ニコマートからニコンへ昇格

1977年のAi化の際、ニコマートELWの後継機もAi方式となった。ただ、名称が「ニコマートEL2」ではなく、「ニコンEL2」となったのである。それまで最高級機のF一桁の機種だけは「ニコン」で、中級機や普及機は別のブランド名と厳然と区別してきたニコンが、どうした風の吹き回しだろうか?背景にはニコマート系もかなり性能が上がってきて、その分価格も高価になってきたことがあるだろう。ニコマートの名前だと却って廉価版と見られてしまい、売りにくくなってきたのかもしれない。ともあれELシリーズの最終機は、晴れて「ニコン」を名乗ることを許されたのである。

そういえばレンズシャッター一眼レフの「ニコレックス35」シリーズも最終機は「ニコンオート35」であった。もっとも、輸出向けは「ニコレックスオート35」のままであったが。

SPDの採用

ニコマートELWをAi化するにあたって、ニコマートFT3のように単純に絞りの連動部分のみを変更するものと思っていた。だから受光素子をSPDに変えると聞いたとき、設計担当者としての反応は正直言って「えーっ!?」だったのである。確かに当時ライバルメーカーのTTL-AE一眼レフは、コンタックスRTS、キヤノンAE-1、オリンパスOM2など、軒並み受光素子にはSPDやGPDなどの光起電素子を使っている。相変わらずCdSを使っていては時代遅れになることは明らかであった。

しかし、ニコンとしては翌1978年にニコンFEの発売を控えており、その開発もかなり進んでいた。ニコンEL2の製品寿命はほぼ1年しかないことは決まっていたのである。そのような機種にSPD採用に必要な多大な開発投資をつぎ込んでよいのだろうか?というのが正直な感想であった。しかし、すでに決まったことなので従わざるを得ない。急遽ニコンFEのために開発中であった電子制御シャッター制御用のICを前倒しして流用することにした。ただ、そのまま使えるわけではない。ニコンFEの電源は銀電池2個で3ボルトであるのに対してニコンEL2は6ボルトになる。シャッターユニットのマグネットが6ボルトでないと動作しないのだ。制御回路の方は電源電圧の変動に影響されないような設計になっているが、IC内の素子の耐電圧の問題がある。ここはICのメーカーに頼み込んで6ボルトの電源でも動作するように仕様を変更してもらった。

フレキシブルプリント板の使用

SPDの使用で制御回路は新規のものになったが、回路規模は大きくなり、それまでニコマートELやELWで使われていた航空母艦型のガラスエポキシプリント基板に収まらなくなった。そこでペンタプリズムの屋根部をまたがるようにフレキシブルプリント板(FPC)を配置し、そこに回路部品を実装することにした。フレキシブルプリント板は現在でこそカメラを始め多くの電子機器に普通に使われているが、ニコンでカメラに本格的に用いたのは、この時が初めてである。カメラとしてはヤシカエレクトロAX(1972)あたりから使われていたが、フラットケーブル的な使い方で、それをさらに進めてメインの回路基板として使われるようになったのはキヤノンAE-1(1976)あたりからのことである。

耐熱性の高いポリイミド樹脂のフィルムに銅箔で回路パターンを形成し、それに電子部品を半田付けするもので、ガラスエポキシなどの固いプリント基板と大きく違うのは、リード線や電子部品を半田付けする電極部分を除いて、カバーコートという保護フィルムで全面を覆うことができる点だ。そのため回路パターンを外気の湿気やゴミから保護することができ、それらによる絶縁低下を嫌うSPD回路用としては、まさにうってつけの実装材料と言えるだろう。もちろん、フィルム状のため折り曲げ自在でカメラボディのちょっとした隙間にも這わせることができ、スペースの有効活用に大いに役立つという点も大きい。

ただ、ニコンEL2のときはまだまだその使い方のノウハウが蓄積されていなかったので、ガラスエポキシ基板と同じような使い方をしていろいろ失敗もあった。その意味でニコンEL2はフレキシブルプリント板の練習台のような形となり、その経験が後年のニコンFEなどに生かされている。ニコンEL2は、単にSPDの採用という以上に回路実装技術の進歩の面で大きな意味があったのだ。

シャッター速度とフィルム感度範囲

マニュアルシャッター速度には新たに8秒が追加され、またフィルム感度の設定はASA25-1600からASA12-3200へと広げられた。これはSPDの採用に伴って新しく設計された回路によるものである。

シャッターダイヤルには8秒が加わった。実はそれまでのニコマートEL/ELWにも8秒はあったのだが…。ダイヤルにあったシンクロタイムラグ切り換えは自動切換えとなり、省略された
フィルム感度設定はASA12-3200に拡張された。感度ダイヤルには露出補正のための目盛りが追加されている

シャッター速度に関しては、実はニコマートEL/ELWにも8秒が存在していた。しかし発売の直前になってセルフタイマーの使用や高温高湿などの悪条件が重なると、オートの8秒の精度が保証できないことが判明した。そこでマニュアルの秒時も4秒までに変更したという経緯がある。ただ、シャッターダイヤルの"8"の表記を取り去り、その場所のクリックをなくしただけで、8秒の位置を電子回路に伝えるための機能はそのまま残されている。そのためニコマートEL/ELWのシャッターダイヤルは最長秒時の4秒とバルブ"B"の間隔が広くなっており、その位置にダイヤルを持ってくると8秒の速度でシャッターが切れる。これは一種の裏ワザとして一部のマニアの間で語り継がれているが、もちろん精度の保証はない。

ニコンEL2では、回路の変更によって正式に8秒が復活したというわけだ。

可倒式露出計連動レバー

Ai改造していない古いFマウントのレンズをAi方式のボディに装着しようとすると、絞りリングの後端がボディ側の露出計連動レバーと干渉して装着できない。そのためニコンEL2やニコマートFT3の露出計連動レバーは、連動リングにある小さなボタンを押すとレバーを外側に倒して干渉を避けられるようになっていた。これを「可倒式」と呼んでいる。こうすればAi改造していない古いレンズでも絞り込み測光で使えるわけだ。これも旧製品のユーザーに対するニコンの面倒見の良さを表している。

Ai方式の露出計連動レバーは可倒式。この写真でレンズの着脱指標のそばにあるロックボタンを押すと、連動レバーを起こして非Aiレンズが装着できるようになる
露出計連動レバーを起こしたところ

ただ、この機能はニコンEM(1979)以降の機種では最高級機を除いてやめてしまった。F一桁のフラッグシップ機ではニコンF4(1988)までは可倒式が続いていたが、それを最後にやめている。その後2013年になってデジタル一眼レフのニコンDfにこの可倒式の連動レバーを復活させ、話題となった。

豊田堅二|プロフィール
1947年東京生まれ。30年余(株)ニコンに勤務し一眼レフの設計や電子画像関連の業務に従事した。その後日本大学芸術学部写真学科の非常勤講師として2021年まで教壇に立つ。現在の役職は日本写真学会 フェロー・監事、日本オプトメカトロニクス協会 協力委員、日本カメラ博物館「日本の歴史的カメラ」審査員。著書は「とよけん先生のカメラメカニズム講座(日本カメラ社)」、「ニコンファミリーの従姉妹たち(朝日ソノラマ)」など多数。