2017年のGFX50S登場から6年。その間に大きく様変わりした中判デジタル界隈だが、その渦の中心に位置するのが富士フイルム「GFXシリーズ」と言えるのではないだろうか。
ラージフォーマット
GFXシリーズでは、富士フイルムが「ラージフォーマット」と呼ぶ、いわゆる44×33mmのCMOSセンサーを採用している。現在の中判デジタルでは標準的なサイズであるが、ここで見逃してはならないのは、富士フイルム側では「中判」という表現が一切なされていない点である。
同社がXシリーズで、画質とカメラサイズのバランスからAPS-Cセンサーを選択したように、画質重視のGFXシリーズにも、645のフルフレームではなく44×33センサーがふさわしいと判断したのだろう。
ハッセルブラッドHシステムを含め、数々の中判カメラを手掛けてきた富士フイルムだからこそ、デジタル時代にマッチしたフォーマットを選択できるし、フィルムには存在しないフォーマットに「中判」という表現を使わないのは理にかなっている。
それにしても、フィルムを製造していた会社が、古くからあるフィルム規格を捨ててフォーマットを再定義するとは、なんという頭の柔らかさだろう。
※この連載では企画上「中判」という表記をさせていただきたい。
フィルムカメラをベースにせず、44×33センサーに合わせて新設計されたカメラシステムは、ほぼ同時期に発売されたハッセルブラッドのXシリーズと、このGFXシリーズのみである(ライカSシステムも近い発想で2009年に発売しているが、一眼レフカメラであり、センサーの縦横比が異なる)。
例えば、デジタルバック老舗メーカーの業務機(10年前の中古品)と変わらない金額で、新品のGFX100Sが手に入るのはものすごいことだと思う。価格を落とせるのも、それだけ売れている証拠だろう。またGFX独自の現象として、JPEG撮影だけで使用するユーザーや、135判のオールドレンズを使うユーザーが現れるなど、明らかに従来の「中判デジタル」とは違うユーザーまで購入している点も見逃せない。
写りだけを見れば、645フルフレーム機よりも135判フルサイズに近いとは思う。だが現状の中判市場を見れば明らかなように、裾野を広げるという意味でも、セールスとして富士フイルムの決断は正しかったと言えるのではないだろうか。
フィルムメーカーの強み「写真的な色」
デジタル一眼レフ黎明期、各カメラメーカーは写真機やレンズを造るノウハウはあっても、撮像センサーと画づくりに関するノウハウはまだ乏しく、初期の頃は色が不自然だったりしたと聞く(筆者自身は世代的にギリギリ体験していないので先輩カメラマンの見聞ではある)。
対して富士フイルムは、長きに渡るフィルムの開発やプリント業務はもちろん、デジタル時代になっても街のDPEでプリントされるデータを解析し見栄えを良くする(自動補正)など、写真や色に関する膨大なノウハウを蓄積し続けている。
2002年に当時の富士写真フイルムは、ニコンFマウント仕様の『FinePix S2 Pro』を発売。独自開発「スーパーCCDハニカム」の自然な色合いが高い評価を受け、後継機の『FinePix S3 Pro』も登場している。
デジタル移行期の『フィルム的 = 写真的』とする風潮も薄れ、各社のデジタルカメラが成熟した現在でも、富士フイルムのこだわりは「フィルムシミュレーション」として受け継がれ、多くのファンを魅了している。
ユーザー層によって賛否が分かれる部分だろうが、何でもない被写体を撮っても「それっぽい感じ」に仕上げてしまうマジックがある。
FUJINONレンズ
フジノンと言えば、コンパクトカメラから大判用レンズまでかなり歴史のある名前である。この連載でも取り上げた「Hasselblad Hシステム」のレンズも実質フジノンなのは周知の事実だし、筆者自身も趣味としてシノゴで使用していたFUJINON W 210mm F5.6 は実に優秀でそのイメージが強い。
今回メーカーからお借りしたのは、GF80/1.7、GF45-100/4、GF100-200/5.6 の3本。尚、筆者がGFXシリーズでじっくりと撮影するのは今回がはじめてである。
FUJINON GF45-100mm F4 R LM OIS WR
街歩きスナップからポートレートまで、何でもこなせる高性能な標準ズームである。スタジオでの人物撮影もこれ一本でOK(GF110mmと合わせれば盤石か)。それなりのサイズになってしまうが、F4通しという明るい開放F値を考えると十分コンパクトで軽量に収まっていると思う。
FUJINON GF80mm F1.7 R WR
開放F値が1.7と、中判レンズとしては非常に明るいものだ。よほどいじわるな逆光下でもなければ描写が崩れることもないし、方向性もフジノンらしく端整な写りだと感じた。絞りを開けた状態では少し柔らかい描写も見せてくれる。基本的には優等生だが、あえて隙を見せているようであざといレンズである。
