このカメラについては記者発表会のときのことをよく覚えている。会場は品川のホテル催事場。2004年当時デジタルカメラは今以上に日進月歩で進化しており、各カメラメーカーしのぎを削っていた。デジタルカメラに早い時期から積極的に取り組んできている富士フイルムの記者発表会ゆえ、私自身大いに期待して足を運んだことは言うまでもない。
ひととおり開発者をはじめとする方々の話が終了し、ハンズオンコーナーで実機を手にしたときの印象は、正直に言えば複雑であった。2000年発売の「FinePix S1 Pro」、同じく2002年の「FinePix S2 Pro」とスペックはともかく、それらと同様にニコン製フィルム一眼レフをベースとしたボディとしており、スタイルについても詳細は異なるものの、基本的にはこれまでと同じで新鮮さに欠けるように思えたからだ。
同年に発売されたデジタル一眼レフと言えば、「ニコンD70」「キヤノンEOS 20D」「コニカミノルタα-7 DIGITAL」などがあるが、いずれも専用のボディを新たに採用している。たしかに富士フイルムは1980年代半ば以降35mmの一眼レフ製造の実績がなく、そのため「フジックスDS-505/ニコンE2」(1995年発売)など共同開発を行ってきたニコンの力を借りたのだと察せられる。
しかしながら写真愛好家としては、「だったらあえて富士フイルムのカメラを選ばなくても、ニコンのデジイチでいいのでは?」と思ってしまうこともあるわけで、本モデルの訴求力はその時点でかなり弱く感じられるものであった。もちろん画質、絵づくりは現在の同社Xシリーズに繋がる今見ても申し分のないものであるが、それを考慮してもなお、である。
そのようなボディだったので、ファインダー画面の大きさも厳しく思えた。クイックリターンミラーからスクリーン、ペンタプリズム、アイピースまでのファインダー光学系はベースとなった「ニコンF80」のものをほぼそのまま流用。いわゆるフルサイズのファインダースクリーンには、APS-Cフォーマットに合わせるために4辺に黒いマスクが置かれていた。面積比にしてフルサイズの半分以下となるファインダー画面はとても小さく、まさに"井戸の底を覗いている"ようであり、被写体の視認性についてもお世辞にもよいとは言い難いものであった。当時ライバルのAPS-Cセンサーを積むデジタル一眼レフは総じてファインダー像が小さく見づらかったが、本モデルはそれ以上に思えた。
余談ではあるが、筆者(大浦タケシ)は、アイピースにファインダー倍率を1.17倍拡大するニコン製の「マグニファイングアイピース DK-21M」を本モデルに装着して使用していたが、それでもファインダー画面は小さく思えたほどである。
メニューやファンクションを使った設定についても旧態依然としたものであった。この頃はメニュー項目の並びやタブの配列などまだ確立していないところもあり、カメラメーカー各社試行錯誤していたのだが、本モデルは特に顕著に思われた。具体的には、液晶モニターに表示するメニューはいわゆるセットアップ系の項目のみで、その上にある小型のディスプレイにファンクションとしてホワイトバランスや画質、フィルムシミュレーションなど仕上がりに関する設定を表示する二本立てとする。慣れればこれはこれで使いやすいこともないわけではないが、当時としても表示や設定方法なども含めちょっと古臭く感じられるものであった。
そのような本モデルであったが、見逃すことのできない新しさを感じる部分もいくつか持ち合わせていた。まずは前述したフィルムシミュレーションだ。本モデルの搭載が初めてで、「スタンダード」「スタジオポートレート」「フジクローム」の3つを用意。
「スタンダード」は言うまでもなく標準的な絵づくりのシミュレーションで、本モデルのデフォルトである。「スタジオポートレート」と「フジクローム」については、取説に書かれていることを一部抜粋して紹介すると、前者は肌色再現の階調のつながりを重視し、プロネガ調をイメージしたスタジオでのポートレート撮影に適したもので、ストロボ撮影時のハイライトの白トビも抑えるシミュレーション、後者はリバーサルフィルムを意識した色鮮やかに再現するシミュレーションである。
特に「スタジオポートレート」は、写真館での使用を前提としたシミュレーションであり、実際本モデルは写真館で使われることが多かったと聞く。いずれにしてもフィルムを選ぶようにシミュレーションを選ぶことが新しく思えるとともに、生成されるJPEG画像の写りは今見ても不足を感じさせないものである。
デジタル一眼レフとしてライブビュー機能の搭載は、実はこのカメラが最初であることも忘れてはならない部分だ。表示はモノクロ、表示時間は30秒、ピント合わせはMFのみ、シャッターは切ることができないなどかなり制限があるものだが、当時としてはデジタル一眼レフの未来を少ないながらも感じさせるものであった。
前述のように「ニコンF80」をベースとするボディであるが、ホールドした感じが思いのほかよかったのも本モデルの特徴である。グリップが大きいことに加え、グリップの形状やカメラ背面の右手親指の当たる部分が絶妙な形状をしており、しっかり右手で持つことができる。カメラを縦位置に構えたときも同様で、横位置に構えたときほどではないにしても、やはりしっかり構えることができる(縦位置用のシャッターボタンも備える)。右手親指で操作する十字ボタンの操作感も上々で、このあたりについては、当時のライバルを凌駕していたように思えた。
そんなこんなでいろいろと考えることの多かった本モデルの記者発表会。もやもやとした気持ちで会場であったホテルを後にしたのである。記念品として渡された特製のストラップを持って。
富士フイルムのレンズ交換式デジタルカメラがボディ、交換レンズとも完全に同社製となるのは、2012年のミラーレス機「X-Pro1」の登場まで待たなければならないわけだが、それまでボディや交換レンズの開発設計などに携わる同社の方々にとって、本モデルをはじめFinePix Sシリーズの時代は辛く、屈辱的であったはずと個人的には勝手に思っている。言うまでもなく他社のボディをベースに、他社の交換レンズを使用するカメラをつくらなければならなかったからである。しかしながら正真正銘の同社製レンズ交換式デジタルカメラと、そのためのフジノンレンズを世に出すための機会を用意周到、虎視眈々と伺っていたのだろう。「X-Pro1」で始まったミラーレスXシステムの完成度は交換レンズも含め登場時からすでに高く、あっという間に多くの写真愛好家の大切なイクイップメントとなったことはその証であると考えてよい。今回久しぶりに「FinePix S3 Pro」を防湿庫から取り出し詳細眺め回したが、そのようなことを考えてしまうとともに、デジタル一眼レフ黎明期の香りを残す最後のカメラであることを強く認識した。
大浦タケシ|プロフィール
宮崎県都城市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、雑誌カメラマン、デザイン企画会社を経てフォトグラファーとして独立。以後、カメラ誌をはじめとする紙媒体やWeb媒体、商業印刷物、セミナーなど多方面で活動を行う。
公益社団法人日本写真家協会(JPS)会員。
一般社団法人日本自然科学写真協会(SSP)会員。