中判デジタルの革命児
日本でもiPhoneが発売され、スマートフォンの普及が始まった2008年。キヤノン「EOS 5D MarkII」がフルHD動画で話題を呼び、ニコンは「D3x」、ソニーからは手ぶれ補正付の「α900」が登場するなど、各社35mmフルサイズ機が2000万画素を超え、画素数競争が激化していた時期である。
この年フェーズワンからP65+が発表され、翌年3月には市場へ投入。中判デジタルの歴史は、この機種の登場で大きく変わったと言っていいだろう。今回は業界初の645フルフレームセンサーを搭載したデジタルバック「Phase One P65+」を特集する。
当時の筆者は社会人3年目のしがないグラフィック・デザイナーで、趣味で中判フィルムカメラを楽しんでいた程度。業務機の世界では、フルサイズの2.5倍の面積を持つ、6050万画素の機材が登場していたなど、あまりにも遠い世界の出来事だった。当時ネットニュースで読んではいたと思うが、デジタルバック単体で619万円という価格にはまったく現実味がなく、記憶に残っていない。
それから数年後のある日、デザイナーとして撮影を発注していた某大御所カメラマンさんから、実際にフェーズワンで撮影したプレゼン用データ(フルサイズ機やシノゴとの比較あり)を見せていただく機会があり、その桁違いの描写力と色表現に度肝を抜かれてしまった。写真が上手いのは大前提として、正に別次元のクオリティ。
広告写真の世界では、こんなバケモノが使われているのか。後にカメラマンになった筆者にとって、これが人生を狂わせる「原体験」になってしまったのである。
645フルフレームという価値

P65+以前の中判デジタルバックは、44×33mm(小)と48×36mm(大)という棲み分けがなされており、後者の48×36mmに置き換わる形で、初めて645フルフレームという選択肢が追加された。カメラ側だけでなく、センサーも「本物の中判」になったのである。
センサーサイズに関しては、この連載の第8回「中判デジタルの魅力」で詳しく解説しているが、実用面で考えると必ずしも「大きければ良い」というものではない。何事も使い分けである。

当時のフェーズワンでは、645サイズのP65+(6050万画素)と同時に44×33mmのP40+(4000万画素)がラインナップされた。この2つのセンサーは画素ピッチが同じなので、P65+の中心、4000万画素分をトリミングしたものがP40+だと考えると分かりやすいだろう。

ピントを深くしたい商品撮影ではP40+が使いやすい場合もあるだろうし、建築物や風景などで広角レンズを使う場合はP65+の方が有利になってくる。また当時としては圧倒的な6050万画素というインパクトは、商業撮影における大きな武器になったと思う。
なお、P65+はマミヤ/フェーズワン用(M)の他、ハッセルブラッド(V・Hそれぞれ)、コンタックス645(C)などのマウントで発売されている。
フォーマットの暴力とは何か。
センサーサイズがどれだけ写りに影響するかを見るため、画角をそろえて同じ絞り値で撮影してみた。44×33センサーに45mmレンズ(左)と、645フルフレームに55mmレンズ(右)では、だいたい同じ画角の広角レンズになる(135フルサイズ換算で35mm相当)。
同じ画角、同じ絞り値(F5.6)では、拡大してみると背景にこれだけの違いがある(ぜひ拡大してチェックしてほしい)。もちろん44×33でも絞りを開ければ被写界深度は浅くなるが、やはりレンズの焦点距離が長い方が「中判らしい」描写に見える。
645は中判(=ミディアム・フォーマット)の中では小さいものの、P65+で120フィルムのようなあの自然な感じが得られる理由は、シンプルに「P65+が中判だから」に他ならない。
筆者もP40+からP65+に乗り換えた口だが、写りは同じセンサーのはずなのに、サイズと画素数の差によって、写真自体の諧調が豊かに見えてくる。SNS上の画像では見分けが難しいだろうが、センサーサイズの差が大きくなればなるほど「何かが違う」と感じる。いわゆる「フォーマットの暴力」というものだろう。
RAW現像で導く、自然光ポートレート
今でこそ中判デジタルは一般ユーザーにも身近な存在となったが、このP65+は低感度で完結する現場(主に広告・ファッション・建築、アーカイヴなどの商業撮影)に振り切った業務用の撮影ツールである。
筆者が入手したときには発売から10年が経過しており、一般用カメラと比べると扱いづらい面もあるのだが、その圧倒的な画質は揺るがない。当時所属していたスタジオでたくさんの作品撮りを行った。
