対応のFマウントニッコールレンズを用いることが必須であるが、ニコンでは当時発売していたほとんどのレンズをすでにAi対応としたし、それ以前に購入したニッコールレンズをAi化するサービスも行っていたので、ユーザーの心配は皆無と述べてよかった。もっとも非Aiレンズでも、本モデルの場合露出計連動レバーを上方向に倒せば装着は可能であり、絞り込み測光となるが、内蔵する露出計も機能する。
2カ月後には小型軽量モデル「ニコンFM」登場
そのようなカメラであったが、発売からわずか2カ月後の1977年5月には新鋭「ニコンFM」が登場する。初代「ニコマートFT」から続く総金属製でずしりと重く、そして大きかった質実剛健とも言えるボディから、軽量でコンパクト、そして軽快なカメラへとニコンのミドルレンジ機は大きく変容したのである。
個人的に本モデルを知ったのは、発売開始から2年ほど経ったときであった。それまでキヤノンを使っていたことなどから、ニコンのカメラのラインナップはFの一桁機を除けばよく知らなかったのだが、カメラ誌の月例コンテストページか何かに掲載された撮影データからだったと記憶している。
ちなみに当時は、若かったこともありカメラ誌の写真に添えられた撮影データも目を皿のようにして真面目に読んでいたのである。ただし、残念ながら当時はインターネットなどない時代であり、また手元によい資料もなく、当初どのようなカメラなのかよくわからずにいた。想像できたのは、その名称からニコマートFTシリーズのなかの一(いち)モデルではないかということぐらいであった。そして現物を見たのは、大学に通うために九州から上京した後のことで、新宿の中古カメラショップの店頭であった。
ガラス越しに見た本モデルは、確かにAi方式を採用。絞り連動ピンのないマウント周辺は、シンプルで、ニコンの一眼レフカメラとして"今風"に思えた。そして、往年のニコマートFTシリーズと同じシェイプ、同じ大柄なボディを持ち、当時すでに人気のあった「ニコンFM」と異なる佇まいに(ある意味古臭い佇まいに)、天邪鬼な自分にはとても魅力的に映ったことは言うまでもない。貧乏学生ゆえに経済的な余裕など全くなく、購入には当然のことながらいたらなかったが、その出会いは記憶にいつまでも残るものであった。
最終モデルの完成度に注目
掲載した個体は20年ほど前に手に入れたものである。JR錦糸町駅のビルに入る今はなき中古カメラショップであった。注目は銘板で、「Nikomat」ではなく「Nikkormat」。
これはニコマートの北米をメインとした海外販売用の名称で、ニッコールマットと読む。Wikiでこのカメラについて調べると、国内の販売台数に対し、海外での販売台数のほうが大きく上回ると記されており、それが正しければニコマート銘よりもニッコールマット銘のカメラのほうが数は多いことになる。この個体もそのような状況から北米あたりのカメラショップのショーケースに並び、そして向こうの写真愛好家に買われ廻り廻って日本に戻り、錦糸町のカメラショップのショーケースのなかに置かれたのだろう。
ちなみにこの個体、状態がよかったうえに元箱や英文の取説も付属し、何より自分の好きなブラックボディだったので即決したことは言うまでもない。価格は諭吉2枚ほどだったと記憶している。現在の本モデルの中古市場価格は、状態などにも左右されるが、やはり2万円から3万円ほど。メーカーの修理対応は遠い昔に終了しているものの、シンプルな機械式シャッターであるため、万が一のときは修理専門店などで対応可能であるのも心強いところだ。
同社の販売戦略に翻弄され、わずか"2カ月天下"であった「ニコマートFT3」。その知名度は兄貴分の「ニコマートFTn」などにくらべ幾分低いが、ニコマートFTシリーズの最終モデルだけにカメラとしての完成度は高いように思える。中古カメラショップで出会える機会はそう多くはないが、ショーケースのなかでもし鎮座しているものを見つけたらぜひ手にとってみてほしい。ニコンFMシリーズのカメラとはまた違ったニコマートの魅力に気づかされるはずだ。
大浦タケシ|プロフィール
宮崎県都城市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、雑誌カメラマン、デザイン企画会社を経てフォトグラファーとして独立。以後、カメラ誌をはじめとする紙媒体やWeb媒体、商業印刷物、セミナーなど多方面で活動を行う。
公益社団法人日本写真家協会(JPS)会員。
一般社団法人日本自然科学写真協会(SSP)会員。