1.一眼レフのオートフォーカス

1977年のコニカC35AF(ジャスピンコニカ)、1979年のキヤノンAF35M(オートボーイ)の登場以降、35mm判コンパクトカメラのAF化は急速に進行した。当然次は一眼レフのAFということだが、そう簡単には行かない。

コンパクトカメラならレンズは固定であり、比較的被写界深度の深い短焦点のレンズが使われているので、AFの精度も「オートゾーンフォーカス」程度のもので十分に実用になったのだが、一眼レフはレンズ交換可能なので焦点距離にしても被写界深度にしてもかなり広範囲のものに対応しなくてはならない。そんなことからコンパクトカメラのような三角測量で被写体距離を測定する方法には無理があり、別の方法、つまり撮影レンズが作った被写体像を解析する方法を模索することになったのだ。コンパクトカメラのAFがレンジファインダーの自動化と考えれば、レフレックスカメラのフォーカシングスクリーンによるピント合わせの自動化を指向したわけである。

2.コントラスト検出法と位相検出法

フォーカシングスクリーンによるピント合わせにも、二種類のものがある。マット面で被写体像のボケを観察する方法と、スプリットイメージやマイクロプリズムで像のズレを観察する方法だ。当初は前者の方法のAF化から始まった。マット面でのピント合わせの自動化はコントラスト検出法である。1982年のペンタックスME-Fなどで試みられたが、応答速度などの面でまだまだ問題の多いものであった。そこにもう一つの方法としてスプリットイメージのAF化、つまり位相検出法の実用機として1983年に登場したのが、ニコンF3AFだった。

当時、位相検出法はすでにハネウェルのTCLモジュールが登場しており、オリンパスのOM30に使われていたが、ニコンF3AFのものはニコンで独自に開発したオリジナルのもので、後にミノルタα7000やキヤノンのEOSシリーズで使われたと同様に二組のセンサーアレイとセパレータレンズ、それに絞り板を組み合わせたものである。ただユニークなのは、AF関連の光学系と回路を、交換ファインダーにまとめて内蔵した点であろう。

3.よみがえったフォトミックシステム

ニコンは長い間カメラ内蔵の露出計連動システムとしてフォトミックという方法を採用してきた。フラッグシップ機の交換ファインダーに連動露出計の受光素子や連動メカニズムを組み込んで、技術の進歩で性能の向上したものが出現しても、ユーザーはカメラボディはそのままで交換ファインダーさえ購入すれば最新の技術を手に入れることができるようにしたものだ。このフォトミックシステムはニコンF2までで、ニコンF3では逆にボディに露出制御機構を組み込み、交換ファインダーの方はペンタプリズムなどの光学系のみとした。ところが、今度はオートフォーカスにこのフォトミック形式を採用したのだ。

交換ファインダーとして「AFファインダーDX-1」を発売し、その中にAFの検出光学系と回路を組み込んでしまったのである。ただ、フォトミックと違ってカメラボディの方は通常のニコンF3をそのまま使うわけにはいかず、このDX-1と専用のAFレンズを接続する電気接点を備えた「ニコンF3AF」を用いる必要があった。

4.AFファインダーDX-1

他の交換ファインダーと異なり、DX-1にはフォーカシングスクリーンが固定されており、ボディ側のスクリーンは使わない。フォーカシングスクリーンを透過した被写体光は、コンデンサーレンズの上に置かれたビームスプリッターで接眼部に行く光とAFセンサーに行く光に分割される。AFセンサーに行く光はさらにビームディバイダーで左右に分割され、AFセンサーのSPDアレイに導かれる。このSPDアレイの光路の途中にはセパレータレンズが設けられており、この組み合わせで位相検出の信号を検出しているのだ。ビームスプリッターは要はハーフミラーで、この辺の光学系はキヤノンFTやF-1のカットコンデンサーを連想させる。後年のAF一眼レフがボディ下部に設けたAFセンサーに被写体光を導くような光学系を構成したものを、ちょうど上下ひっくり返したような形だ。後にも先にもファインダースクリーンの上方にAF光学系を設けたのは、これ一機種のみであろう。

このAF光学系を組み込んだためか、ファインダー視野率はニコンF3本来の100%を実現できず、92%にとどまっている。

もともとニコンF3は露出制御用としてSR44の銀電池2個を使用しているが、DX-1に内蔵されたAF回路及び専用のAFレンズのモーターを駆動するにはパワーが不足する。そこでDX-1本体の前板の下に単4電池を2本収納し、AF回路とモーター駆動の電力を賄った。このように位相検出法のオートフォーカスシステムの全部と、電源電池まで組み込んだのでDX-1は大型化し、それまでのフォトミックに比べても巨大なものになったのである。

AFファインダーDX-1の構成図。撮影レンズからの被写体光を、左右2個のSPDセンサーアレイに導き、その位置のずれからフォーカシングの情報を検出し、ボディを介してレンズ側のモーターを制御する。(図はアサヒカメラ1983年8月号「ニューフェース診断室」より引用)

5.専用レンズ

ニコンF3AFと組み合わせてオートフォーカスを実現する交換レンズとして、AI AF Nikkor 80mm F/2.8Sと、AiAF Nikkor ED 200mm F3.5Sが用意された。両方ともレンズ内にフォーカシング駆動用のモーターを備えている。当時のオートフォーカス用レンズはみな駆動モーターのスペースをねん出するために、鏡胴の円筒形からはみ出したコブ状の突出部を備えた異形のものになっていたのに比べ、この2本のレンズは円筒形の外観にこだわったということだ。

描写については当時の単焦点レンズとしては群を抜くものがあった。AFの駆動系が入ったのでレンズとしては高価なものになったが、それに見合うような性能を得るため光学設計者が腕を振るったという話だ。なお、この2本のレンズはニコンF3AFの他に、ニコンF-501とニコンF4にはAFも含めて使えるが、他のニコンFマウントのカメラではマニュアルフォーカスでの使用となる。

また、従来のニコンFマウントのレンズをニコンF3AFに装着してオートフォーカスで使用できるよう、AIAF テレコンバーター TC-16Sが発売された。テレコン内の光学系をモーターで動かすことでMFのレンズでもオートフォーカスで使えるが、焦点距離は1.6倍になり、レンズのF値も1 1/3段暗くなる。

豊田堅二|プロフィール
1947年東京生まれ。30年余(株)ニコンに勤務し一眼レフの設計や電子画像関連の業務に従事した。その後日本大学芸術学部写真学科の非常勤講師として2021年まで教壇に立つ。現在の役職は日本写真学会 フェロー・監事、日本オプトメカトロニクス協会 協力委員、日本カメラ博物館「日本の歴史的カメラ」審査員。著書は「とよけん先生のカメラメカニズム講座(日本カメラ社)」、「ニコンファミリーの従姉妹たち(朝日ソノラマ)」など多数。