左からニコンFM2、ニコンNewFM2

1.フォーカルプレンシャッターの最高速

長い間、フォーカルプレンシャッターの最高速は1/2000秒止まりであった。多くの一眼レフやレンジファインダーカメラでは1/1000秒が最高速で、1/2000秒を備えたフラッグシップ機がときどき登場するという構図だったのである。キヤノンでいえば1960年のR2000、1971年のF-1、ニコンでは同じく1971年のF2、そして前回紹介したF3などがその例である。そんな形で20年以上の間1/2000秒の壁を破ることができなかったのだが、それを打破し、ふたたびより高速を追い求めるきっかけを作ったのがニコンFM2である。

2.ストロボ同調速度の高速化

1970年代の終わりごろ、米国のスポーツ誌「スポーツイラストレイテッド」のカメラマンがニコンを訪ねて「なんとか一眼レフのストロボ同調速度を1/500秒まで上げてくれないか」との要望を伝えてきた。なんでもバスケットボールの競技場の照明が明るくなり、そのため1/125秒の同調速度ではシュート時の動きを止めることができないということだ。技術的に難しいと一度は断ったが、そのカメラマンにとって切実な問題で、例え画面の上下をカットすることになってもよい、せめて1/250秒まで高速にすることは出来ないかというようなやり取りが続き、ストロボ同調速度の速いシャッターの開発がスタートすることになった。そう、当初の目的は実は最高速の向上ではなく、ストロボ同調速度を速くすることだったのである。

3.シャッター幕の軽量化

ストロボ同調速度を上げるには、シャッター幕の幕速を上げる必要がある。シャッター幕はスプリングで駆動するので、一つの方法としてはそのスプリングを強くすればよいのだが、あまり強くするとその力でシャッターの基板が歪んだりするので限界がある。もう一つの方法がシャッター幕の質量を小さくすることだ。その点ではシャッター幕と一緒に幕を巻き取るためのドラムが動くドラム型フォーカルプレンシャッターは不利だ。そこでスクエア型フォーカルプレンシャッターの幕を構成する羽根を軽量化することを考えた。

薄い板状に加工でき、かつ軽くて丈夫な材料として当初はアルミベースの軽合金が用いられたが、これをチタンにすれば軽量化できる。そして、これを更に軽くするためにケミカルエッチングを施して薄くした。全体を薄くすると強度がもたないので、格子状に周囲より厚いところを残しておくところがミソである。ちょうど和室で使われる障子のようなものだ。障子では桟(さん)の部分で強度を確保し、薄い障子紙の部分で目隠しの機能をもたせているわけだが、それと同様の原理である。格子の形状は六角形を半分に切って並べたようなものでちょうど蜂の巣を連想するため、「ハニカムパターン」と呼ばれた。

シャッター幕のハニカムパターン。チタン製の羽根を極限まで薄くするとともにハニカム状の厚い部分で強度を確保している

4.1/4000秒の高速と1/200秒のストロボ同調

こうしてそれまでの1/2000秒の壁を破った高速フォーカルプレンシャッターが完成し、まずは1982年のニコンFM2に搭載された。ただ、目標であったストロボ同調速度1/250秒は達成できず、1/200秒となった。くだんのスポーツ誌の記者は、1/250秒実現のために画面の上下が少々カットされても良いということだったが、一般ユーザー向けのカメラとしてはそのような仕様は受け入れられない。結局ストロボ同調速度は1/200秒までとなり、シャッターダイヤルに「X200」のポジションを設けることになった。

それでも20年以上も長きにわたって立ちはだかっていた最高速1/2000秒の壁がやぶられたのである。ニコンFM2の登場は驚きと賞賛をもって迎えられた。

ニコンFM2のシャッターダイヤルには1/4000秒の次に”X200”のポジションがあり、1/200秒のストロボ同調速度を使用する際にはここに合わせる。ストロボ同調速度が1/250秒になったNewFM2ではこのポジションは廃止された

5.FMからの変更点

新開発のシャッター以外はおおむねニコンFMのものをそのまま流用しているが、部分的に変更した箇所もけっこう存在する。

仕様上の大きな違いの一つは、ファインダースクリーンが交換可能になった点だろう。これはニコンFEの項でも述べたが、レンズを外してマウント側から交換する形式を採用した。交換スクリーンはK型(スプリットマイクロマット)、B型(全面マット)、E型(格子線入り)の3種類が用意された。

ファインダー接眼部にストロボ用のレディライトが設けられたのも主要な変更点の一つだ。専用のストロボを装着したときにファインダー内でレディライトが確認できるという機能はニコンF2に組み込まれていたが、ニコンFEからはこれを中級機にも組み込んでおり、ニコンFM2にも適用したわけだ。そのための接点がホットシューに追加された。ただ電子制御シャッターではないのでストロボ同調速度に自動的に設定する機能は使えず、同調速度よりも速いシャッター速度に設定するとレディライトが点滅して警告する形式にとどまっている。

シャッターボタンは径が大きいものになり、押しやすくなったが、ケーブルレリーズはテーパーねじのもの専用になり、かぶせ式のものは使えなくなった。その他外観上では右手側前面に”FM2”のロゴが加わったり、セルフタイマーレバーの形状が変更されたりというところがFMとの差異である。

内部機構では、シャッターダイヤルとシャッターユニットとの連携がFMの糸と滑車からオーソドックスなベベルギア(傘歯車)を用いたものになり、露出計回路の実装もニコンFEと同様にペンタの屋根にFPCを配置したものになった。

6.ニコンNewFM2

ニコンFM2で最高速1/4000秒、ストロボ同調速度1/200秒を達成した後も高速化のための開発は進み、1984年のニコンNewFM2ではストロボ同調速度1/250秒を達成した。これはシャッター羽根の新しい材料の開発によるところが大きい。より軽くて強く、また低コストの材料を求めてさまざまな試みがなされている。このNewFM2でも当初はハニカムパターンのチタン製だったが、途中から軽合金性に変更されている。

ニコンNewFM2は、かなり長い間製造されたが、その一つの理由がマニュアル露出の露出計連動機だったということにあるだろう。写真学校などで絞りやシャッター速度などの概念を教えるのには、自動露出搭載のカメラより、各要素の役割を考えながら設定する露出計連動機の方が好都合だったのだ。

また、ニコンNewFM2はいくつかのバリエーションがあることでも知られている。ニコンF3のときと同様にチタンを外装に用いたNewFM2/Tが1993年に発売されており、更に雑誌「ラピタ」とのコラボレーションで前面に「LAPITA」と彫刻したモデル、台湾向けに犬やドラゴンを彫刻したモデルなどが知られており、マニアやコレクターの標的となっている。

豊田堅二|プロフィール
1947年東京生まれ。30年余(株)ニコンに勤務し一眼レフの設計や電子画像関連の業務に従事した。その後日本大学芸術学部写真学科の非常勤講師として2021年まで教壇に立つ。現在の役職は日本写真学会 フェロー・監事、日本オプトメカトロニクス協会 協力委員、日本カメラ博物館「日本の歴史的カメラ」審査員。著書は「とよけん先生のカメラメカニズム講座(日本カメラ社)」、「ニコンファミリーの従姉妹たち(朝日ソノラマ)」など多数。