全自動一眼レフ
前回お話ししたように、カメラの全自動化、つまりAE、AF、電動のフィルム巻き上げ巻き戻しの組み込みは35mm判のレンズシャッターカメラが先行したが、1980年代に入ると35mm一眼レフにも、ようやくその機運があらわれてきた。その尖兵となったのは1978年のコニカFS-1であろう。フォーカスはマニュアルで巻き戻しも手動であったが、巻き上げレバーもノブもなく、フィルムのオートロード機構も備えていて外観も新鮮であった。その後コンタックス137MD(1980年)キヤノンのTシリーズ(1983年)が追随した。そしてミノルタα7000(1985年)で位相検出方式のAFが加わり、一眼レフの全自動化が完成したといえるだろう。
この流れに乗って、ニコンでも新たな製品系列のモデルを開発し、それに各種の自動化機能を盛り込んだ。その最初の機種がニコンF-301とF-501AFだったのである。
電動巻き上げ
フィルム巻き上げ用のモーターは巻き上げスプールに内蔵されており、カメラ底部に突き出した回転軸の回転をギアで引いてきてミラーのアップダウンや絞り制御機構に伝えている。F-301の場合は電源電池は単4乾電池を4本用い、カメラ底部に収められている。そのため三脚の取り付けねじはボディの端に追いやられてしまった。電池の装填は底カバーを外し、ホルダーに入れた乾電池を交換するような形式だが、単3乾電池用のホルダーと底カバーも用意され、そちらを使用することもできた。F-501では逆に単3乾電池が標準で、ホルダーと底カバーを交換することにより単4乾電池も使えるという形になっている。
オートフォーカス
F-301とF-501AFの違いは、前者がマニュアルフォーカス機であるのに対して後者はオートフォーカス機である点で、他の仕様はほぼ同一である。そのオートフォーカスだが、ニコンF3AFから一転して同じ位相検出方式ながらハネウェルのTCLモジュールを用いたものになった。センサーの位置は定番のミラーボックス底部になっている。翌1987年に出たニコンF-401では自社開発のAFセンサーを用いているので、TCLモジュール搭載はある意味自社開発のものが完成するまでの「つなぎ」的な処置だったのだろうか。
レンズ内モーターかボディ内モーターか?
一眼レフのAF化に際して大きな問題となるのがAF駆動用のモーターをレンズ側に置くかボディ側に置くかということである。1985年ごろまでに数々の一眼レフのAF化が試みられてきたが、当時はAFのアクチュエータとしてはDCモーターぐらいしかなく、まだまだ巨大なモーターの置き場所に、どのメーカーも悩まされてきた。ボディにあまり変更を加えないような配慮を考えるとレンズ側に置くのが妥当なのだが、モーターを置くスペースをうまく処理できず、レンズ鏡胴が円筒形からモーター部だけ突出したような異形のものになってしまったという事情はニコンF3AFの項で述べた通りである。
ニコンもF-501AFを開発するにあたって、当初はニコンF3AFを引き継ぐような形のレンズ内モーター方式で進行していた。そこに登場したのがミノルタα7000である。このカメラはAF駆動モーターをカメラボディ側に設け、レンズマウントにあるカップリング軸を介して動力をレンズ側に伝える方式を採用することによって、レンズの「おたふく風邪問題」をスマートに解決していた。それを見てニコンもボディ内モーター方式に大きく方針を変更したのだ。
この方針変更については、ニコン社内でも大きくもめたようだ。特に開発技術陣からの反対が多かったと聞いている。F-501AFの開発はかなり進んでいたのでボディ内にモーターを収めるスペースを用意してないというのが理由の一つだ。このスペースの問題は、開発陣の努力の結果ミラーボックスの巻き上げ側になんとかモーターを収納でき、方針の変更は実現してボディ内モーターで行くことになった。ただモーターを縦に置かざるを得ず、回転の方向をねじ歯車で直角に変換するような凝ったメカニズムになってしまった。
しかし、レンズ内モーター方式を捨てたわけではなく、どちらも可能なシステム構成としておいたので、これは後年にAF-IやAF-Sレンズ、そしてGレンズなどに生きている。
Ai AFニッコールレンズ
ニコンF-501AFと同時に発売されたAFに対応した交換レンズは、50mm F1.8の単焦点レンズと35-70mmおよび70-210mmの2本のズームレンズだった。その年のうちにはさらに9本のレンズが追加され、急速にラインアップが拡充されていった。
他社の場合、ミノルタもキヤノンも一眼レフのAF化にあたってレンズマウントを変更している。レンズマウントを変更すると、どうかするとユーザー離れを起こす危険性があるのだが、AFのような大きな技術革新の際には、新技術を実現するためということで、ユーザーの納得を得られやすいのだ。両社ともこの機会をうまく利用することでレンズマウントの変更を断行した。
だが、ニコンはそうはしなかった。ニコンF以来の口径やフランジバックはそのままに、ニコンF3AFで導入した電気接点を発展させてボディとレンズの間の情報伝達を充実させた。それぞれのレンズにはCPUを内蔵し、ボディ側のCPUとのデジタル通信で情報のやり取りをするようにしたのである。それまでの機械的な連動では伝える情報の種類が増えると、そのたびに新たにレバーやピンを設ける必要があり、それらの手段を備えていない旧レンズでは新機能が使えないというような事態が起こったのだが、このようにデジタル通信方式にすることで容易に情報の追加や変更ができるようになった。旧製品への対応もファームアップでできるようになり、利便性が格段に上がったのである。
なお、Ai AFニッコールレンズには露出計連動ガイドなどの機械的な連動手段も設けられており、旧ボディでもAi-Sレンズとして問題なく使えた。いわゆるカニ爪は設けられていなかったが、これも希望すればニコンのサービス部門で取り付けてくれ、往年のニコンF用のフォトミックやニコマートシリーズでも最新のAFレンズで連動露出計が使えたのである。ここまでして旧製品のユーザーを大切にするのが、ニコンの特徴といえるだろう。
豊田堅二|プロフィール
1947年東京生まれ。30年余(株)ニコンに勤務し一眼レフの設計や電子画像関連の業務に従事した。その後日本大学芸術学部写真学科の非常勤講師として2021年まで教壇に立つ。現在の役職は日本写真学会 フェロー・監事、日本オプトメカトロニクス協会 協力委員、日本カメラ博物館「日本の歴史的カメラ」審査員。著書は「とよけん先生のカメラメカニズム講座(日本カメラ社)」、「ニコンファミリーの従姉妹たち(朝日ソノラマ)」など多数。