1.フラッグシップ機のAE化

1970年代は一眼レフのTTL-AE化が進んだ時代である。エレクロトニクスの発達によってカメラにも半導体ICが使えるようになり、高度な信号処理を駆使して電子的にシャッター速度や絞り値を制御できるようになったのだ。ただ、このようにして最先端の技術を盛り込んだのは、主として中級機であり、最高級のフラッグシップ機に適用されるまでには結構時間がかかった。

最高級機のユーザーである報道関係などのプロカメラマンは、コンサーバティブで、なによりも信頼性を重んじる。ここぞというときにトラブルで撮影できないというようなことは絶対にあってはならないのだ。従って開発するメーカーとしてはその分慎重になり、絶対の自信を持つまで世に出さないことになる。

2.最初の試作はフォトミック形式だった

ニコンF2の後継機を出す際にも、TTL-AEとすることは最初から決まっていたが、当初計画されていたのはニコンF、F2と引き継がれてきたフォトミック形式を継承するコンセプトであった 。ボディ本体には電子制御シャッターとマニュアル制御のための回路を置き、ファインダー側にはTTL測光の受光素子とその光電流を処理してシャッター速度を自動制御する回路を置く。フォトミック以外のファインダー付きモデルではマニュアルのシャッター速度のみが使え、フォトミックファインダーを装着すれば絞り優先AEが可能になるという仕様だ。要はミノルタX-1と同様の方式だ。しかし、フォトミック形式はどうしてもファインダー部が大型となり、また高倍率ファインダーなどの他のファインダーと交換したときにAEが使えなくなるという問題があるため、その後の試作ではフォトミック形式を断念した形となった。ただ、フォトミック形式がここで途絶えたわけではなく、その後ニコンF4で復活している。

初期の試作機。フォトミック形式で交換ファインダーにTTL-AEの回路を組み込んだ。この段階では外観上はほとんどニコンF2である

3.ボディ測光

それまでニコンではTTL測光の受光素子をファインダーペンタプリズムの射出面、接眼レンズの横あるいは上に置いていたが、それが使えなくなったので、新たにボディ側に受光素子を置く「ボディ測光」を開発した。いろいろと検討した結果、受光素子はミラーボックス底部に置き、メインミラーを透過した被写体光をサブミラーでこの受光素子に導く方式にした。後年のAF一眼レフがAFセンサーに光を導くのに用いたと同様の光学系である。ただ、普通はメインミラーの中央部をハーフミラーにして被写体光を分割するのだが、ニコンF3ではハーフミラーを使わず、ミラーの反射面に20×30ミクロンと非常に微小な穴をたくさん開けたピンホールミラーを用いている 。

これはハーフミラーの場合、反射光と透過光がそれぞれ偏光してしまうので偏光フィルター(PLフィルター)使用時に露出誤差が出てしまうことへの配慮だ。この問題は円偏光フィルター(C-PLフィルター)を使えば解決可能なのだが、当時はまだ円偏光フィルターが普及していなかった。

このピンホールミラーはメインミラー中央部のみとなるので測光感度分布は他のニコンのカメラよりも中央部重点度の高いものになっている。

なお、ボディ底面に置かれた受光素子は撮影時にミラーが上がると今度はフィルム面からの反射光を受ける形となり、ストロボのTTL調光のセンサーとしても働く。

ピンホールミラーとサブミラーによるボディ測光の光学系。底部に置かれた受光素子はストロボのTTL調光用センサーとしても働いた。(写真工業出版社刊「ニコンテクニカルマニュアル【増補版】」より引用)

4.ドラム型のフォーカルプレンシャッター

ニコンF3では、F2までと同様ドラム型のフォーカルプレンシャッターを採用した。それまでのニコンのTTL-AE一眼レフにはコパルかセイコーのスクエア型電子制御シャッターを使っていたが、当時のスクエア型フォーカルプレンシャッターは、フラッグシップ機に用いるにはまだ信頼性などの面で不安があったのだ。そこで実績のある3軸のドラム型シャッターを電子制御のものに改造して、なおかつユニットシャッターとしたのである。ユニットシャッターといえばスクエア型シャッターだけと思われるかもしれないが、ドラム型の方もユニットにする利点が多いので、1976年のキヤノンAE-1以降いくつかのカメラで使用されていたのだ。