もちろん、屋外でもそのポテンシャルはハッキリと反映される。より多くの方の参考になるよう、2021年の作品撮りから自然光でのポートレートを作例としてご紹介していこう。
Model: Haruka
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作例はRAW現像済みのものだが、色味に関してはWBとヒストグラムを微調整しただけで大きくは触っていない。もちろんプリセット等も未使用である。
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16bitのA/D変換からくる情報量を活かすにはRAW現像のスキルは必須。特に色味の調整には一手間かける必要がある。そもそもRAWでしか撮れないので、いわゆる「撮って出し」にはあまり意味がない。
純正のRAW現像ソフトであるCapture Oneの各種ツールは、少なくとも一時期はこのCCDのために作られていたとも言えるわけで、調整幅はかなり大きい。時間をかけて自分らしい仕上げを探求していくことを強くお勧めしたい。
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こうして見ると、現在のミラーレス機とは違った「味がある」と言えなくもないが、Leafのデジタルバックや、コダックCCD搭載機と比べると癖がなく、ナチュラルな発色である。ピクセル等倍で見たときの解像力と質感描写もあいまって、個人的には「画像データ」ではなく「写真」という感覚がある。
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業務機ゆえか、なんでもない写真が「それっぽく」見えたり、魔法がかかって「エモい」感じになることは一切ないので、手軽にカメラの味を楽しみたいという方には、面白みがないと感じるかもしれない。あくまでカメラではなく撮影者が主体のツールである。
画づくりに主張がないので、どんなテイストにも仕上げやすい。プリセットやルックで見せる現在のトレンドとは異なるが、純正ソフトのCapture Oneには多くのプリセットが用意されているので、それを活用する楽しみ方もありだろう。
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この日使用したカメラボディは「Phase One 645DF+」。ピント精度は少し怪しい部分もあるが、P65+で使える最新カメラである。マミヤ/フェーズワンボディの良いところは、手持ち撮影でもシャッターショックが少なくブレにくいこと。手ぶれ補正などはないものの、きちんとホールドして撮れば1/60は十分に実用範囲だろう。長時間の撮影では疲れてブレやすくなるので注意が必要なものの、座ったり何かに寄りかかればもっとスローでも止まってくれる。
例えばハッセルブラッドHシステムと比べると1~2段ほどの余裕があるため、低感度で使いたいCCD機ではかなり有利に働くと思う。
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撮影時のファインダーの美しさも大きなポイントだろう。645ファインダー像がそのまま写るため、44×33比では、実質1.5倍の大きさで見えているようなもの。当然ピントは見やすくなるし、大きな光学ファインダーを覗くとホッとするのだ。
そして645のレンズが本来の画角で使える安心感は、中判フィルムカメラを体験している方ならご理解いただけると思う。APS-Cとフルサイズの違い、といえば伝わりやすいだろうか。
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久々に屋外でPシリーズを使うと、背面液晶の見づらさに頭を抱えてしまう。明暗差の激しいシーンでは、正直何が写っているのかまったく分からない。この液晶で正確に露出やピントを確認することは難しいだろう。しかし、それでも問題なく使えるのは、ハイライト側のダイナミックレンジが広いおかげでもある。
44×33のミラーレス機では、ダイナミックレンジをシャドウ側に振ってあるため、ハイライトが弱い傾向にある。しかしP65+に搭載されたダルサ製CCDなら白飛びしないようにあえて暗めに撮ることは(ほとんどの場合)不要だろう。このハイライトのポテンシャルを使わないのはもったいない。
