海外ゲストも招聘し、第34回東京国際映画祭開催中
東京・日比谷を中心に開催中の第34回東京国際映画祭で10月31日(日)、カンヌやベルリンなど世界の映画祭で活躍している著名な映画人たちが集い、「映画界の未来」についてのパネルディスカッションが行われた。昨年から続くコロナ禍をどのように乗り越えようとしているのか、この2年間を振り返りながら映画祭の意義を問う議論が繰り広げられた。
「映画界の未来」を考える
- フレデリック・ボワイエ(トライベッカ映画祭 アーティスティック・ディレクター)
- クリスチャン・ジャンヌ(カンヌ映画祭代表補佐 映画部門ディレクター)
- カルロ・シャトリアン(ベルリン映画祭 アーティスティック・ディレクター)
- ローナ・ティー(プロデューサー/キュレーター)
- ジャン=ミシェル・フロドン(映画評論家/映画史家パリ政治学院准教授/セントアンドリュース大学名誉教授)
- モデレーター:市山尚三(東京国際映画祭プログラミング・ディレクター)
冒頭、東京国際映画祭について、運良く開催できた昨年を振り返り「コロナ禍で海外のゲストをお呼びできなかったためコンペティション部門を中止し観客賞のみとなった」と説明。今年は昨年同様、感染者数が減少したタイミングもあり通常スタイルでコンペティション部門を復活させた。「日本政府に承認を得て、コロナ禍のこの2年で少なくとも物理的に映画祭を開催できた」と状況を伝えた。
まずはトライベッカ映画祭のアーティスティック・ディレクターを務めるフレデリック・ボワイエ氏から「実は思いつきから始まった」という昨年のオンラインでの開催について、20以上の世界中の映画祭が参加し5時間のパネルディスカッションなど実施したことを報告。一方、今年は作品数を減らしリアルで開催。ニューヨーカーの遊び場として、トライベッカの街そのものを娯楽の場所にする試みにしたという。俳優のロバート・デニーロらによりアメリカ同時多発テロの翌年2002年からニューヨークの復興を願って始まったという本映画祭の意義を感じさせた。
続いてカンヌ映画祭代表補佐で映画部門ディレクターのクリスチャン・ジャンヌ氏は、「世界各地がロックダウン(都市封鎖)になった3月頃は上映作品をセレクト中だった」と振り返り、5月に開催できるか分からなかったと吐露。フランス政府からの開催キャンセルの提案に従うも「カンヌ2020レーベル」と題してオンラインで開催した。これにより世界から集まった多くの作品に対してカンヌ国際映画祭による「お墨付き」が付くため、他の映画祭への出品の機会を保てたという。
今年は例年の5月開催を7月にずらしてリアルで開催。バカンス・シーズンと重なったとはいえ、観光客もそれほど多くなく、ビーチサンダル姿と映画関係者のタキシード姿がカンヌの街を行き交う不思議な光景の中、首尾よく開催できたと語った。
ベルリン映画祭のアーティスティック・ディレクター、カルロ・シャトリアン氏からは、今年の3月と6月に開催というユニークな2段階の実施ついて「本来はプロも映画ファンも映画祭でつながるべきだが」と述べたあと、映画マーケットへの影響を鑑みて、四半期開始の直前3月にプロフェッショナル向けにオンラインで開催、その後6月に一般の観客向けに野外上映を実施したと説明した。
無料でPCR検査を実施し上映数を1日1本に制限したにもかかわらず、例年よりも晴天が続いたこともあり多くの人が集まったという。
マレーシア国際映画祭の創設に参画し、多くの映画祭でキュレーターとしても活躍しているプロデューサーのローナ・ティー氏は、パンデミックから学んだこととして「映画祭で大切なことは人をつなげること」と明言。素晴らしい映画を上映する以外にも(パンデミックは)映画祭の運営や役割に影響し、我々のマインドセットも変えたと続け、映画を通して同じ空間でみんなが情熱を共有しコミュニケーションをすることが映画祭の意義だと語った。
