普及機の必要性
ニコンはずっとレンズ交換可能な35mmカメラを造り続けてきて、1959年には一眼レフのニコンFを発売した。しかし、それまでのレンジファインダーニコンもニコンFに始まった一眼レフも、当時としては比較的高価でとても一般のユーザーが気軽に買えるものではなかった。写真文化を盛り立ててカメラの事業を拡大するには、もっと安価で手軽に使える普及機を提供することが必須だったのだ。
これはニコンのみの事情ではなく、他のメーカーも同様のことを考えた。最も象徴的だったのが1961年のキヤノネットの登場である。それまで高級機ばかり造っていたキヤノンが、突然レンズシャッター式の35mmカメラの市場に殴り込みをかけたのだ。キヤノネットは連動距離計とシャッター優先AEを備えた透視ファインダーのカメラだったが、ニコンは同様に普及機を出すにあたってレンズシャッターの一眼レフを選んだ。それがニコレックス35(1960)である。
レンズシャッター一眼レフ
レンズシャッター一眼レフはけっこう古くからある。35mmフィルムを使用するものでは西独ツァイス・イコンのコンタフレックス(1953)やフォクトレンダーのベサマチック(1959)が有名なところだが、日本でもトプコンPR(1959)がすでに市場に出ていた。レンズシャッターは撮影レンズの中間あるいはすぐ後ろにシャッターがあるため、そのままでは一眼レフのファインダーに被写体光が行かない。かといってシャッターを開けるとミラーの周囲から洩れる光でフィルムが感光してしまう。そこでフィルムの直前に遮光板を設けてミラーと同様に撮影時に退避するようにする。
従って撮影するためにシャッターボタンを押すと、まずシャッターを閉じ、ミラーを上げて遮光板を退避させ、絞りを設定値まで絞り込み、その上でまたシャッターを開き露出を行うという複雑なプロセスが必要になるのだ。
そうまでしてなぜ一眼レフにレンズシャッターを使うのか?その第一の理由はコストだろう。複雑なメカを追加してもなおフォーカルプレンシャッターよりは安価に造ることができたのだ。あと露出計との連動がやりやすいこと、フォーカル機よりはコンパクトになることなども理由として挙げられる。ともあれニコンが普及機に参入するにあたってレンズシャッター一眼レフを選択したのも、比較的安価に一眼レフの魅力が味わえるという点が大きいと思われる。
ポロミラーシステム
ニコレックス35の最大の特徴は、ポロミラーを使ったファインダーであろう。一眼レフのファインダー画像を正立正像にしてアイレベルで見るようにするためには、ペンタプリズムを用いるのが定番なのだが、このカメラでは代わりに3枚のミラーを組み合わせたポロミラーを使った。外観上もペンタプリズムの三角屋根を廃し、上面をフラットな形状にしている。ポロミラーの採用によりファインダーの接眼部が背面からみて左側に寄り、レンジファインダーカメラと同様の使用感が得られるとしていた。
ただ、後年の普及型一眼レフに多用されたペンタミラーと同様、ファインダー光路がガラスの代わりに空気で満たされており、ダハを使っていないので光路長が長くなってファインダー倍率の面では不利となる。実際の倍率は0.6倍だった。なお、このポロミラーシステムは、マミヤの二眼レフCシリーズ用の交換ファインダーにも応用されている。マミヤのように中判の画面サイズになるとペンタプリズムではかなりの重量になるので、ポロミラーの軽量という特徴が生きてくる。
露出計連動
ニコレックス35のもう一つの特徴は、連動露出計の内蔵だ。外観面でも正面のセレン光電池の大型受光部が目立っている。当時の解説記事ではポロミラーファインダーはペンタプリズムのように前に出っ張らないので、そのスペースを利用して露出計受光部を配置したと記していた。
また、レンズシャッターを採用したため絞りとシャッター速度のダイヤルを同じところに配置でき、両方に連動する「両連動」が比較的容易にできた。連動方式は定点式で、シャッター速度ダイヤルや絞りリングを操作して電流計の指針を定点に合わせると適正露出が得られるというものだ。シャッター速度や絞り値を導入するには可変抵抗が用いられている。絞りリングにブラシが設けられており、シャッターダイヤルと一体になって動くフィルム感度ダイヤルの内側に設けられた抵抗体に接触している。つまりこの2つのリングの位置の差分が抵抗値となって露出計回路に導入されるのだ。この方法は後年ニコマートFTやFTnなどにも使われている。
ファインダー内露出計表示
連動露出計の電流計指針と定点はボディ上面の小窓に表示されるのだが、同じ指針がファインダー内にも表示されるようになっている。上面の小窓から採り入れた外光で指針を照明し、それを専用の光学系でファインダー内に導いているのだ。そのためにポロミラーを構成するミラーの上辺に沿った一部を透明にして指針の像を被写体像に合成している。
当時の露出計連動機では指針をボディ上面の小窓に表示する形式からファインダー内に表示するものに移行しつつあった。ただ多くのカメラではファインダー内表示を組み込むとボディ上面の方はやめてしまった。ファインダー内で被写体を追いながら露出合わせができるなら、わざわざボディ上面で指針を見ることもないだろうというわけだ。
ニコンの場合は露出計の内蔵連動はこのニコレックス35が最初だが、露出計指針をファインダー内に導入するとともにボディ上面の小窓による表示も残している。そして、このファインダー内と外部の両方に表示するという仕様は、ニコマートFT系やニコンFフォトミックなど他の機種にも適用し、なんと1970年代のF2フォトミックまで続いたのだ!こんなところにもニコンというメーカーの実直さが現れているような気がする。
豊田堅二|プロフィール
1947年東京生まれ。30年余(株)ニコンに勤務し一眼レフの設計や電子画像関連の業務に従事した。その後日本大学芸術学部写真学科の非常勤講師として2021年まで教壇に立つ。現在の役職は日本写真学会 フェロー・監事、日本オプトメカトロニクス協会 協力委員、日本カメラ博物館「日本の歴史的カメラ」審査員。著書は「とよけん先生のカメラメカニズム講座(日本カメラ社)」、「ニコンファミリーの従姉妹たち(朝日ソノラマ)」など多数。