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東京・両国駅にある「幻の3番線ホーム」。普段は閉鎖されたまま人目に触れることのないその場所に、2025年11月8日〜14日の間、突如として横18m・高さ2.5mの巨大LEDディスプレイが出現した。映し出されたのは、実在しない「魔人力士」。PlayStation 5(PS5)のグローバルキャンペーン「It Happens on PS5」の一環として制作されたこのデジタルサイネージ演出は、単なる大型ビジョンの設置にとどまらず、駅という公共空間そのものを再編集し、一時的に物語の舞台へと変貌させた。

動画が伝える「異物混入」のインパクト

動画で捉えた最初の印象は、「日常の中に何かがおかしい」という強烈な違和感だ。総武線のホーム越しに見える3番線側では、静まり返った空間に巨大な魔人力士が突如として現れ、張り手を繰り出し、四股を踏み、画面全体を揺らす。駅の構造物とLED映像が自然に溶け込むよう設置されており、まるで異界と現実の境界が駅ホームで接続したかのような感覚が生まれる。

両国という土地は「国技館」や「相撲」という文脈が街の記憶として強く刻まれている。そこにファンタジー化された力士=魔人力士を重ねることで、地域文脈を尊重しながら非日常を挿し込む巧妙なレイヤー演出が成立している。この「文脈×異物」の組み合わせこそ、デジタルサイネージが都市と接続した強力なアプローチだ。

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普段は使用されていない「幻の3番線ホーム」に設置されたLEDディスプレイ

駅のダイヤと映像を同期させた17時35分の奇跡

本施策のポイントは、平日17時35分に一度だけ発生するレア演出だ。このタイミングでは魔人力士がホームから飛び降り、猫を守るため、現実に入線してくる本物の回送列車を張り手で止める。

魔人力士が回送電車を張り手で止める

ここで重要なのは、鉄道ダイヤのリアルタイム進行と映像コンテンツが完全同期している点だ。これは時刻ではなく、回送電車の入線をセンサーで検出し、レア演出コンテンツに切り替える。

そしてこの現実が演出に巻き込まれる瞬間を体験した来場者は、ただ広告を見るのではなく、「都市が物語に介入された」経験として記憶する。デジタルサイネージはこれらによって映像×都市×時間が三位一体となるライブメディアへと進化した。

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臨時設置であるがしっかりと固定されている、センサーは確認できず

SNS時代、デジタルサイネージは「わざわざ見に行くメディア」へ

レア演出を見ようと、現地には連日100人以上が集まった。来場者は動画を撮影し、SNSにアップし、それがさらに人を呼ぶ。

デジタルサイネージは本来「通りがかりの人に見られるメディア」だった。しかし「新宿東口の3D猫」のように、撮影しに行く行為自体がエンタメ化し、デジタルサイネージが都市の一時的な観光資源として機能するケースが増えている。

巨大な画面、唯一無二のロケーション、時間限定という希少性——これらが組み合わさると、広告は街の新しい目的地になる。特に若年層にとっては、SNS映えする映像体験として消費され、都市文化の一部として定着しはじめている。

成功の裏に潜む、ブランド表現のジレンマ

一方で、動画を丁寧に見直すと、魔人力士のインパクトに比べて「PS5である」というブランド文脈が薄れる瞬間がある。体験の強度が高まるほど、ブランド資産が埋もれやすい。これは近年の体験型デジタルサイネージ全体に通ずる課題だ。

逆に言えば、体験の衝撃とブランドの認知を同じ温度で設計できるかどうかが、次世代デジタルサイネージの鍵になる。

都市を編集する映像体験

PS5「魔人力士」は、都市空間を一時的に書き換え、人々の記憶に新しい物語を刻み込むことに成功した。

動画が収めるのは、巨大LEDビジョンと駅の構造物が生む圧倒的スケール感、そして都市の時間軸と同期したライブな緊張感である。デジタルサイネージは情報を伝える装置ではなく、都市そのものを編集し、記憶を更新する文化メディアへと確実に変貌しつつある。魔人力士は1週間で姿を消した。しかし、異界への入り口が駅に開いた瞬間を目撃した人々の体験は、長く都市の記憶として残り続けるだろう。

WRITER PROFILE

江口靖二

江口靖二

放送からネットまでを領域とするデジタルメディアコンサルタント。デジタルサイネージコンソーシアム常務理事などを兼務。