これはサイネージの話だ
最初に確認しておきたいのは、本稿が扱っているのはテレビCMやオンライン動画全般ではなく、あくまでデジタルサイネージ、とりわけ空間の中に組み込まれた表示面で機能するコンテンツの話だということである。デジタルサイネージのコンテンツ制作は長いあいだ、一定の尺を持つ動画素材を作り、それを決められた面で繰り返し再生するという考え方を基本にしてきた。限られた時間の中で視線を止め、印象を残し、必要な情報を伝えるという設計は、いまもサイネージ運用の基本であり続けている。
ただ、その前提だけでは収まりきらない仕事が増えてきたのも事実である。理由は、デジタルサイネージが置かれる場所と表示面のあり方が変わってきたからだ。表示面が単独のモニターとして存在していた頃には、まず動画素材を完成させることが中心だった。しかし、売場、商業施設、交通空間、エントランス、ショールームなどで、表示面が内装や導線計画と密接に結びつくようになると、一本の動画素材を作れば足りるとは言いにくくなる。そこで求められ始めるのは、見せ切るための動画というより、場所に応じて役割を変えながら機能するサイネージコンテンツである。
変わる立ち位置
この流れを機器性能や表示品質の向上としてだけ捉えると、話はLED化などのハードウェア中心になってしまう。もちろんそれも重要だが、本当に大きいのは、デジタルサイネージが独立した画面として置かれるだけでなく、壁面、什器、ガラス、内装、売場設計、導線設計の中に組み込まれ、その場の空間設計そのものに関わる存在になってきたことだ。
以前は、サイネージがあること自体がまず目に入った。いまは逆に、デジタルサイネージが過剰に自己主張しないまま、その場所の見え方や居心地を整える役割を担うケースが増えつつある。そうなると、そこで流すコンテンツも、単体で完結した動画素材として考えるだけでは足りず、その場にどう効くかという観点から設計し直さなければならない。
問われること
従来のデジタルサイネージ制作は、まず動画素材を作り、それをどの面で流すかを決める順番で動いていた。しかし、表示面が内装や建築の側へ深く入り込むほど、先に考えるべきなのは動画の尺ではなく、その場所がどのような状態で保たれるべきかということになる。強く訴求すべきなのか、あえて抑えたほうが品位が出るのか。動きを増やすべきか抑えるべきか。そうした判断を起点にサイネージコンテンツを組み立てる必要が出てくる。
ここで重要なのは、デジタルサイネージのコンテンツが「一本の動画を見せるもの」から、現場ごとの見え方を制御するための表現へ近づいているという点である。
プレイリストのループ再生の先へ
もちろん、一定の尺を持つループ素材が不要になるわけではないし、これからも有効な場面は多い。実際、多くのデジタルサイネージ運用では、プレイリストのループ再生型の動画素材が今後も主力であり続けるだろう。ただ、内装や売場や建築の一部として扱われる表示面が増えるほど、一本の素材を繰り返し流すだけでは足りないケースが増える。なぜなら、そこでは完成したコンテンツを何度も見せることより、来館者の滞留、視線の集まり方、施設全体の演出意図を踏まえながら、現場ごとの最適な見せ方を外さないことのほうが重要になるからだ。
その意味で、サイネージコンテンツの価値は、どれだけ完成度の高い一本であるかだけでは測れなくなってきている。むしろ、変化する状況にどれだけ追従できるかが、重要な評価軸になりつつある。
ここでAIが変えること
この文脈でAIを考えるとき、話題は派手なビジュアル生成に向かいやすいが、デジタルサイネージの現場で本当に意味を持つのは、むしろ制作工程の組み替えのほうだろう。従来は、動画素材を完成させてから配信に回すという流れが基本だった。しかし今後は、表示条件や運用状況に応じて、同じ素材群から複数の出し方を組み替えたり、時間帯ごとに見せ方の重心を変えたりする作業が、より重要になる。
AIが効いてくるのは、その可変部分を増やしながら、制作と運用の分断を埋められる点にある。つまりAIは、完成品を一度だけ作るための道具というより、サイネージコンテンツを運用前提で編集し続けるための基盤として捉えたほうが実態に近い。
問われる制作者の役割
そうなると、デジタルサイネージのコンテンツ制作者に求められる能力も変わる。編集、合成、モーショングラフィックス、色や質感のコントロールといった基礎技術は今後も不可欠だが、それだけでは足りない。必要になるのは、そのサイネージがどんな場所に置かれ、そこにいる人の視線や滞在にどう作用するかまで想像しながら、表現の圧と静けさのバランスを取る感覚である。
つまり、サイネージ制作者の仕事は、画面の中の動画素材を仕上げるだけでなく、その表示面が置かれる現場全体のふるまいを考えることへ広がっていく。これはテレビCMやオンライン動画の一般論ではなく、デジタルサイネージに特有の変化である。
ものさしも変わる
この変化は、コンテンツの価値をどう測るかにも影響する。これまでは、何秒の素材を何本作ったか、何枠で流したか、どれだけ接触があったかといった見方が中心だった。しかし、サイネージコンテンツが現場条件に応じて出し分けられるようになるほど、重要になるのは素材の本数そのものではなく、その運用によってどんな成果が得られたかという点になっていく。
たとえば、立ち止まりの増加、注意喚起のしやすさ、回遊の偏りの緩和、ブランド訴求の伝わり方の変化など、運用の結果として何が改善されたのかを見る視点である。
動画の終わりとは
したがって、本稿でいう「動画の終わり」とは、デジタルサイネージから動画が消えるという意味ではない。むしろ動画は今後も主要な表現手段であり続けるだろう。変わるのは、その位置づけである。これまでは一本の完成した素材を作ることがコンテンツ制作の中心だったが、これからは複数の素材や表現をどう組み合わせ、どう出し分け、どう運用するかまで含めてコンテンツ設計と呼ぶようになる。
終わりつつあるのは、サイネージ用動画を単体の納品物として捉える考え方であり、始まりつつあるのは、運用の中で機能し続けるコンテンツ群として設計する考え方である。デジタルサイネージのコンテンツ制作は、動画を作る仕事にとどまらず、表示計画そのものを設計する仕事へと、少しずつ重心を移している。
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