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これほど発表あるいは発売当時、話題になったセンセーショナルなカメラはないのではないだろうか。カメラ誌の多くは発売後もしばらくは特集を組むほどだったし、カメラ仲間との話題も当時このカメラ一色だった写真愛好家も少なくなかったはず(筆者自身もそうだった)。もちろん裕福な方々は、発表されるや否やすぐに馴染みのカメラショップに予約を入れたことだろう。このコラムで少し前に「ニコンF2」を紹介したとき、私個人はAEが搭載され電池を必要とするカメラには発売当時目もくれなかったと記したが、その後、ある意味大人へと成長するにつれ、次第にこのカメラの魅力に引き込まれていったのである。他のFの一桁機同様すでに星の数ほど語り尽くされており今更ながらのところもあるが、筆者なりの当時の思いなども含め今回は記してみたい。

ジョルジェット・ジウジアーロによる革新的なデザイン

個人的な注目のひとつは、イタリアのデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロのデザインだったことだ。当時の拙い知識では「いすゞ117クーペ」をはじめクルマを専門とするデザイナーと認識していたが、このカメラのデザインを行ったことでその守備範囲はクルマに留まらないインダストリアルデザイナーであることを知ったのである。グリップのなだらかな曲面と曲線、そのグリップとカメラボディを繋ぐようにある縦の赤いライン、シャッターボタンと同軸とした巻き上げレバーの形状、ボディシェイプと一体化したモータードライブ「MD-4」などなど、近代的なシェイプは無駄がないのに優雅。それまでのフィルム一眼レフのシェイプとは大きく異なっていたのである。

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イタリアのインダストリアルデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロの傑作のひとつに挙げられるニコンF3。縦の赤いラインが形を変えながらもその後のニコン一眼レフのアイデンティティとなっていく。1980年の発売開始当時のボディ単体価格は、13万9,000円であった
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ジョルジェット・ジウジアーロデザインの証とも言える赤いライン。以降形を変えながらも、ニコン一眼レフのグリップには赤いワンポイントが付くようになった。グリップの形状、大きさも絶妙だ
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ニコンF3は1980年から2000年までの長きに渡り製造された。正確な製造台数は不明のようであるが、一説によると100万台近くがつくられたとも言われている(諸説あり)。初期製造のものは、その後のモデルと小さな外観上の違いがいくつか見受けられる

ちなみに当時カプセルカメラの祖と言われる「オリンパスXA」が発売され(1979年)、後年キヤノンからは現在のEOSシリーズに繋がるTシリーズがリリースされるなど(1983年)、この時代はカメラデザインの変革期だったと思われる。もっともそれ以前に登場した「コンタックスRTS」(1975年)はポルシェデザインであることを強力に推していたし(スマートでカッコよかった)、「ズノー」(1958年)は日本の精鋭デザイン集団GKデザインによるもの(直線基調のデザインは時代を超越していた)、「ニコンF」(1959年)は著名なグラフィックデザイナーである亀倉雄策であったことはあまりにも有名な話で、このカメラが最初であったわけではないが、時代的にMFフィルムカメラの基本的な機構機能が成熟しデザインに注目が集まりやすいタイミングと重なっていたのだろう。その後ジウジアーロ氏のデザイン基調はニコンの一眼レフに強く反映されていったわけで、それほどこのカメラのデザインは革新的であった。

プロ機らしからぬAEと電子シャッターの衝撃

AEと完全電子制御式のシャッターについては、それまでの"プロ機"らしからぬところで、発表当時いいも悪くも筆者はショックを受ける。機械制御式のシャッターで、露出はマニュアルというのが真のプロのカメラであると当時頑なに信じていたのだが、AEの便利さ、特に絞り優先AEの使い勝手の良さを知ってしまうと、もう後に戻ることはできない。電池を必要とする仕様についても、予備を用意するという当たり前のことを行いさえすれば基本問題になることはない。当時のニコンの開発者や設計者などプロ機でもやがて来る自動化の波に対し先見の明を持ち合わせていたのである。AF機構を搭載するフィルム一眼レフが一般化し、デジタルカメラ黎明期である2000年までの長期に渡りMFのフィルム一眼レフであるこのカメラが製造販売されたのはその証と述べてよいだろう。