映画評論家のジャン=ミシェル・フロドンは、ジャーナリストとしてコロナ禍での映画祭について「映画祭でみんなが意見を交わし合うことで映画に命を吹き込むこともある」とし、不安定な状況の中では継続も大切だと語った。また「シネマはなるべく(オンラインを経由しないで)そのままで命を保っていて欲しい」としつつも、この状況を逆手にとってできることもあるのではないかと課題を投げかけた。
パンデミック以降の映画祭の運営について
ここからパンデミック以降の映画祭の運営についての議題に突入。フレデリック氏(トライベッカ映画祭)は「ビジネス面も大きくあるため、配給会社のような役割もある」と言及。作品選定と同時にチケット販売やジャーナリストの招集など映画を共有する役割があると話す。
ジャン=ミシェル氏(ジャーナリスト)は、映画製作の状況について「パンデミック以前のここ10年で国際的に製作数も配給も増えてきた」とし、危機を共有し別次元に乗り越えていくために、オンラインやデバイスを使いながら新たな可能性を見つけることができるのではないか、と答えた。
しかしカルロ氏(ベルリン国際映画祭)は「そこまで楽観的ではない」という。映画祭は、映画を発見し感情を共有する場であり、そこには映画への愛があると主張。マーケティング重視のプラットフォーマーと競うことを危惧した。さらに「ヨーロッパの映画祭は助成金など政府にかなり依存している」とも明かし、オンライン映画祭となると民間スポンサーが減少の中、助成金とは別予算の運営となることへの懸念を示した。
これに対しプロデューサーのローナ氏は「オンラインにすることで、金銭的にも物理的に今まで参加できなかった人たちが参加できるようになった」と語り、何を優先すべきかバランスが重要だと伝えた。実際に筆者は今年3月にSXSWに参加したのは完全オンライン開催だったからだが、机上のモニターで映画を観ることはストーリーを情報として認識することはできても、感受とは別のものだったかもしれない。
また、オンライン開催についてフレデリック氏は、アメリカのサンダンスやSXSWが成功した理由を「地理的な上映制限をしたことと野外上映がなかったこと」だと説明。配給への配慮などビジネス面を考慮した運営の事例だろう。SXSWはオンライン開催に必要な技術的なスポンサーがいたことも成功の理由のひとつだろう。
続いて「オンラインは私たちにとって使えるツールだ」と語るクリスチャン氏(カンヌ映画祭)は、映画の魅力を同時に伝えていかに映画祭に足を運んでもらうかも重要だとし、映画祭の意義は何か、意見を出し合う必要があると述べた。
パンデミック後の映画作りはどうなるのか?
「映画界の未来」と題したディスカションから、「上映作品のプログラミングとキュレーション」の重要性、「観客のキャパシティ」問題、そして「映画祭のアイデンティティ」の必要性など、映画祭の今後の課題が明示された。「映画は社会を反映するものだ」とフレデリック氏が言う通り、実際に映画を制作する監督たちはパンデミックを経験した今、どのような映画を作ろうとしているかも気になるところ。
「コロナ禍の描き方がどうなっているか興味深い」とのカルロ氏の期待とともに、映画体験の変化もあるのではないだろうか。フィルムからデジタルとなりオンラインで観ることができるようになったが、大きなスクリーンで映画を体感する経験は何ものにも代え難い。しかし没入感だけを考えれば、メタバース(ネット上の仮想世界の総称)やVR体験もまた存在する。
「シネマをそのままの形で命を保って欲しい」と言うジャン=ミシェル氏の思いをいかに保てるのか、または発展させることができるのか、経済的、技術的な側面と合わせて、今後の映画祭のあり方に注目しながら、映画の魅力を共有する場所が増えることを期待したい。
参考:「映画界の未来」セッション