ニコンF3のドラム型フォーカルプレンシャッターユニット。左端に見える緑色の部品が後幕スタートのための電磁石。ユニットとしたため、ボディに組み込む前にシャッター単体で各種の調整が行える

5.測光・制御回路

シャッター速度の制御には水晶発振子を用いたクォーツ制御とした。また、オート時のシャッター速度表示には液晶を用いたデジタル表示が使われた。これらはニコンのフラッグシップ機としてはかなり先進的でチャレンジングな選択だったといえる。特に液晶表示装置は電卓や腕時計で実績があるとはいえ、信頼性の面で不安があった。経年により劣化し、使用するしないにかかわらず何年か後には表示しなくなるというような話もあったのでそれが大きな懸念事項であった。もしそれが本当なら修理パーツとして別途保管しておく液晶パネルも経年劣化して使えなくなるのだ。しかし、それは杞憂だったようだ。ニコンF3に搭載された液晶表示装置は、ほとんどのものが数十年後の現在でも問題なく動いている。

それまでのニコンFEなどで開発した測光・制御回路に、これらの新機能が加わったため回路規模は増大している。それをカメラに実装するのにフレキシブルプリント板(FPC)を使うのだが、ニコンF3ではファインダーのペンタプリズム部が外れるのでペンタの屋根を回路スペースとして使うことはできない。やむを得ずカメラボディの巻き上げ側前面からボディ底部を通り、更に巻き戻し側前面を通ってファインダースクリーン前の液晶パネルに至る大型のFPCに実装することになった 。

ここで注目すべきはボディ前面の両端に縦に並んだ調整用の半固定抵抗である。回路素子のばらつきや組み立て時のばらつきを最終的に調整するためのものだが、ニコンF3では組み立てラインにコンピュータで制御された自動調整装置を備え、個々のボディの回路からの出力信号をモニターしながらモーターでこれらの半固定抵抗を回し、最終調整を行っていた。そのため、前板のダイカストには調整用の穴が設けられていたのである。

回路基板をボディに組み込んだところ。ミラーボックスのスペースの両サイドとボディ底部に大型のフレキシブルプリント板(FPC)が這いまわされている。両サイドにある縦長の白い基板は調整用の半固定抵抗で、組み立てラインの中でコンピュータ制御の調整装置で調整される(写真工業出版社刊「ニコンテクニカルマニュアル【増補版】」より引用)

6.ジウジアーロのデザイン

ニコンF3には自動車のデザインで有名なジョルジェット・ジウジアーロのデザインが加わった 。最初は先方からオファーがあったと聞いている。ボディ前面の赤いラインや、モータードライブMD-4の斜めに傾いたシルエットなど、それまでのニコンにはないセンスが光っている。実は同時期に発売されたニコンEMにもジウジアーロの手が入っているのだ。その後も多くのニコンのカメラについて、ジウジアーロが手がけるようになった。

後期の試作機。外観デザインにジウジアーロの手が入る直前のものと思われる

7.バリエーション

ニコンF3にはバリエーションが多い。まず1982年にはニコンF3ハイアイポイントが発売された。眼鏡を使用しても楽に全視野を見渡せるよう、接眼アイポイントを25mmと大きくしたものだが、その代わりファインダー倍率は少し小さくなり、接眼部のねじ径が大きくなっている。このハイアイポイントファインダーはその後のニコン一眼レフの標準仕様となった。

カメラボディの外装にチタンを用いることは、ニコンF2の時代から試みられていたが、ニコンF3についてもF3/Tというモデルが発売された。当初はチタンカラーであったが、後にブラックのモデルも出された。

また、報道などのプロ向けにホットシューの装備や防水性能の向上などいくつかの変更を加えたニコンF3Pも開発された 。このモデルはその後一般向けにニコンF3Limitedの名称で市販されている。そのほかモータードライブのコマ速を上げたニコンF3H、NASAからの特注で開発した2種類のカメラなどがニコンF3のバリエーションとして挙げられるだろう。

バリエーションの一つ「ニコンF3P」。プロ用ということでシャッターボタンにゴムのカバーを設けるなど、特に防塵防滴に配慮がなされた。多重露出やセルフタイマーなど、プロが使わない機能は省略されている