ニコンを変えずにニコンを変えた
1967年のニコマートFTnから始まった「ガチャガチャ方式」は、ニコンのTTL測光の露出計連動に画期的な効果をもたらした。レンズを交換した際に、ユーザーは装着したレンズの絞りリングを最小絞りまで回し、次に開放F値の制限に当たるまで回すだけで、レンズの開放F値の差による測光値の違いを補正できる。そのため絞り連動用のカニ爪のあるレンズならば新旧に関わらずTTL開放測光の最新のカメラで使えるようになったのだ。
しかし、時代が進むにつれ、ガチャガチャ方式の問題点も顕在化してきた。非常に単純な動作とはいえ、他社カメラのユーザーの場合は必要のない「儀式」をレンズ交換のたびに行う必要があるのだ。旧来のニコンユーザーからは賞賛された方式でも、なんのしがらみのない新たな一眼レフユーザーにとっては大きなハンデとなる。
そこでニコンは1977年に一眼レフの絞り連動方式を全面的に改変し、ガチャガチャの「儀式」なしにレンズ交換ができるようにした。この新方式は「Ai方式」と呼ばれた。 "Ai"は"Automatic Maximum Aperture Indexing"の略とのことである。そしてこのAi方式への変更にあたってのキャッチフレーズは「ニコンを変えずにニコンを変えた」であった。
Ai方式の概要
基本的なところはトプコンREスーパーやミノルタSRT101などの絞り連動機構と変わらない。レンズ側の絞りリングに「露出計連動ガイド」という突起部を設けておき、その端面がレンズ装着時にボディ側の「露出計連動レバー」に当たって設定絞り値をボディに伝える。露出計連動レバーはレンズマウント周囲を円弧状に動くようガイドされており、スプリングで開放側に力を加えられているので、絞りリングと一体になって動く。そしてこの露出計連動ガイドの位置を絞り開放の位置から一定角度のところに設定することにより、TTL測光に必要な「開放から何段絞り込むか」という情報を伝えるようにしたのだ。
そこで問題になるのは、旧製品を所有しているユーザーへの対応をどうするかということだ。メーカーによっては絞り連動方式をTTL向けに新設あるいは変更するときに、旧製品のユーザーをばっさり切り捨ててしまうところもあったが、ニコンはそうはしなかった。それまでの交換レンズを持っているユーザーでも新しいAi方式のカメラボディに装着して使えるようにし、またガチャガチャ方式のカメラボディに新しいAi方式のレンズを装着して使えるようにしたのだ。
続投となったカニ爪
まず旧カメラボディのユーザーへの対処だが、これはAi方式のレンズにもカニ爪を設けることでそれまで通りガチャガチャ方式で問題なく絞り連動ができるようにした。ただし、後に述べるような理由によりカニ爪には明り取り用の窓が2つ設けられており、その外観から「ブタ鼻」とも呼ばれている。その後新たに発売された交換レンズにも最初からブタ鼻が設けられており、これは一部を除いて1987年のAF化まで続いた。AF以降もユーザーが希望すればブタ鼻を絞りリングに付加するサービス(有償)を設定し、これは絞りリングそのものがなくなったGレンズが出るまで続いた。
Ai改造
では、それまでのカニ爪を備えた交換レンズは新しいAi方式のカメラボディに装着して使えなかったのだろうか?それについてもニコンは手厚い対応をしている。旧レンズのほとんどのものについて絞りリングの交換部品を用意し、サービス部門でこれと交換することにより、Ai方式のボディに装着して問題なく使えるようにしたのだ。そして新たにAi方式のカメラボディを購入したユーザーには、所定の本数に限ってこの改造を無償で引き受けた。
