故障が多かったニコレックス35
ニコンの普及機として期待されたニコレックス35だが、結構故障が多かったようだ。なんでもニコン社内では「コワレックス」などという不名誉なニックネームを付与されたと聞いている。その理由はいろいろと言われているが、組み立てを外注任せにした点もあるだろう。
ニコレックスFと違い開発まで他社に任せたわけではないが、同様にやはり高級機との「文化の違い」があったようだ。レンズシャッターはフォーカルプレンシャッターと比べて耐久性が大きく劣る。それなのにラインでの検査工程でフォーカル機と同様にシャッターレリーズを繰り返し、耐久限界に達してシャッターを壊してしまったというような話も聞いたことがある。そこで汚名をそそぐべく後継モデルとして2年後の1962年に発売したのがニコレックス35IIである。
シャッターの変更
初代のニコレックス35からの大きな変更点は、シャッターをシチズンからセイコーに変えたことである。「え、時計メーカーのシチズンがシャッターを造っていたの?」と思う方も多いかもしれないが、当時はカメラボディより一段と精密なレンズシャッターは専業メーカーが製造してカメラメーカーに供給するのが普通であり、その専業メーカーとして時計メーカーが手掛けることもあったのだ。服部時計店精工舎が造った「セイコーシャラピッド」などが有名だが、同じく時計メーカーだったシチズンもレンズシャッターを製造していた。主としてミノルタのカメラに用いられ、使用絞りの制限付きながら1/2000秒のシャッター速度を実現した「オプチパーHSシチズン」やミノルタ・ユニオマット用の絞り羽根兼用プログラムシャッターの「オプチパーユニシチズン」などの先進的なレンズシャッターを開発していた。
そのシチズン製のレンズシャッター「シチズンMXL」を初代のニコレックス35で採用していたのだが、それが故障の主原因と判断したのだろうか?II型では精工舎製の「セイコーシャSLV」に変更したのだ。当時の他社製品に目を向けてみると、レンズシャッター一眼レフではトプコンが初代のPRではシチズンのシャッターを使っていたところをやはりPR2型では精工舎のものに変更しており、またアイレスペンタ35では最初からシャッターは精工舎だ。恐らく精工舎が一眼レフ向けにより特化したシャッターを開発したということもあるだろうが、シチズンのシャッターになにかしら問題があったとも推測できる。
メカの総入れ替え
II型といってもスペックは初代と変わらない。シャッターが変わっただけだ。しかし、レンズシャッター一眼レフにとってはこのシャッターの変更がおおごとなのだ。一眼レフ用のレンズシャッターではシャッター機能だけでなく自動絞りやミラー機構までシャッター側で面倒をみることが多い。ミラーアップ用のスプリングまでシャッター側に内蔵されていることもあった。そのためシャッターを変えると周辺の機構に与える影響は大きく、ほとんど全体のメカを総入れ替えする形になってしまうのだ。実際に当時のカメラ雑誌に掲載された内部機構図をみると、全く別のカメラと言ってよいほど違っている。II型の方が驚くほどシンプルな機構になっているのだ。そのことも故障の回避に大いに貢献したと考えられる。
外観はそう変わっていないように見えるが、実はボディダイカストから新しくなっている。初代のニコレックス35がニコンFのように上からみて八角形の断面形状であったのに比べ、II型では角に丸みをもたせた長方形となっている。露出計受光部の周囲や巻き上げレバーなどもデザインが変更されてスマートになった。
撮影レンズ
撮影レンズは初代と変わらず、ニッコール-Q 50mm F2.5である。レンズ構成図をみると3群4枚の、いわゆるテッサータイプだ。一般にはテッサータイプではせいぜいF2.8止まりと言われており、それより明るいレンズは他に例を見ない。恐らく一眼レフなので少しでも明るいファインダーをということでF2.5まで広げたのだろうと思うが、その割には描写に関しての不満は聞かない。最短撮影距離は60cmである。
一眼レフではあるもののレンズ交換ができないが、その代わり2種類のフロントコンバージョンレンズが用意された。広角コンバージョンは2群4枚構成で装着すると35mm F4となり、望遠コンバージョンは4群5枚、90mm F4になる。最短撮影距離を35cmまで縮めるクローズアップレンズも用意されていた。
果たせなかった役割
II型になってかなり改良されたのだが、一度生まれたネガティブな評判は結局覆すことができなかった。高級機ニコンFに対する普及機としての役割を果たすことはかなわなかったのである。ライバルのキヤノンがキヤノネットで普及機の地位を確保したのとは対照的であった。
なぜか?そもそもレンズシャッター一眼レフという選択が正しかったのかという疑問が残る。確かに安価で手軽に一眼レフの魅力を享受できる。コンバージョンレンズではあるが広角レンズや望遠レンズの魅力を味わうことができ、パララックスのないファインダーで近接撮影もできるのだが、当時の初心者にとってレンズシャッター一眼レフはまだまだ扱いにくいものであった。特にシャッターを押すとフラックアウトしてフィルムを巻きあげないと明るくならないファインダーなど、カルチャーショックものだったことは想像に難くない。
大型で無骨なデザインもユーザーに敬遠された感がある。横幅はキヤノネットよりも小さいくらいなのだが、背が高く重量も170gほど重い。キヤノネットの方がよほどスマートなのだ。
豊田堅二|プロフィール
1947年東京生まれ。30年余(株)ニコンに勤務し一眼レフの設計や電子画像関連の業務に従事した。その後日本大学芸術学部写真学科の非常勤講師として2021年まで教壇に立つ。現在の役職は日本写真学会 フェロー・監事、日本オプトメカトロニクス協会 協力委員、日本カメラ博物館「日本の歴史的カメラ」審査員。著書は「とよけん先生のカメラメカニズム講座(日本カメラ社)」、「ニコンファミリーの従姉妹たち(朝日ソノラマ)」など多数。