これだけの大口径でありながら、大きさの割には軽く(795g)取り回しは悪くない。他の中判デジタル機に慣れている感覚で言えば、AFスピードが遅いとも感じなかった。ミラーレスの利点として高いピント精度が挙げられるが、F1.7開放でもいたって実用的なポテンシャルがある。
しかしこのレンズを着けた場合、例えば再生ボタンを押すたびにレンズが一度動作し、一呼吸置いてから画面が表示される。撮影しようとファインダーを覗くとまたレンズが動作し、EVFが真っ暗なまま1~2秒待たされたりする。お借りした他のレンズではそんなことはなかったのだが、GF80mm使用時はすべての動作が遅くなってしまうようだ。
FUJINON GF100-200mm F5.6 R LM OIS WR
中判らしさが出やすい焦点距離を有する中望遠ズームレンズだ。三脚座のついた長いレンズだが、意外と軽量なのは他のGFレンズと同じ印象である。F5.6開放からシャープな写りで、癖がなく順当によく写るレンズだと感じた。
ファッションショーを撮る
2023年6月1日、渋谷CARATO71にてファッションショーが行われた。主催は横浜にあるコムデギャルソンとヨウジヤマモトの古着専門店「ONtheCORNER」さん。今回の企画意図をお伝えし、GFX100Sにて撮影する許可をいただいた。
他の中判デジタルを知る人からは「無謀」と言われるだろう。ランウェイを歩くモデルを撮影するという、このジャンルのカメラには決定的に不向きなシーンで臨んでみることを思いついてしまった。
こんな発想もミラーレス機だからこそ。顔認識や瞳AFのある『GFX100S』あってのことである。他の中判デジタルでは試そうとさえ思わなかっただろう。
まだ慣れないGFX、しかもカメラ2台持ちだったこともあり、レンズはAFが速い標準ズーム「GF45-100mm F4」1本と決めた。
16bit記録モードは単写(1コマ撮影)時のみ対応しているため、14bitのロスレス圧縮を選択。顔認識とトラッキングを駆使して低速連写モードで撮影に臨んだ。オフィシャルの撮影チームと打ち合わせ、邪魔にならないポイントを探しての撮影である。
リハーサルのときは顔認識が有効に働き「意外とイケるかも」と思ったものの、本番で観客が入るとそちらにAFが引っ張られてしまう。現場で試す中でAFモードを「ゾーン」に変更し、必要に応じて指で顔を追っていくとなんとか撮れることがわかり、他の設定も試しつつ四苦八苦しながらの撮影となってしまった。
事前にAFの設定など予習していたとはいえ、手元に届いてまだ1週間ほど。長く使っているカメラマンであれば撮影の歩留まりは上げていけると思われる。
しかしこの撮影のお陰で、通常のポートレート撮影では十分に瞳AFが機能すると理解できた。なんなら室内で歩き回る猫にも割とピントが合う。これだけ簡単に大型センサーの描写で撮れるなんて、そりゃ人気な訳だと納得してしまったのである。
まとめ
今回はRAW撮影後、Capture One上で必要に応じてフィルムシミュレーションを選択する流れをとったが、GFX100Sのデータにはしっかりと「富士フイルムの色」がある。シャッターを切る前にモニター上で「仕上がりの写真」がプレビューされている感覚。何もしなくても見栄えが良いし、調整を加えるにも扱いやすいデータで好感が持てる。これだけ「何でもそれっぽく」写ってしまうと、他のカメラでちゃんと写真が撮れるのか?と不安になるほど、しっかりと演出された画になっているのが大きく印象に残った。
従来の中判デジタルで、最も大きな問題となっていたのが「手ブレ」と「ピント精度」である。GFX100Sはミラーレス機である上に、手ブレ補正機構まで搭載しているので、ブレで大型センサーのポテンシャルが台無しになることもない。像面位相差AFによってピント精度も高く、カメラ任せで簡単に使えてしまう現実はあまりにも大きい。スナップ用にGF50mm F3.5とセットで持ち歩きたい欲が湧いてくる。
スタジオでの仕事道具として考えると、従来の中判デジタル機よりも135判のミラーレス機の使用感に近い。こんなに簡単に撮れて良いのかと、ここでも同じ感覚を抱く。実用的な瞳AFの搭載によってもたらされる人物撮影への恩恵は大きすぎるものがある(135判フルサイズのミラーレス化によって体験済みだ)。もちろんCapture Oneでのテザー撮影にも対応するなど富士フイルムGFXに抜かりなし。
今回、最新のデモ機(※執筆後にGFX100IIが発表された)をお借りすることで、GFXシリーズがある意味で「脱・中判」を成し遂げた別ジャンルのカメラなのだと理解できた。安定性や操作系、メニュー構造には改善の余地があると思うが、これからも新しい時代をつくっていくのは間違いなさそうだ。