このようにして改造されたレンズのことを「Ai改」レンズと呼んでいるが、ブタ鼻もついているので、改造後もそれまでのガチャガチャ方式のカメラボディでもちゃんとTTL連動で使える。ただ、絞りリングの交換のみにとどまったためレンズ後端の保護カバー部の形状でレンズの開放F値を伝える機能は省略されている。しかしこの機能は限られた機種でしか使われていないので、省略しても特に大きな問題とはならなかった。
Ai化されたカメラボディは5機種
カメラボディの方は、このAi方式に対応するものとして以下に示す5機種のものが1977年中に発売された。
- ニコンF2フォトミックA(3月発売)
- ニコマートFT3(3月発売)
- ニコンEL2(5月発売)
- ニコンFM(5月発売)
- ニコンF2フォトミックAS(7月発売)
5機種のうち、ニコンEL2とニコンFMは項を改めて解説する。残りの3機種は、いわばそれまでのガチャガチャ方式のカメラを絞り連動部分のみ変更してAi対応としたものである。つまり、それまでカニ爪と係合した絞り連動ピンの代わりに露出計連動ガイドに連携して動く露出計連動レバーが設けられ、その動きがガチャガチャ機構を介することなく直接可変抵抗に伝えられて、設定絞りの情報を露出計に導入するのだ。露出計連動レバーはニコマートFT3の場合はレンズマウント周りのリングに設けられ、ニコンF2のフォトミックAとASではそれまでの四節リンク機構がそのまま使われていた。
なお、ニコンF2フォトミックAS用にはAiレンズに新たに設けられた「EE連動ガイド」を用いて絞りリングを駆動する「EEコントロールユニットDS-12」が用意された。
直読式絞り表示
Ai方式のレンズの絞りリングには通常の絞り目盛の他にもう一列の文字の小さな絞り目盛が設けられている。これは直読式のファインダー内絞り値表示のためのものだ。ニコンF2フォトミックなどではファインダー内に設定絞り値を表示していたが、Ai方式になると開放から設定絞りまでの段数をボディ側に伝えるので、設定絞りの絶対値はわからない。そこで絞りリングにファインダー内表示用の目盛りを設け、これを光学的に導いてきて表示するようにしたのだ。
このような直読式絞り表示は別に珍しいことではなく、1960年代から東独のペンタコンスーパーをはじめとして様々なカメラに用いられている。ただ、他社の例では絞りリングに刻まれた絞り数値そのものを読み取るのに対して、ニコンは表示専用の目盛りを設けた点が異なる。他社の場合だと、どうしても数字を斜めから見る形になるので、より垂直に近い角度で数字を読み取るようにしたものと思われる。
AiかAIか?
つい最近のことだが、Aiの表記は大文字の"A"と小文字の"i"を組み合わせた"Ai"なのか、それとも両方大文字の"AI"なのか、どちらが正しいかということがネットで話題になった。確かにニコンのカタログでは黒い四角の背景に"Ai"と白抜きで記したロゴが当初から一貫して使われている。ところが、ニコン本体が関与している出版物でも"AI"と大文字のみで表記しているものが多く存在しているのだ。例えば朝日ソノラマから1979年に発行された「続・ニコンのすべて」という書籍の中でニコンの設計者がAi方式について解説しているのだが、ここではすべて大文字のみの"AI"となっている。ニコンの社史では75年史は"Ai"だが、100年史では"AI"となっている。他にも同様の例はある。どちらが正しいとも言えないというのが実情のようだ。
豊田堅二|プロフィール
1947年東京生まれ。30年余(株)ニコンに勤務し一眼レフの設計や電子画像関連の業務に従事した。その後日本大学芸術学部写真学科の非常勤講師として2021年まで教壇に立つ。現在の役職は日本写真学会 フェロー・監事、日本オプトメカトロニクス協会 協力委員、日本カメラ博物館「日本の歴史的カメラ」審査員。著書は「とよけん先生のカメラメカニズム講座(日本カメラ社)」、「ニコンファミリーの従姉妹たち(朝日ソノラマ)」など多数。