デジタルサイネージは「空間を設計するメディア」へ

都市や商業施設におけるデジタルサイネージは、単なる情報表示装置から「空間そのものを設計するメディア」へと進化している。駅構内や空港、観光施設などでは、複数のLEDビジョンを連携させ、空間全体を包み込むような映像演出が増えている。視覚情報が「見るもの」から「その場を形成する環境」へと変化している。

渋谷スクランブル交差点では周囲の大型ビジョンが連動して360°の映像空間を構成し、JR新宿駅の「新宿BBB」や香港「K11 MUSEA」では、映像が建築要素として統合されている。いまや"都市のメディア化"という潮流は、景観・建築・広告の境界を越えて広がりつつある。XR技術の普及とともに、空間演出の事前検証手段としてVRシミュレーションが実務レベルに落とし込まれつつある。

しかし一方で、現場で実際にどのように見えるかを設計段階で正確に把握する手段はいまだ十分ではない。空間構造や視認角度、照明反射によって映像意図が損なわれるケースも多く、パース図や静止画モックでは限界がある。

従来ワークフローの限界──パースでは見えない現実

従来、デジタルサイネージの設計・演出は2Dパースやモーションモックを中心に行われてきた。かつては比較的小型のディスプレイで情報を掲出していたので、それでも問題にはなりにくかった。しかしLEDの大画面化により、実際の現場では人の動線や視線の高さ、照度分布、遮蔽物、隣接画面の点滅などが複雑に影響し、計画時の想定が崩れるケースも少なくない。

ある大型商業施設では、通路両端に配置したサイネージで来場者を中央へ導く演出を試みたが、柱位置や照明の反射が想定と異なり、映像が重なり、見切れる現象が発生。結果として演出効果が大幅に低下し、施工後の再調整に多大なコストが発生した。

こうした「図面上では成立していたが、現場では再現できない」という問題は、空間演出型サイネージの普及における大きな障壁となっている。

6DoF×VRがもたらす"事前体験型"の視環境設計

この課題に対し、近年注目されているのがVR空間とHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を活用した事前シミュレーションである。

特に6DoF(Six Degrees of Freedom)に対応したVR環境では、ユーザーが空間内を自由に歩きながら、予定設置サイネージを任意の角度・距離から確認できる。これは3DoF(首振りのみ)とは異なり、実際の空間体験に近い没入的検証を可能にする。

6DoFとは、物体やカメラが空間内で動く6軸の自由度

  • 前後、左右、上下の3つの移動軸
  • ピッチ、ヨー、ロールの3つの回転軸

をVRシミュレーションに適用することで、壁面・天井・柱面などの複数ディスプレイをリアルタイムに再現し、輝度、映像連動、視認タイミングまでを事前に検証できる。

香港K11 MUSEAでは、実装前にVRによる視認性チェックを導入し、死角を排除し映像バランスを最適化することに成功した。結果として、施工後の修正を最小限に抑え、空間演出の完成度を飛躍的に高めたとされる。

このような事前体験設計は、施工段階のリスク低減だけでなく、クリエイター・広告主・メディアオーナーの三者間が共通の認識を持ち、合意形成を進める手段としても注目されている。

 
立体的なディスプレイ配置のVRシミュレーションイメージ
 
2次元的な配置でも、ディスプレイ間の「隙間」の効果的活用をシミュレーションできる

AIが再構築する空間シミュレーションの現場

かつては高コストだった3D空間のモデリングやレンダリングも、AI技術の導入により一変した。CADデータから自動生成した3D空間をAIが最適化し、ライティングやテクスチャを補完。固定視点のレンダリングであれば、ハイエンドGPUを使わずとも軽量環境で検証可能になっている。

さらにAIは、人流データや視線トラッキングの解析を通じて、どの位置に視線が集中するかを定量化し、最適なディスプレイ配置を提案できるようになった。これにより、従来は経験と感覚に依存していた演出設計が、データドリブンな視環境設計へと進化している。このデータ化された"見え方"の検証は、行政・景観調整の領域にも応用され始めている。

行政・景観協議の可視化ツールとして

VRシミュレーションの導入は、制作現場だけでなく行政・景観調整の現場にも新しい価値を生んでいる。

眩しすぎる、点滅が多い、情報過多――といった懸念を関係者が同じ仮想空間で共有できることで、景観条例や屋外広告物規制の協議を格段にスムーズにする。点滅間隔や輝度、音の使用範囲などをVR上で実時間シミュレーションし、行政・事業者・デザイナーが共有して合意を形成するプロセスは、今後の都市開発における標準的なフローとなる可能性が高い。

建築とメディアの融合が生む「共創的設計文化」

デジタルサイネージはいま、広告装置でも映像機器でもなく、都市体験をデザインするメディア建築へと進化している。建築家、メディアアーティスト、テクニカルディレクターが同じテーブルで見え方を議論する時代であり、その共通基盤としてVRシミュレーションは欠かせない。VRはもはや仮想再現のためのツールではなく、意図検証と印象設計を行う「リアリティ・プロトタイピング環境」としての位置づけに変わりつつある。

次の10年を決める「空間知能」の時代へ

今後は、AIによって生成された空間モデルに、実測データやIoTセンサー情報を統合して、時間帯・天候・人流に応じて映像を自律的に変化させる「動的シミュレーション」が主流になるだろう。本稿でも取り上げた「オートノマスサイネージ」はまさにそのためにある。映像は単なるコンテンツではなく、リアルタイムに都市のリズムと同期する"生きた情報環境"として機能する。その未来の入口に私たちはいま立っている。

日本ではこうしたVRシミュレーションの提供事例を持つ企業は、まだごくわずかにとどまっている。しかし今後は、都市空間とメディア表現をつなぐ新しい設計文化の中心技術として、デジタルサイネージの演出を、単なる"映像表現の延長"ではなく、"都市空間を構成する技術"として位置づけ直す鍵となるだろう。

これからの10年、空間知能を備えたサイネージ設計が、都市の風景そのものを変えていくだろう。

WRITER PROFILE

江口靖二

江口靖二

放送からネットまでを領域とするデジタルメディアコンサルタント。デジタルサイネージコンソーシアム常務理事などを兼務。