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露出計連動レバー(写真中央)を押し上げることで、非Ai方式のニッコールレンズの装着が可能。また、ごく初期につくられた一眼レフ用ニッコールで見受けられる絞りリングのスカートが長いレンズも装着できる
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フィルムの自動装填装置が備わるようになるまで、ニコンの一眼レフは基本的にフィルム巻き上げを逆巻きとする。フィルムの平面性が保ちやすい反面、極寒冷地などではフィルムが切れやすいとも言われるが、実際はどうだったのだろう

やはりF2のコラムで記したのだが、発売当時ファインダー内にシャッター速度などを表示する小さなモノクロの液晶ディスプレイ(LCD)の信頼性、寿命も一部では話題になった。数年も経てば、文字が薄くなり読めなくなるだろうと。これも今に思えば新しいデバイスに対する不安に端を発したものであるが、若かった筆者はその記述を鵜呑みにしてしまい、この仕様に対し非常に残念に思ったものである。しかし実際の結果はどうだっただろう。このコラムを書くにあたり、所有するカメラに電池を入れ久しぶりに作動させてみたが、液晶ディスプレイはなんら問題なくシャッター速度を表示。液晶漏れなども見受けられず数年で表示が薄くなりやがて消えてしまうという話は杞憂と言わざるをえないものである。もちろん個体によっては経年劣化で見えづらくなっているものも稀に見受けられるようであるが、製造を終えて25年以上経つカメラのデバイスとしては、よく性能を維持している方だと思ってよい。

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液晶表示の採光窓にはライトが仕込まれており、ファインダー側面の赤いイルミネーターボタンを押すと、液晶ディスプレイとレンズの絞り環(設定した絞り値)を照らし、暗い場所での撮影をサポートする。残念ながらボタンが押しづらく不評であった(掲載した写真は合成による)

時代を超えて愛される理由

筆者の周りを見ると、このカメラのユーザーは現在も多い。MFフィルム一眼レフとしての完成度の高さ、モダンなデザインなど長く愛される要素は少なくないからだろう。なかでも現行モデル時代にバブル景気があり、その勢いで憧れの本モデルを手に入れたというユーザーも少なくない。ちなみに今回掲載している個体は長く押し入れに無造作に仕舞われてしまい、埃とカビに犯されたものを所有者から不要だからと"ロハ"で譲り受けたものである。1992年ごろだったと記憶している。タイミング的にちょうどこのカメラを手に入れたく思っていた矢先だったので、これ幸いと一つ返事でいただき、すぐさまニコンのサービスで徹底的にメンテナンスしてもらった(それなりに費用はかかった)。以来大事に扱っておりそのような過去がありながらも現在まで問題なく動いてくれている。もちろんAEは機能しているし液晶ディスプレイも問題はない状態だ。ちなみに、このコラムを執筆するにあたり、製造番号とヒンジ部に書き込まれたコードから製造年月を調べてみたが、1980年10月製と製造初期のモデルのようである。

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シャッターボタンと同軸とするフィルム巻き上げレバーはスタイリッシュで造形的にも美しい。この個体は製造初期のモデルだが、シャッターダイヤルのバルブ(B)の文字がオレンジではなく白色としているので、オーバーホールの際に交換されたようである

聞くところによると、前述のジウジアーロ氏はこの夏イタリアで交通事故に遭われ入院されたという。その後の情報は入ってきていないが、今年4月の来日ではお元気なご様子を拝見していただけに心配である。久しぶりに防湿庫から取り出した「ニコンF3」を眺めながら、そう思ったことは言うまでもない。


大浦タケシ|プロフィール
宮崎県都城市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、雑誌カメラマン、デザイン企画会社を経てフォトグラファーとして独立。以後、カメラ誌をはじめとする紙媒体やWeb媒体、商業印刷物、セミナーなど多方面で活動を行う。
公益社団法人日本写真家協会(JPS)会員。