1. マルチパターン測光
1977年の終わりごろ、ニコンでは高速シャッター開発のプロジェクトと並行して、新しい測光方式のプロジェクトが発足していた。一眼レフの内蔵露出計は外光式からTTL、全画面平均測光から中央部重点測光と進化してきたが、なかなか100%完璧なものにはいたらず、場面に応じた露出補正を必要とした。その状況をなんとか改善しようというプロジェクトである。
ヒントになったのは引き伸ばし機の露光時間制御に関するパテントだった。引き伸ばし機で投映された画像をいくつかの領域に分割し、各領域の像の明るさの分布から露光時間を決めるというものだった。これをカメラに応用できないかというのである。
2. データの収集
問題は撮影画面内の明るさの分布と適正露出とがどのような関係にあるか、ということである。これを探るために様々なシチュエーションでデータを収集することから始めた。ニコンFEのボディを使って画面枠に縦4個、横6個の計24個のSPDチップを並べ、それぞれの領域の明るさを取得する。これと普通にフィルムを装填したもう1台のニコンFEとを並べて被写体を撮影する。フィルムを入れた方のニコンFEは露出のブラケティングを行い、その中から適正露出のコマを抽出し、それと明るさ分布のデータとを突き合わせ、その相関から適正露出を得るアルゴリズムを導きだすのだ。このようなデータの収集は海外にも及んだという。
現代でいえば膨大な教師データを収集し、AIならぬ専門家グループの知識で適正露出のアルゴリズムを導き出したというところか。この時代にすでにAIのような考え方が存在していたのである。
3. カメラへの実装
こうして開発された測光方法は「マルチパターン測光」と命名され、1983年のニコンFAに実装された。当時の技術では画面の分割数をあまり多くするわけにはいかず、結果的に5分割となった。受光面を3つの領域に分割したSPDを開発し、これをファインダー接眼部の左右に配置する。それらを使ってファインダー画面の5つの領域からの測光値を取得するのだ。
それまでも撮影画面を領域に分割して測光する技術は存在した。ミノルタSRT101のCLC方式では画面を上下に分割して2個のCdS受光素子でそれぞれの領域を測光している。またトプコンREスーパーでもミラーの裏に貼り付けたCdSが2つの領域に分割されている。ただエレクトロニクスがまだカメラに導入されていない当時としては各領域の測光値を詳細に分析することはできず、せいぜいで複数のCdSの接続を工夫する程度のことしかできなかった。
ニコンFAでは各領域の測光値を内蔵のマイクロプロセッサで処理して最終的な適正露出を導き出している。このマイクロプロセッサの導入が、マルチパターン測光の実現に大きく貢献していると言えるだろう。初期のTTL測光ではなし得なかった各領域からの測光値を処理するアルゴリズムの実行が可能になったのだ。このような多分割測光はその後他社でも採用するようになり、技術の進歩に応じて分割数を増やしたり、被写体距離情報や色の情報を採り入れたりして改良され、現在にいたっている。
4. マルチモードAE
ニコンFGに引き続きニコンFAも絞りの自動制御機構を組み込み、ニコンとしては2番目のマルチモードAE搭載機となった。ニコンFGには欠けていたシャッター速度優先AEも加わり、絞り優先AE、プログラムAE、そしてマニュアル露出と4つのモードがそろった。絞りの制御は瞬間絞り込み測光を踏襲している。ファインダー内のシャッター速度表示はニコンF3と同じ液晶によるデジタル表示を採用した。
5. 1/4000秒トリオ
こうして発売されたニコンFAは、製品の位置づけとしてはニコンFE2の兄貴分にあたる。そしてこれにニコンFM2を加えた3機種が、しばらくの間「1/4000秒トリオ」としてまとめて宣伝された。高速のシャッター速度をアピールするために、頭から水をかぶっているシーンや服を着たままプールに飛び込むシーンなどを撮影した作例写真が使われたのである。
この3機種はアクセサリーも共通化が図られている。モータードライブMD-12は3機種で共通に使えるほか、データバック、TTL調光可能なストロボなどが用意されていた。
6.カメラグランプリ
ニコンFAは1984年の第1回カメラグランプリを受賞した。選考時にはオリンパスOM-4と激しく競り合い、僅差でニコンFAになったことは、今でも語り草になっている。両機種ともポイントとなったのは露出制御技術の改良だったが、その思想は対照的だった。オリンパスOM-4は「マルチスポット測光」といい、スポット測光のターゲットを被写体の様々な部分に向けてその都度ボタンを押すとその部分の測光値が記憶され、最終的にそれらの複数の測光値を平均して露出が決められるというものだ。両方とも被写体の複数の領域を測光するという思想は一致しているが、オリンパスOM-4の場合は測光する部分を撮影者が決める点が違っている。例えば画面内に光源が入っているようなシチュエーションでは、ニコンFAがカメラ内のアルゴリズムで自動的に光源のある領域を排除するのに対して、オリンパスOM-4では撮影者がその領域の測光を避けるというわけだ。
その後の展開をみると、前述したようにニコンFAのマルチパターン測光は他社にも波及し、改良されて現在もカメラの主要な機能となっているが、オリンパスOM-4のマルチスポット測光は他社の追随はなく、カメラ内蔵というよりは単独露出計の機能として継承されている。その意味ではニコンFAのカメラグランプリ受賞は妥当であったと言えるだろう。
7.ニコンFAゴールド
カメラグランプリを受賞した同じ年の11月、受賞記念モデルとして「ニコンFAゴールド」が発売された。ニコンFAの上下カバーや巻き上げレバー、シャッターボタンなどに金メッキを施し、貼り革をトカゲ革としたものである。Aiニッコール50mm F1.4Sとセットで桐箱に収納され、定価50万円、限定2,000セットで売り出された。他社も含めて金メッキの限定モデルを出すというのはよくあることで、ニコンでも販売店のウィンドウディスプレイ用に少数出したことがあるが、一般に市販されたのはこのニコンFAゴールドが初めてである。
興味深いのはその徹底ぶりで、ボディではストラップ取り付け用の耳環や三角環、電池ケースの蓋にも金メッキが施されており、さらに50mm F1.4のレンズの着脱用ローレットリング、レンズキャップの"Nikon"ロゴまで金ぴかなのである。内部機構は通常のニコンFAと同じで、当たり前だがフィルムを入れて写真撮影をすることもできる。
豊田堅二|プロフィール
1947年東京生まれ。30年余(株)ニコンに勤務し一眼レフの設計や電子画像関連の業務に従事した。その後日本大学芸術学部写真学科の非常勤講師として2021年まで教壇に立つ。現在の役職は日本写真学会 フェロー・監事、日本オプトメカトロニクス協会 協力委員、日本カメラ博物館「日本の歴史的カメラ」審査員。著書は「とよけん先生のカメラメカニズム講座(日本カメラ社)」、「ニコンファミリーの従姉妹たち(朝日ソノラマ)」など多数。