一眼レフのTTL-AE
1960年代には35mmレンズシャッターカメラの自動露出化が進み、いわゆるコンパクトカメラの主流をなすにいたった。そして次はその技術を応用して一眼レフを自動露出化することが課題となったが、それにはいくつかの問題点があった。
レンズ固定のコンパクトカメラと違い、一眼レフはレンズ交換が可能となる。シャッター速度優先AEやプログラムAEの場合だと、露出計受光部や制御回路があるボディ側から交換レンズの絞りを制御するような仕掛けをレンズマウントに設けなければならない。多くのメーカーはレンズマウントの変更を避けるため、それまでのTTL測光と同様に絞りの情報をレンズからボディに取り込めば済む絞り優先AEを選択した。その場合はシャッター速度を自動的に制御する必要があるが、それには新たに登場した電子制御のシャッターを用いればよいのである。
そのような目的のため、コパルはニコマートFTnなどに用いられているコパルスクエアSを電子制御にした「コパルスクエアSE」を開発し、早くからカメラメーカー各社に試作品を持ち込んでいた。ニコンもそれに乗り、ニコマートを絞り優先AE化するプロジェクトを進めていたのである。ニコンF2の「Aカメラ」に対して、このカメラは「5B」と呼ばれていた。
TTLならではの問題点
電子制御シャッターを用いた絞り優先AEは、そのころすでにレンズシャッターカメラで実用化されていた。中でもヤシカエレクトロ35のシリーズが、電流計を用いない故の堅牢性を強調したコマーシャルの効果もあって人気を博していたのである。ただ、これをTTL測光の一眼レフに応用しようとすると、大きな問題が生じたのだ。
ヤシカエレクトロ35などの絞り優先AEでは、光導電素子であるCdS受光素子を通してコンデンサーを充電し、その充電時間でシャッター速度を制御している。明るい場面ではCdS受光素子の抵抗値が小さいので充電が速く、高速シャッターとなり、逆に暗いときには充電が遅くなるのでスローシャッターとなる。つまりシャッターが開いている間のCdS受光素子の抵抗値がポイントとなるのだが、TTL測光の一眼レフの場合、シャッターが動作する直前にミラーが上がり、受光素子に当たる被写体光が遮断されて測光不能になってしまうのだ。
これを解決するにはミラーが上がる寸前の受光素子の値を制御回路内のコンデンサーに記憶しておき、それを基にシャッター速度を制御すればよいのだが、これがまた一筋縄では行かない。詳細は省略するが対数変換というような高度なアナログ回路技術を用いて測光精度を確保する必要があるのだ。ニコンではトランジスタ数個とコンデンサーやダイオードなどを組み合わせた制御回路を開発し、試作機を完成させた。これが1969年の夏ごろのことだった。しかしそこにまた大きな問題が生じたのだ。
パテントの問題、そしてIC化
問題というのは、コンデンサー記憶や対数変換の技術について、他社のパテントがあることが発覚したのだ。その相手が過去に別のパテントで争ったことがあるA社であったこともあり、ここは回避策をとることにした。新たにこれらのパテントに抵触しない回路を開発するということだ。そしてなんとか別方式の回路を開発し、動作確認はできたのだが、今度は回路の規模が大幅に肥大化してしまった。一次試作機の回路は管制部と呼ばれるシャッターダイヤルのスペースにうまく収まっていたのだが、回路素子の数にして何倍もの規模になってしまった新しい回路は、到底そんなところに収まるものではない。結局IC化することになり、三菱電機にカスタムのICの開発を依頼した。
当時半導体集積回路(IC)はコンピュータ向けのロジック回路から始まり様々な機器に使われるようになっていたが、カメラのように電池駆動のアナログ回路はまだまだ未開拓の分野だった。アナログのICといえばプラスマイナス15ボルトの電源で消費電流もアンペアオーダーの時代に6ボルトの銀電池で駆動する回路を開発するので、なかなかチャレンジングな課題だったが、なんとか完成して"M5125J"という型番のICとなり、ニコマートELに組み込むことになった。しかし、それでもなお回路を組み込むスペースには苦労し、結局ペンタプリズムの屋根部に航空母艦の飛行甲板のようなプリント基板を設けてそこに回路を実装することにした。その影響でペンタプリズム部のデザインが変更され、一次試作のものとは打って変わったフラットなものになっている。
「舌下錠型」電池ケース
ニコマートELやその後継機が話題になるとき、必ず取りあげられるのが、電源電池の収納方法だろう。4G13(4SR44)という6ボルトの比較的大型の銀電池をミラーボックス下部に収納しているのだが、電池交換のときにはレンズを外し、ミラーアップレバーを操作してミラーを上げ、レンズマウントの開口から電池を出し入れするようになっている。
一眼レフにエレクトロニクスが本格的に導入されるようになると、当初は4G13のような大型の電池を使わざるを得ず、どこのメーカーもその置き場所に苦労した。内蔵セルフタイマーを取り去ってそのスペースに収納したり、中には巻き上げスプールを太くしてそこに収納したりした例もあったが、ニコマートELではミラーボックスの底にそのスペースを見出したのだ。交換の利便性を考えればボディ底部に蓋を設けて底から電池を出し入れすれば、レンズを外したりミラーアップしたりする必要がないのだが、シャッターのコパルスクエアSEをチャージするためのラック(棒状の歯車)がカメラ底部を左右に走っており、それもできない。やむなくマウント開口から交換する方式になったわけだ。
ただ、この「舌下錠」方式はこのカメラが初めてではない。西独ツァイス・イコンのコンタレックスSがボタン型の電池ではあるが同様にマウント開口から交換するようになっており、これを参考にしたものと思われる。
電子制御シャッターのTTL-AEとしては3番目
こうしてニコマートELは1972年の12月に発売された。電子制御シャッターを用いて絞り優先TTL-AEを組み込んだ一眼レフとしては1971年のペンタックスES、1972年9月発売のヤシカエレクトロAXについで3機種目である。もしパテント問題がなく、一次試作機がそのまま量産になっていたらニコマートELが世界初になっていたかもしれない。ただ、その場合はIC開発が後回しになったわけで、それに関連する技術の取得も遅れたはずだ。果たしてニコンにとってどちらが良かったのだろうか?
豊田堅二|プロフィール
1947年東京生まれ。30年余(株)ニコンに勤務し一眼レフの設計や電子画像関連の業務に従事した。その後日本大学芸術学部写真学科の非常勤講師として2021年まで教壇に立つ。現在の役職は日本写真学会 フェロー・監事、日本オプトメカトロニクス協会 協力委員、日本カメラ博物館「日本の歴史的カメラ」審査員。著書は「とよけん先生のカメラメカニズム講座(日本カメラ社)」、「ニコンファミリーの従姉妹たち(朝日ソノラマ)」など多数。