レンズシャッター一眼レフの最終機
1964年に発売されたニコンオート35は、ニコンのレンズシャッター一眼レフとしては最後の製品となる。レンズ固定のレンズシャッター一眼レフということで、明らかにニコレックス35に始まる一連の製品シリーズに属するものだが、この機種だけは「ニコン」の商品名で出された(輸出用はニコレックスオート35)。後年、ニコマートシリーズの最終機もなぜかニコンEL2だった。ニコンの普及機を表す商品名は、そのシリーズ最終機でニコンに変身するというルールがあるのだろうか?ただ、ニコレックスの場合はすでに述べたように故障が多いという悪評がたってしまったので、その呪縛から脱するという意図もあったのかもしれない。
ペンタプリズムになったファインダー
ともあれニコンレンズシャッター一眼レフの最終機としては、それまで指摘されていた問題点をなんとか解決すべく努力した結果のものだったのである。まず、ニコレックス35の大きな特徴であったポロミラーファインダーを廃し、通常のペンタプリズムファインダーになった。理由はおそらくファインダー倍率であろう。ペンタプリズムにすることにより接眼レンズの光路長を短くすることができ、ポロミラーのときの0.6倍から一挙に0.82倍と大きくなっている。
ペンタプリズムにすることによって通常の一眼レフのようにトンガリ頭になったかというとそうではなく、カメラボディの上面はフラットになっている。つまりペンタプリズムの頂点の位置まで上カバー(軍艦)の両肩を持ち上げているのだ。右肩(巻き上げ側)の方はそのスペースを利用して大型の電流計やメーター押さえ込み方式の絞り制御メカを収納しているのだが、左肩(巻き戻し側)はガラ空きとなっている。両肩の上面が高くなった分、巻き戻しノブやフィルムカウンターのメカは柱を設けてかさ上げしているのだ。巻き戻しノブについては、さらに使用時に上に飛び出して操作をやりやすくするような構造になっている。シャッターボタンだけは背が高いと押しづらくなるので、ボディ前面に設けられて斜め押しとした。
このようにペンタプリズムを使いながら上面をフラットにした例としては東独のペンチナなどもあるが、あまりみかけない。デザイナーのこだわりのようなものがあったのだろうか?
クイックリターンミラー
ニコレックスシリーズのレンズシャッター一眼レフが他に後れを取っていたのが、クイックリターンミラー機構の採用だった。フォーカルプレンシャッターの一眼レフではすでにクイックリターンミラーが当たり前の仕様で、レンズシャッター一眼レフでもニコレックス35の約半年後に出たトプコンウィンクミラーで実現しており、ライバルのキヤノンも1963年にはキヤノネックスというクイックリターンミラーのレンズシャッター一眼レフを出している。ニコレックス35IIの後継機としては、クイックリターンミラーの採用は必須であったのだ。
しかし、レンズシャッター一眼レフでクイックリターンミラーを実現するのは、容易なことではなかった。シャッター機構から露出が終わったという信号を受けて、それでミラーダウンの動作を抑えていたカギを外し、ミラーを降下させるのだが、その露出終了の信号にシャッターの羽根駆動のバネ力を使うので、カギを確実に外すだけの力量が得られなかったのだ。フォーカルプレンシャッターならば後幕を駆動する強力なスプリングから十分な力量の信号を拾ってくることができるのだが、レンズシャッターでは軽いシャッター羽根さえ動かせればよいのでそれほど強力なスプリングは備えていない。そのためミラーダウンのスタートが不安定になりがちなのだ。西独フォクトレンダーのレンズシャッター一眼レフベサマチックの後継機ウルトラマチックではクイックリターンミラーを組み込んだが、その改良型のウルトラマチックCSではまたミラー上がりっぱなしの仕様に戻してしまったという事実が、その難しさを物語っている。
なお、ニコンオート35ではこの力量不足の対策としてミラーダウンのカギを外すためのスプリングを別途設け、巻き上げに連動してチャージするという、一種の機械的増幅装置を用いたそうである。
シャッター速度優先AE
1960年代の前半は、自動露出が普及しはじめた時代であった。レンズシャッターカメラを中心に使われた技術は「メーター押さえ込み方式」、あるいは「段カム方式」といって、露出計の指針の位置を階段状のカムで検出し、カムが指針に当たる位置で絞りを決定するものだった。一眼レフでもレンズシャッター機のコーワH(1963)や前述のキヤノネックスからこの方式の自動露出を備えたものが登場し、その後フォーカルプレンシャッターのものに波及していった。
そうした傾向に従って、ニコンオート35でもメーター押さえ込み方式のシャッター速度優先自動露出を組み込んだのだ。なお、ニコンのカメラの中ではこのカメラが初の自動露出機であり、メーター押さえ込み方式を採用した唯一のカメラであった。
新設計の撮影レンズ
撮影レンズは新設計の48mm F2と、ニコレックス35よりも明るくなった。構成は4群6枚のガウスタイプである。ニコレックス35と同様に望遠と広角のフロントコンバージョンレンズが用意され、装着するとそれぞれ85mm F4と35mm F4になった。その他クローズアップレンズや顕微鏡撮影用のアダプターも用意されていたが、面白いのは双眼鏡アダプターだ。双眼鏡の倍率を撮影レンズの焦点距離に乗じた値が合成焦点距離になるので、手軽に超望遠の効果を楽しめるようにという考えだが、一眼レフ用は珍しい。ただ、どの程度実用性があったのかについては疑問である。
レンズシャッター一眼レフの終焉
1970年代になると、35mm判のレンズシャッター一眼レフは姿を消していった。その理由としてはコパルスクエアのようなユニットシャッターの登場でフォーカルプレンシャッター機が比較的容易にできるようになったこともあるが、やはりレンズシャッター一眼レフは機構的な複雑さから故障しやすいという面があったことが大きいだろう。ニコレックス35がニコン社内で「コワレックス」と呼ばれたと同様にニコンオート35も故障が多かったので「ニコンアウト35」という不本意なニックネームをつけられたと聞いている。
ニコンでもこのニコンオート35でレンズシャッター一眼レフに見切りをつけ、普及機としてはニコマートのラインに移行して行くことになった。
豊田堅二|プロフィール
1947年東京生まれ。30年余(株)ニコンに勤務し一眼レフの設計や電子画像関連の業務に従事した。その後日本大学芸術学部写真学科の非常勤講師として2021年まで教壇に立つ。現在の役職は日本写真学会 フェロー・監事、日本オプトメカトロニクス協会 協力委員、日本カメラ博物館「日本の歴史的カメラ」審査員。著書は「とよけん先生のカメラメカニズム講座(日本カメラ社)」、「ニコンファミリーの従姉妹たち(朝日ソノラマ)」など多数。