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きちんと撮ればよく写るゆえに、誤魔化しが効かず自分の未熟さを突きつけてくるような緊張感がある。光をどう捉えるか。撮影者の視点と見立て能力を問われているようだ。
補足として付け加えると、業務機だからといって操作が難しいということはない。当たり前だがシャッターを押せばちゃんと写真が撮れる。「手軽にいい感じ」を求めなければ、長く付き合える相棒になるかもしれない。
ダルサCCD=低感度原理主義
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この時代のCCDは大きく分けて「オールラウンダーのコダック」と「低感度のダルサ」という2路線があり、P65+は完全に後者の旗印となった。
P65+/P40+が登場する以前は、フェーズワンもコダック製のCCDセンサーを採用していた。また、一貫してコダックCCDを採用したハッセルブラッドも、H5Dシリーズの最上位機種(Hasselblad H5D-60)だけはダルサCCDを採用している(コダックからはこのサイズのセンサーが登場していない)。筆者もこの連載をキッカケにコダックCCD機を複数触っていく中で、なぜダルサCCDに切り替わったのか理解できる気がしている。
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コダックは長らくカメラ・レンズ・フィルムを製造してきた歴史ある写真メーカーで、基本コンセプトとして、写真としての完成度(色味、画づくりへのこだわり)や、より多くのシーンで使えるオールマイティーさ(高感度画質)を追求しており、この時期の最終型CCDでは、ベース感度が高め(ISO160〜200)に設計され、ISO800辺りまでは実用できるようになっている。時代に合っているとは思うが、低感度での画質が落ちて見えたり、ハイライトの粘りが失われたりと代償もある。
一方で、ダルサCCDは業務でのスタジオユース(低感度での画質)を最優先し、素材重視でRAW現像前提の画づくりだ。高感度での実用性を上げるために、低感度画質を犠牲にすることはしなかった。現にP65+でも超高画質なのはISO50~100まで。ISO200も十分使えるがわずかにノイズが浮き、RAW現像耐性は落ちてしまう。
つまり、主にスタジオでの商業撮影や、三脚に据えた建築や風景撮影では「低感度での突き抜けた画質」を持ったダルサCCDの方が重宝されたのだと推測できるのである。
また、この60MPセンサーの性能を維持しつつ80MPに解像度アップしたフラッグシップモデル(IQ180、IQ280、IQ380)が存在するが、60MPの時点でほぼ完成していたと言って良いだろう。
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一般向けのカメラとして考えると、コダックが目指していた方向性が時代のメインストリーム。独自の色味へのこだわりを除けば、現在のCMOSセンサーはコダックの発展型。完全に上位互換だと言える。
対してダルサは低感度(ベースISO)での画質を最優先しているため、大きく進化した現在のCMOSセンサーと比べても、低感度での解像力や質感描写、色表現では優る部分があると感じている。
使う理由はノスタルジーではない。多少の不便はあっても、それを補って余りある確かな魅力があるのだ。
1500万画素の贅沢。センサープラスがもたらす実用性。
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P65+/P40+のセンサーは低感度重視とはいえ、高感度対策を何もしなかったわけではない。フェーズワンがダルサと共同で開発した「Sensor+(センサープラス)」機能が実に有効だ。
センサープラスとは、4画素を1画素と見立てて、2段分高感度に強くなる機能。画素数は1/4(6000万画素→1500万画素)になってしまうが、実際のところ1500万画素の方が都合が良いこともあるくらいで、高感度対策としてだけでなく、ちょっとしたスナップでも活躍する、かなり実用的な機能だと言えるだろう。
友人宅に赤ちゃんが誕生したので、センサープラスで少し撮らせていただいた。明るいとは言えない室内、地明かりとダウンライトの光で撮影している。
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筆者は仕事以外でも普通に持ち出し、ISO800+までは躊躇なく上げて撮影している。1画素の大きさが4倍になっているせいか、ノイズはあるもののフィルムの粒子のようで気持ちがちいい。
