コニカミノルタのデジタル一眼レフ初号モデル「α-7 DIGITAL」。発売開始は2004年11月である。ミドルレンジに位置付けされるもので、フォーマットはAPS-Cサイズ。当時、同じクラスのデジタル一眼レフとしては、「キヤノンEOS 20D」(2004年9月発売)、「ニコンD100」(2002年6月発売)、「ニコンD70」(2004年3月発売)、「ペンタックス*ist D」(2003年9月発売)などが存在していた。それまで同社にはデジタル一眼レフがなかっただけに、旧ミノルターユーザーをはじめ多くのコニカミノルタユーザーが、この「α-7 DIGITAL」の登場に心底安堵したことは言うまでもない。筆者自身も本モデルの登場に心躍るものがあったことを記憶している。
「α-7 DIGITAL」で、まず驚かされたのが「アンチシェイク」、いわゆるセンサーシフト方式の手ブレ補正機構を備えていたことだろう。2003年9月発売の同社のレンズ一体型デジタルカメラ「DiMAGE A1」で最初に搭載されたもので、デジタル一眼レフとしては本モデルが初めてである。そのメリットは言うまでもなく、αマウントでカメラとの信号のやりとりする接点を備えていれば、どのレンズでも手ブレ補正が基本的に効くことだ。補正段数はメーカー発表値で2〜3段。現在のレベルではちょっと物足りなく感じるかもしれないが、発売当時は頼もしく思えるものであった。さらに同機構に関するものでユニークなのがファインダー内に手ブレの状態を示すインジケーターが備わっていたことだ。リアルタイムに手ブレの度合いが表示されるもので、今となってみれば目障りな感じがしないでもないものの、手ブレ補正機構とともに手ブレを徹底的に抑え込もうとするメーカーの意気込みを強く感じさせる。
その手ブレ補正機構を備えるイメージセンサーは、APS-Cサイズ有効610万画素のCCD。前述の「ニコンD100」や「ニコンD70」などが採用するものとスペックから同じと述べてよく、当時"熟れた"イメージセンサーであった。ただ、筆者個人はこのイメージセンサーの採用にちょっとがっかりした記憶がある。陳腐化していたことに加え、本モデル発売の2ヶ月ほど前にリリースを開始した「キヤノンEOS 20D」は800万画素であったため、せめて同等、もしくはそれ以上の画素数であれば競争力がグッと増すように思えたからである。想像するには、当時から新しいセンサーを開発できない厳しい台所事情があったのだろう。その証拠として、本モデルの発売開始から2年も経たない2006年3月、同社は祖業であるカメラ事業から撤退したのである。
そのようなイメージセンサーであったが、絵づくりは評価が高かったと記憶している。一説には感材メーカーでもある旧コニカの開発陣が関与したと言われているが、色のりがよく、いわゆるパッと見を重視したもので、それまでのライバルたちとは一線を画していた。実際撮影してみた印象では、条件によっては色飽和がまれに発生することもあったが、当時はとても新鮮に思えた。ちなみに、いわゆる仕上がり設定である「カラーモード」には、デフォルトの「ナチュラル」と、よりコントラストが高く風景撮影向けとする「ナチュラル+(ナチュラルプラス)」に加え、なぜか「Adobe RGB」もこのメニューに並んでおり、当時としてもちょっと違和感あるものであった。
ベース感度はISO100、最高感度は当時としては一般的なISO1600とする(拡張機能によりISO3200相当での撮影も可能)。ノイズレベルはISO400を超すと目立ちはじめる。ただし、当時はライバルとする他のデジタル一眼レフも似たようなものであった。参考までにISO1600をはじめ高感度に設定した場合、現在であればRAWフォーマットで撮影し、Adobe PhotoshopのRAW現像機能「Camera RAW」の「ノイズ低減」で処理すれば色ノイズおよび輝度ノイズともかなりの次元まで発生が抑えられるので、今でも「α-7 DIGITAL」を大切に所有する写真愛好家は知っておくとよい。もちろん本モデルで撮影したRAWデータの現像は現在も可能だ。
このカメラで驚かされるのがカメラ背面およびトップカバーのボタン、レバー、ダイヤル類の多さだろう。これはフィルム一眼レフである「α-7」の操作性を継承していることに加え、デジタル特有の操作部材を加えたからに他ならない。しかもボタン類はいずれもひとつの機能しか与えられておらず、それが操作部材の多さともなっている。また、アンチシェイクのON/OFFボタンのように今ではメニューのなかに入っているような機能も、本モデルではボタン操作としていることも要因だ。カメラ背面の液晶モニターのサイズは2.5インチ、解像度は20.7万画素としており、こちらは当時として一般的な値である。
ファインダーで特筆すべきは、スフェリカルアキュートマットの採用だ。これはMFフィルム時代にミノルタが開発したもので、明るいうえにピントの山の掴みやすいスクリーンでハッセルブラッドでも採用していた実績を持つ。ただし、この時代のAPS-Cフォーマットのデジタル一眼レフがみなそうであったように、本モデルもファインダー像は小さく、正直ピントの状況を確認するには、その恩恵が受けづらく感じられる。ファインダー倍率がより高ければ、ライバルに対するアドバンテージとなっていたように思えてならない。
人と異なる"オールドデジイチ"で撮影を楽しみたいと思うなら、本モデルもその仲間に加えてよいだろう。中古のタマ数は多くないため、中古カメラショップの店頭で出会える機会はさほどないが、それゆえ持つ喜びは大きい。発売当時物足りなく思えた画素数も今となっては、その時代を知る尺度のひとつと考えれば不満を感じることはない。αマウント(Aマウント)の中古レンズは比較的店頭に多く並ぶが、その多くはズームレンズなので単焦点レンズで撮影を楽しみたければ、こまめにショップを回ったり、中古カメラ検索サイトをチェックするとよいだろう。また、バッテリーが劣化している場合も多い。メーカー純正のバッテリーはすでに新品で手に入れることはできないが、AmazonなどのECサイトで互換品を購入するようにしたい。
大浦タケシ|プロフィール
宮崎県都城市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、雑誌カメラマン、デザイン企画会社を経てフォトグラファーとして独立。以後、カメラ誌をはじめとする紙媒体やWeb媒体、商業印刷物、セミナーなど多方面で活動を行う。
公益社団法人日本写真家協会(JPS)会員。
一般社団法人日本自然科学写真協会(SSP)会員。