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645フルフレームで「16bitのまま」1500万画素で撮影できるとは、なんと贅沢な使い方だろうか。あえてセンサープラスで撮りたい!と思わせる魅力がある。これはP65+が単なる「画素数のための機材」ではない証拠でもある。
IQシリーズとの違い

P65+で採用されたセンサーは、IQ360というCCD機の最終モデルにまで同じものが採用されている(IQ2から長時間露光モードが追加されるなど細かな違いはあるが、基本の写りは同じ)。つまり最も安価に入手できる645サイズのセンサーということで、現在でもなかなか人気の機種である。
そんなコスパ最強のデジタルバックを検討する上で、注意すべきところをいくつか挙げてみよう。
<メリット>
- IQと同じ画質で安価
- IQよりも小さく50g軽い
- IQよりも3秒ほど起動が早い
- IQよりもバッテリーの持ちが良い
<デメリット>
- IQよりも液晶が小さくみづらい。タッチパネルでもない
- IQとは違ってテザー撮影はFireWire接続のみ
- IQとは違ってPhase One XFボディでは動作しない
「写りは同じだから」という理由で、長らく買い替えをしぶっていた筆者は、現在は同じセンサーのIQ260を使用している。IQシリーズでは液晶が大きくなり、屋外でも何が写っているのか確認できるし、タッチパネルのためスワイプで画像送り、ダブルタップした部分が拡大されるなど、ピント確認もスムーズだ。
645DF/DF+ボディで使う場合、カメラ本体の電源ON・OFFにデジタルバックが連動してくれるのもありがたい(Pシリーズでは本体とデジタルバックを別々にONにする必要がある)。
スタジオでのテザー環境について、P65+は従来のデジタルバックと同様FireWire接続のみとなっており、Mac本体だけでなくOSもFireWireのサポートを打ち切ってしまった今、様々な障害が発生してしまう。仕事で使うのならUSBとFireWireの両方をサポートしたIQ1~3シリーズを強くお勧めする。
長時間スタジオに籠る場合はFireWireの方が便利なため(パソコンからの給電で電池交換不要)、筆者の場合はテザー撮影用のMacbook Pro(2012年モデル、16GB RAM、SSDに交換)とCapture One 20という環境を残している。60MPのデータでも動作が重くなることもなくサクサク使えるのでオススメだ。
まとめ:揺るがない中判画質
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誰もが簡単に撮れる最新のミラーレスカメラとは、まったく異なる軸で存在する業務機が「Phase One P65+」である。「手を伸ばせば届く憧れ」と言ってもいい。645フルフレームの写りは、他と比較するようなものではなく、ひとつの基準であり、当時の広告写真の世界観でもある。
もちろん、後に発売されたIQ1~3シリーズの方が圧倒的に使いやすい。しかし60MPモデルであれば写りは同じ。645フルフレーム CCDによる揺るがぬ中判画質を体験したい人にとって、P65+ は最も近い選択肢だろう。
筆者の場合「手軽できれいに撮れるカメラ」は135判の優秀なミラーレス機で間に合っているので、中判には「手軽さ」ではなく、自分が美しいと思える「写真画質」を求めている。何でもないものを撮れば、何でもない写真として写ることが重要で、言い訳の効かない写真機を求めている節がある。極端に言えば、機能などフィルムカメラと同じで構わないのだ。
この連載を通じて様々な中判デジタルを使用した今だからこそ、スペックの優劣ではなく「自分が中判に求める写りはこれだったのか」と気付かされた、答え合せのような1台。現在は同じセンサーを搭載したデジタルバック(IQ260)を愛用しているが、この方向性でこれ以上のものが出ないと確定した以上、今後も手放すことはないだろう。冒頭で記した「原体験」とは因果なものである。
1983年福岡生まれ。グラフィックデザイナーから転身した職業フォトグラファー。2013年に中古購入した中判デジタルでその表現力の虜となる。福岡のシェアスタジオで経験を積み2022年に上京。
総合格闘技(MMA)ファン。
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